【選書探訪:あなたの心の忘れ物、本の中にきっとあります。】「カント信じるための哲学 「わたし」から「世界」を考える」石川輝吉(著)(NHKブックス)
キャッチコピー:道山智之さん
[ 内容 ]
現代に生きるわたしたちは、ひとそれぞれの主観的な感覚や考えを持つ自由と引き替えに、共有する絶対的な真理を失い、猜疑と孤独に陥るしかないのか。
カントは、人間の考える力を極限まで吟味し、絶対的な真理は知り得ないという「理性の限界」を証明した上で、人間に共通する〈普遍性〉を、「わたし」の主観の中に見出した。
この「アンチノミー」「超越論的哲学」という方法に注目し、デカルトからアーレントまでの「主観」理解と照らしつつ、『純粋理性批判』をはじめ三批判書を、平易に読み解く。
若き俊英が、等身大の「わたし」から説きおこす清新なカント入門。
時に矛盾した姿で現れ問題を投げかけるこの世界を、どうしたら理解し解決できるのか。世界を信じるための道筋を探るカント哲学入門。
[ 目次 ]
序章 “ひとそれぞれ”の時代のカント
第1章 近代哲学の「考える力」-合理論と経験論
第2章 理性の限界-『純粋理性批判』のアンチノミー
第3章 「わたし」のなかの普遍性-感性・悟性・理性
第4章 善と美の根拠を探る-『実践理性批判』と『判断力批判』
第5章 カントから考える-ヘーゲル、フッサール、ハイデガー、アーレント
終章 世界を信じるために
[ 問題提起 ]
赤ん坊の知的発達においては、ハイハイ(這い這い)の過程がきわめて重要だと言われる。
自ら移動することによって、モノの見え方が次々と変わっていっても、それが同一物だと理解できるようになるからだ。
自らの視点を転換してこそ、真実もつかめるというわけである。
そうであれば恐らく、人間が自らと、この世界の真理をつかむためには、人間という視点から脱することが決定的に重要なのであろう。
だが、それだけはできない相談である。
[ 結論 ]
人間は、飛行機や人工衛星によって、大地から自らを引き離すところまでは成功した。
遠い天体も、極微の世界も、人体の深部までも見つめられるようになった。
しかし、人間という視点の外にだけはどうしても立つことができない。
永久にできないであろう。
だから、人間と世界の真理を決定的につかみたいという哲学2,600年の夢は、つまりは、右手で右手をつかもうとするような絶望的に困難な闘いだったのである。
ところで、この2,600年のうち2,400年ほどが過ぎたところで現れたカントは、それまでの哲学を根本的に変えたと言われる。
人間という視点の外に立つことはできないまでも、立ったに準じるだけの仕事をしたカント。
そのカントの目の覚めるような闘いの成果を伝える本書「カント 信じるための哲学」は、何やら抹香臭そうなタイトルで損をしている。
しかし、その「信じる」というタイトルの意味するところは、私たちがたとえどれほど言葉巧みに懐疑論やニヒリズムから誘惑を受け、冷や水を浴びせかけられようと。
ついに、この世界の存在に疑いを持たず。
また、この世界になお希望を託し続け得るのはなぜなのかについて、カントが発見したところを説く、ということなのである。
カントが現れるまで、人間の理性は、神から分与された聖なるもので、その力をフルに発揮させていけば、あらゆる問題はついに解き得ると考えられていた。
しかし、解けないまま2,400年が過ぎてしまったわけである。
本書では、この点に関するカントの決定的な業績を次の2つだとする。
1つは、人間の認識システムを解明し、理性の限界を見抜くことで、人間が一切を知ることは不可能であることを、他のどんな哲学者も及ばないほど徹底的に証明したこと。
もう1つは、その一方で、私たちの目の前に広がる世界像は、人間共通の認識システムによって形成されている以上、人間にとっては完璧に信憑し得るものであることを証明したこと、であると。
本書の主眼は、哲学史上の金字塔と言われる「純粋理性批判」(岩波文庫)を、上の2点に絞り込んで解明することにあるが、併せて「実践理性批判」(岩波文庫)を「善とは何か」を。
また、「判断力批判」(岩波文庫)を、美とは何かを追究したものというテーマに限定し、有名なカントの3批判書の全体像をくっきりと結像させようとしている。
さらに、本書では、カントの静的システムとしての認識を、知の運動に読みかえたヘーゲルや、カントの認識システムの総体を、気遣いというコンセプトで生き生きと統合させたハイデガーなど、現代哲学に至るカントの遺産継承にまで説き及び、カントによる哲学革命が1冊で立体的につかめるよう工夫されている。
また、現代は、人それぞれの主観的な感覚や考えが尊重される価値相対主義の中にあると位置付ける。
これは1つの考え方を絶対的な真理として抑圧が正当化されていた時代への反省に基づくものである。
それ故に「みんな違って、それでいい」という価値相対主義は大きな進歩である。
しかし、価値相対主義が普及した先には新たな問題が生じる。
あらゆる物事が「みんな違って、それでいい」で済むかという問題である。
善悪や優劣を定めなければならない局面があるのではないか、その場合にどうするのかという問題である。
カントは「対象というものは、客観的にあるものではなく、わたしたちの認識(主観)にとってのみあらわれている」と主張した。
絶対的な真理は知り得ないとした点で価値相対主義の側に立つ。
一方で、カントは、個々人の主観がバラバラであることを前提としつつ、その主観から人間に共通する普遍性を取り出そうとした。
この普遍性を取り出すカントの哲学は、価値相対主義によって、他者と共有できる価値観が乏しくなった現代において、実践的な意義を持つと本書は位置付ける。
そして、絶対的な真理を振りかざすのではなく、より多くの人の納得できるような言葉を作り出す態度によって、他者と共に試され、鍛えられることが普遍性を獲得する道と主張する。
私は、本書で規定した前提に基づく結論(価値相対主義の中での普遍性を獲得方法)には同意する。
但し、現実の日本社会では、建前の市民社会レベルで価値相対主義を咀嚼していても、個々の集団内部では、絶対的な真理の押し付けが幅を利かせている。
この現実を踏まえると、本書の前提は、まだまだ遠い先の話と思えてしまう。
価値相対主義の下では、私の意見が他者とは、別人格の意見であるということだけで尊重されるべきである。
これは、私の意見に普遍的な価値があろうとなかろうと、普遍性を持たせる努力をしようとしまいと変わらない。
しかし、この常識が日本ではまだまだ通用しない。
それは市民メディアの記事に「記事として相応しくない」云々とコメンターの基準で記事の存在価値を全否定するコメントが散見されることからも明らかである。
ここでは、「私の自由であり、他人が口を挟む問題ではない」ことを確立することが先決問題となる。
このような状況においても、言葉を交わすことで他者と共に普遍性を鍛えていくべきであるのか。
これが本書の射程からは外れるが、本書の前提に到達していない環境にある私が感じた疑問である。
一般に哲学書や哲学の解説書には難解という印象がある。
それは、平易な表現を心掛けている本書でも完全には免れていない。
しかし、本書は価値相対主義の中で如何にして普遍性を見出していくかという上述の問題意識で一貫している。
このため、一読して頭に入らない表現があったとしても趣旨の理解は容易である。
[ コメント ]
世界的なベストセラーになった哲学の入門書に「ソフィーの世界」があるが、これも「私は何者か」という問いを考えていくものであった。
哲学が知識体系の学問ではなく、考える学問であることを再認識した1冊である。
[ おまけ:今日の短歌 ]
「拾い読みして戻すその本の背文字が光りその本を購う」
浜田康敬『梁』98号
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