「伝える」ということ!
私は「伝える」ということに、とても、こだわりを持っているようです(^^)
考えるだけで、想うだけでは伝わらない・・・・・・
そして、想っていても・・・・・・
言葉にして相手に伝えなければ・・・・・・
それは「何もない」のと同じことなんですよね。
・・・・・・辛口で、ごめんなさい(^^;
美しく深い伝えたい想いがあれば、言わなくても気持ちが伝わると思うのは、 寂しいけれど・・・・・・幻想だと思います。
私達は、思考の世界に生きているのではありませんよね?
現実という音や形のある世界に生きていることを、忘れてはいけないのです。
素敵な想いや考えを、次々と言葉にして誕生させないとね!
そうそう、「察してほしい」という態度や言葉があります。
「察する」という言葉自体は、相手の気持ちを思いやろうとする、とても美しい言葉です。
けれど立場が変わると、その意味合いは違ってくるのです。
「察してほしい」には、現在自分が置かれている状況や気持ちを説明する義務を怠り、相手の責任にする姿勢がみられることがあります。
実際、正確に「察する」ことができるのは、気が遠くなるほど会話を重ねた後に、理解しあった者どうしだけに、できることです。
しばらく仲良くしているからといって、その人が長年経験してきたあらゆる事や、それに基づく考え方を、説明もなしに、・・・・・・どうして理解できるというのでしょうか・・・・・・
長年生活を共にしても「察する」ことがいかに難しいか、いろんな場面でそのことを思い知らされます。
会話を疎かにして、あまり交わしていない二人が、想いやテレパシーのようなもの、相手の理解力だけに頼るのは、とても無謀なことですよね。
思っている事を、自己完結させてはいけないのです。
ただしネガティブな感情の場合は・・・・・・感情のおもむくままに伝えてはいけませんよね。
感情をぶつけることが目的ではなく、自分を理解してもらうこと、コミュニケーションすることが目的なんだからね(^^)
それには、相手の立場と気持ちを充分に理解し、それをきちんと告げることが必要になります。
「余裕が出来たら、こうしてくれると嬉しい」と「依頼」に変える方法がベストなようです。
自分側が相手の希望を叶えてあげられているかどうかも反省しないといけませんよね!
ただし、自分のことを理解してほしいと思うあまり、暴走しないように、充分気をつけてないと(^^;
どんなに伝えたいことがあっても、相手の人の善意や、性格を否定する形にならないように、充分配慮しなければいけないから。
また伝えるタイミング、相手の人の精神状態も確認しておく必要があります。
「伝える」こと、「自分を理解してもらう」ことは、とても大切ですが、それに必死になりすぎると、最終的には相手に嫌われて大切な関係自体が無くなってしまうことがあります。
それと、もうひとつ大切なことがらに、「人は、相手の情報が無い場合、悪いほうに解釈する」のだそうです。
特に、リアクションしなかった場合は、悪く解釈されるのが普通なんですよ!
例えばこちらが、何度目かのメールのお返事を「今回は、別に内容に対して反論が無いから、出さなくてもいいよね・・・・・・」と省略するとします。
すると相手の人は「その内容を肯定されたからではなく否定されたから、お返事がもらえなかった」と解釈するのが一般的なようです。
返事を省略していいのは、お互いの性格を充分に理解しているか、双方がメールのパターンを了解している場合だけなんですね。
同様に自分の意見を述べない、「何を考えているのか解らない人」に対して、人は無意識のうちに、「この人は私のことが嫌いなんだ」、「理由は解らないけれど、私に対して怒っているのだ」と解釈するそうです。
また、情報があれば、経験に基づいて次の対策を練ることができますが、それすらもできないため、相手を一層不安にさせてしまいます。
もしも誰かがあなたに、たびたび冷たい態度をとることがあるとしたら、それは、あなたが相手に充分な「自分の情報」を与えていないからかもしれませんよ!
「自分を知ってもらう」努力をしないで、「何も解ってくれない、冷たい人だ」と 決めつけるのは、・・・・・・相手の人に対しても失礼ですし、責任を押し付けていることにはならないでしょうか?
もしも情報を充分に与えて、それでも冷たくされるなら、その時は、悲しいけれど「あなたが想うほどには、相手はあなたを好きではない」という現実を受け入れることになります(^^;
よく問題になるのは、人を傷つけることを怖れるあまり、自分が再び傷つけられることを怖れるあまり、つい、私達は口をつぐんでしまう。
けれど実際は、黙りこんでしまうから問題が悪化し、より深く傷つく結果になることって多いですよね。
伝えることで、傷つけられることも確かにあるけれど・・・・・・
それは、ほんとうに、ほんとうに少しでしかないような気がします(^^)
これから先も、全く傷つかずに生きていくことは可能でしょうか?
答えは、NO!ですね。
では、自分の気持ちを伝えた上で傷つく方が、ずっといいと思いませんか?
考え違いをしてはいけないことのひとつに、人生は苦痛に満ちた、試練だけの場所ではないということです(^^)
自分で最後まで責任を取れるなら、何をして生きてもいいという信じられないくらい、自由で楽しい場所なのですよ?
そう!
いつでも制限を与えているのは、誰かではなく、自分自身の「かたくなさ」なんですよねぇ~
人が決めたルール、モラル、自分で背負ったプライド等々・・・・・・
それは命よりも大切なものなのでしょうか?
死にたいほど辛い事に遭遇しても、命よりもルールの方が優先されるのですか?
そんなナンセンスなことってないよね(^^;
人に、いい人だと言われるために、人生があるのなら、それはあなたの人生ではなく・・・・・・他人の人生なんだって、早く気づかないとね。
心を閉ざし、思っている事を飲み込んで、人生を台無しにしていくのは、止めにしたい!
私達のこの世界にあるのは、(基本的には)何をしてもいいという 「チャンス」ばかりなんです(^^)
自分の個性と才能を表現し、自分がどこまでやれる人間なのかを試し、あらゆる楽しみを経験できる、「チャンス」の場なんですよね!
この人生は一回きり!
もう二度と無いんです!
健康であるなら、これから先の長い時間を、悲しみや怒りと共に無駄にすることに、いったい何の意味があるのか?
人は無意識に、あるいは意識的に、傷つけることもあるし、傷つくこともある。
それはつらくても避けようのない現実です。
でも、思うとおりにならず苦しんだぶん!
また、深く傷ついたからこそ!
その分、これから楽しい人生を生きなければいけないなって、思いませんか?
みんなは今、誰に何を・・・・・・伝えたいですか?
日々つのる、抱えきれないほどの愛情。
ひとつひとつ伝えていこう♪
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