対話はピンポンゲーム(1)
どんな社会になっても変わらない法則って、あるのかなぁ?
これが知恵になることで、助けが大きいほど、大きな知恵になるのでしょうか?
変わらない人生(暮らし)の法則を探し求める気持ちが大切なんだろうな、とは思います。
人生(暮らし)の知恵で、重要になってくるのが対話ではないかと思います。
個人の対話だけでなく、すべてのことがらが対話で始まって、まずは、対話によって解決を試みることになります。
対話で解決されなければ時に暴力、国家間では、戦争に至ることもあります^^;
ここで、数多いスポーツを見回してみれば、球をやり取りするゲームが相当多いことがわかります。
野球、テニス、サッカー、バレーボール、卓球・・・・・・
派手な技術で感心を受けたりもするけれど、相手側がいつも球を受けることができないならば・・・・・・
テニス競技で誰もサーブを受けることができないならば、本当に詰まらない競技になってしまいます。
例えば、テニスが上手にできなくても、球をやり取りすることができるならば、ある程度の面白味は残ります。
対話が上手でなくても、相手と対話をやり取りしようと努力すれば、自らおもしろい対話となります。
対話の最初は、球がないから、どのように対話をやり取りするれば良いのか、考えを巡らさなければなりません。
ずっと質問だけをすることは、テニスのサーブを送るばかりなのと同じことになってしまいます。
対話で球は、関心の流れになる場合が多いですね。
相手が現在何に関心があるのか分からない場合が多いので、色々な言葉をちりばめた方が良いのですが、ちりばめた言葉のどれに相手が関心を持っているのか、確認しておかなければなりません。
そうでないと、同じ前提であるとの認識で、話は流れて行ってしまいます。
スポーツもしばらく休みながらするように、対話もしばらく休みながら、対話を考える時間が必要だと思います。
そう、対話は考えを必要とするんですね。
考えを楽しむことが、楽しい対話になったりもします。
例えば、深さのない実用書籍に人気があるのは、分かり易いからです。
実用書には普通深さがないために、長い間人気を享受することができなくて、短期間の人気が終わることになります。
また、対話は、感じることも必要になってきます。
考えないで歌を聞くように、相手の話を鑑賞したりするのも、時に必要になります。
相手と同じ心象を感じるためにも、そのまま雰囲気を楽しむためにも、時には、必要なことと思っています。
その場合、主題よりは、声のトーンや表情に気を遣った方が良いのでしょうね。
クラシック音楽を聴くときの様に。
批判も意見もなく、ただ、相手の話に耳を傾けて聞いてあげる。
言葉より、物事を雄弁に語っていることもあるから・・・・・・
だから、一方的に強要だけすることは、対話する人の姿勢ではないと思います。
互いにやり取りすることができるピンポンゲームにならなければならない。
心が対話になり、言葉で抱合っているのか?
いつも心がけておきたいことですね(^^)
そう、時に、詐欺師のことを考えてみればよいかもしれません。
本当に心が対話して聞いているだろうか、疑問を抱いてみることも必要ですね。
誰だって、色々な仮面をかぶって生きているんですよね。
詐欺師も家庭では良い両親になろうとするであろうし、最悪の法罪を犯す組織暴力団親分も自分の組織や家庭では良い心を持った人になり、自分がすることも良いことだと勘違いする場合もあるかもしれません。
家庭では最悪の人が社会では良い人になる場合もあります。
本当に、心は勘違いしやすくて、一日にも数十度変わることができて、どの心が本当に自分の姿であろうか見つめていかないと、直ぐに分からなくなってしまうから、本当に厄介ですよねぇ^^;
そのため、対話をしても、時と場所によって、違うことになってしまい、誤解を生むことになることも多いんじゃないかと思います。
だから、相手の言いたいことが分からないと、嘆く前に、言葉を受ける側の力量を上げていくほうが、建設的なんじゃないかと思います。
まず、自分から変わっていくべきなんですよね!
例えば、全ての音楽や絵画、いや芸術は、厳密には未完成の形で作品は提供され、未完成なほど受けとる側の力量や心の豊かさが試されます。
会話も対話も、これと同じように未完成の形で、常に提供されるため、伝える側も過不足無く伝える普段の努力を、受け取る側も、聴く力をアップさせる努力が必要ですよね!
聴くことが上手になると、コミュニケーションの中で、いろいろなことが起こってくることに気づきます。
こちらが熱心に耳を傾けていると、相手は楽しい気分になりますね。
誰でも、自分に注目されることは嬉しいですから。
相手が楽しい気分になって盛り上がってくると、こちらまで楽しくなります。
そうすると、相手から、欲しい情報や有益な情報がどんどん引き出せます。
そういうコミュニケーションのとれる方は、まわりの皆から好かれますね。
好きな人には、心を打ち明けますから、相手をより深く理解することができます。
そうなってくると、もう、共通項がなくても話がはずみ、さらに相手がリラックスしてしゃべるうちに、相手の中に“気づき”が起ってくるんだと思います。
では、聴く力とは、いったいどんな力のことをいうのか?
“聴く”ということは、そのテーマについてあらかじめ勉強したり、相手について予備知識を仕入れたり、質問項目を用意したりという下準備はもちろんですが、大切なのは、話を聴きながら、その人物がどういう人となり(全体像)で、何を考え、どんな意見をもっているのか、(絵として)イメージできるように、聴いていくことです。
また、相手が言葉にすることだけをヒアリングするのではなくて、相手の"中身"はどうであるのか、という本音を探ることが大切です。
そう、何を聴くかより、もっと大切なことは、出会った人と信頼関係をむすぶこと、誠実さですよね。
そのためにも、日頃の問題意識が大切です。
日頃、広く問題意識をもち、自分の認識の枠をひろげておくことです。
自分の個性や考え方のクセを知っておくことも大切ですね。
聴くということは、どうしても自分のフィルターを通して相手を捉えることになるわけですから。
だから、対話という作品も受けとる側の誠心と合致して初めて完成するんでしょうねぇ。
長田弘という詩人はこう言っています。
『本を読む事が読書なのではありません。自分の心のなかに、失いたくない言葉のたくわえ場所をつくりだすのが読書です。』
考えてみれば、このnoteもその蓄え場所の一つです(^^)
しかし、私は次から次へと忘れていってしまいます^^;
だから、何度も同じ事を書いて、言っている可能性もあります。
それでも覚えられない言葉は、何度でも書いて行きたいと思います。
本当に心の蓄えとなるまで。
なぜならば、論語の中に、「われ日に三たび、わが身を省みる」とあります。
人のために尽くすと言いながら、いいかげんにやらなかっただろうか?
人に対して誠実さを欠くようなことをしなかっただろうか?
自分で確かめもしないことを人に吹聴しなかっただろうか?
日に三度が無理なら、三日に一回くらいは、わが身を省みることも大切ですよね(^^)
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