自律度×知恵の数(=知識の素因数分解)×経験のバリエーション≒個性(経験値)と仮定してみると
要は、客観的に判断される環境下において、何か人と異なるアウトプットや某かの成果が出せることを、他人から見た自分の特徴にすぎない点として、個性と呼んでいるのではないかと考える事が、しっくりくるように感じます。
言い換えると、鍛錬等により、磨きぬかれたものではなく、安易なやり方で、個性的であろうとすればするほど、どんどん無個性になるのではないでしょうか?
やりたいことが見つかったら、それが自分の器と合っているか否かを、客観的に、見てみることをオススメします。
車に例えてみると、タイヤ、ドア、ミラー、エンジン、マフラー、ハンドル等。
それぞれ必要な部品であって、どれも代用することは、できないですよね。
それぞれが、自分の持ち味を出し、必要なところに、必要な部品、お互いが強調しすぎることなく、いるのが理想的です。
人間の世界も、同じようなものなんだって思います。
例えば、プライベートでも、仕事でも、変わり有りませんが、以下の様な質問フェーズに対して、日々、某かの答えを探り出して処理している毎日ではないでしょうか?
【質問フェーズ1】
・3+2=5(閉じた質問または解かれた質問)
⇒答えが有り、誰がやっても答えは同じになるため、与えられた作業を着実に実行する。
⇒そのために必要となる能力を身につける(自立した状態)
【質問フェーズ2】
・◯+◯=5(開かれた質問)
⇒答えは無限に有り、人によって答えが異なってくることから、与えられた目標に対して、どの様な手段を用いたら達成できるかを自ら考える必要がある状態。
⇒自分なりの方法やプロセスを創造するための仮説思考を鍛えたり、自己学習・啓発を促進する。(半自律の状態)
【質問フェーズ3】
・◯+◯=◯(閉ざされた質問)
⇒左辺の方法・手段・プロセスと右辺の目標が成立する様に自律的に行動しないといけない状態。
⇒自分自身と生活や所属する組織の現状を洞察して、課題に気づき、そして、課題を解決するための手段や方法を自ら考え実行できる。(自律した状態)
つまり、質問フェーズ1からスタートして質問フェーズ3までに至る過程において、自律的挑戦を重ねた経験値の量が個性なのかなと仮定してみると、詰め込んだ知恵がどう動くかは、人(自律度合)によって随分と違うものだと考えられるのではないでしょうか?
もちろん、最低限の基礎となる部分は、そう大きな変化はないのではないかと思いますが、細かい部分で本当に人によって違いがでる。
このことが、世間で言うところの個性(他人評価)ではないかと感じます。
自分の器でできないものを、無理やり頑張ってやってもみても、ストレスが溜まるだけで、良い結果は期待できません。
「どんなことをすると、楽しい?」
「やりたいことと、それとは、つながっている?」
人間は、自分の事を客観視するのが苦手です^^;
生きるための労働と割り切るのではなく、現実の中での自分の役割を見出してみるって考え方をしてみるのが良い様に感じます。
よく勉強や仕事でも予習よりも復習が肝心だと言われます。
しかし、自分自身について丁寧に復習しているかと言われると、できないことも多いので^^;
外的世界における刺激と刺激が連鎖した各種の循環ルートを、「これって駄目なんじゃない?」かと省みれるか否か。
その本当にちょっとした事が、長い目で見たときの自分自身を救ってくれるのだと、そう思います(^^)
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【メモランダム】《反省》
https://note.com/bax36410/n/n85bd699fafab
ゆっくり、少しでも省みる日を多くして、見つけていきたいですね。
【参考図書】
「はずれ者が進化をつくる─生き物をめぐる個性の秘密」(ちくまプリマー新書)稲垣栄洋(著)
「ハーバードの個性学入門:平均思考は捨てなさい」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)トッド ローズ(著)小坂恵理(訳)
「あなたがあなたであることの科学 人の個性とはなんだろうか」デイヴィッド・J・リンデン(著)岩坂彰(訳)
「個性という幻想」(講談社学術文庫)ハリー・スタック・サリヴァン(著)阿部大樹(編訳)
「自尊心削られながら個性を出せって、どんな罰ゲームだよ?」Vanessa(著)
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