【日常茶飯事】オープン・エアでゆるりブランチ
「朝昼兼食(ブランチ)の乳酪切りつつ詩作とは醱酵黄金(きん)の時間待つわざ」
(高橋睦郎『狂はば如何に』より)
分かち合うって、どういうことなんでしょうか?
「いま」を感じるには、それまでの長い長い時間のことも、一方では思う必要があります。
情けは人のためならずと、昔の人は、そう言っていましたよね。
ただ、人に情けをかけることは、いつか廻りめぐって、自分に還ってくると思うんです。
だから、相手のためでもあるけれど、自分のためでもあるのだとも思うし。
そんな教えに、同意できれば、人に情け深くあれと、説いても良いように思います。
例え、偽善者だと言われようとも、いつか自分に還ってくると思えば、目の前の人に、優しくできる人も、増えるんじゃないかなあ。
今、少し、誰かのために優しくすることができたなら、優しくされた誰かは、また、別の誰かに、優しくすることができるだろうから(^^)
そうして、優しさは伝播していくのでしょう。
さびしさに、心が揺れているときほど、優しい人であることを、選びたいですね。
難しいかもしれないけど(^^;
「風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける」
(笹井宏之『てんとろり』より)
だけど、優しさが、心に満ちてきたら、そのさびしさは、そーっと薄まってゆくから。
さびしさが、さびしさを招くように、優しさには、優しさが、差し出されるって、思いたいじゃないですか(^^)
そう、どこかで、私たちは、判っていたんだなって思うときがあります。
分かち合うということを。
独り占めしないで、みんなと共有すること。
自分の持てるものを、誰かと共有すること。
それは、物でもいい、気持ちでもいいと思います。
今の自分には必要ないものを、必要とする誰かに、渡すことでもいいし。
相手の話を聴くこと。
自分の話しをすること。
困っている誰かを手助けすること。
困ったときに助けを求められること。
そういうことは、みんな、分かち合うということですよね(^^)
まず、自分から小さな波を起こすことで、周りは変わっていきます。
その波は、いつか、はるか遠くまで伝わって、大きなメロディを、奏でてくれることになるんでしょうね。
例えば、清清しい風を感じながら、朝食と昼食を分かち合って、食べる食事も格別ですね(^^)
景色がおいしい隠し味なんだろうね♪
「雨の日のさくらはうすき花びらを傘に置き地に置き記憶にも置く」
(尾崎左永子『夕霧峠』より)