これからどうしたいか、が大事。
何かあったとき、一番考えたいことは実は、「私がこれから本当にどうしたいか」ということなのではないかなと思います。
「すべての人は堅くガードされた「心の変化の扉」を持っており、その扉は自分で中からしか開けられない。説得や感情に訴えることによっても、その扉を他人が外から開くことはできない。」マリリン・ファーガソン(社会心理学者)
説得され義務的にすることと、自分から自発的にすることは、全く違う意味を持つため、人からどう言われたかではなく、自分がどうしたいかを考えてみることで、自発的にしたくなるような、きっかけになることを見つけてみることがポイントではないでしょうか?
人生という物語の「主人公」は自分であり、また、人間は一人ひとり違うのですから、それぞれが自分の物語を作っていかなければなないけど、自分がどうしたいかを考えなくては、人から見てどう思われるかの人生になってしまうので注意してくださいね。
人と比べてどうかではなく、自分がどうしたいかを考えていく。
自分と価値観の違う他人の目を気にせずに、自分の本心で動いていてみる。
たとえば、人に傷つけられた、裏切られた、なんていうとき。
そのとき、じゃあ、私はどうしたいの?と自分に聞いて自分で決めて実行しているのが大切。
また自分で決めていいのです。
裏切られたままでいいのか、傷つけられたままでいいのか。
それとも、これを機に何をするか。
ここでは、傷つけられたから、裏切られたから相手にも同じことを、というような復讐は避けたいものです。
ついそう思いたくなりますが。
それをやると自分が疲れちゃうでしょ。
復讐は抜きにして、つまり、裏切られた、傷つけられた、と感じ続けるのかどうか、です。
「人に裏切られたり、中傷されたりとかあるじゃないですか。でも同じ土俵に上がりたくないから、断固忘れてしまうんです。」宮本信子(女優)
相手と同じ目線になるかどうかは、状況によって変えなくてはいけないと思うから、自分は違うレベルにいると考えて、嫌なことは忘れるようにしてみませんか?
相手にされたことで、自分を見失わないように注意しないと、ね。
他のオプションとしては、意識的に、裏切られた・傷つけられたけれど、ここから何かを学んで次に生かそう、とか。
また、何が自分にとってプラスに動くか、ときにわからないことってないですか?
もしかしたらこの裏切られたこと、傷ついたことで何かが変わるのかも、とか。
もうそのことではなく、他のことに気を回そう、エネルギーを向けよう、とか。
ときに、済んでしまっていてどうにもならないから考えるのをやめる、考えないようにするしかない、見方を変えるしかない、というようなときもあるのです。
でないと、裏切られた、と打ちのめされたままの状態を続けていくことになってしまいますよね。
裏切られると、なぜ裏切られたのか、私の何が悪かったのか、何をしたらよかったのか、と考えて落ち込みます。
これがまた、答えが出てこないことのほうが多いし、とくに気分が良くならないのです。
自分の精神によくないことなら、やめたらいいのです。
「人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。」ショーペンハウアー(哲学者)
困難に直面することは、どんな人でも避けられないことだし、必ずいつか起きることだから、上手くいかないことや挫折はいつか起きるという前提で、前に進んでいきたいものです。
そこをどう乗り越えていけるのかが、その人の成長の証にもなるのだから、この際考えないほうがいい。
でも、考えないようにすると余計に考えてしまうのであえて「考えない」とするのではなくて別なフォーカスを作る、他の何かに打ち込む。
このサイクルが一番良いのかもしれません。
となると、傷つけられた、裏切られた、どうしてなんで?と過去のことではなく、これから私はどうしていきたいか?どうしたいか?と、今と未来のことにエネルギーを向けるのがベスト。
今現在のパワー、とは、このあたりにも出てくるのですね。
いつでも、自分の感情を選ぶのも自分、傷つけられた、裏切られた、と感じるかどうかも選択するのは自分、と思ってみてください。
人間は案外強い生き物で、傷ついたと思っても案外傷ついていないときもけっこうあります。
逆もあるかもしれませんが、逆なら被害は意外に少なくてすみます。
でも、傷ついた、裏切られた、と受身で思っているとなんとなくそんな気分に余計になってきてしまいます。
ここは、受身にならずにいくこと。
誰も私を傷つけないし、裏切らない、そんなことはさせない、そんなことが起きても、あえてそう思わない選択をしよう、と心に決めておくと、そうなります。
それに、傷つく、裏切られるかもという不安も減る。
自分以外、自分をより深く傷つけることはできない、という言葉を聞いたことがありますが、こちらが真実かも。
「社会が自分を裏切ったから自分はだめになった、などと言うのは口実に過ぎない。自分の教育に責任があるのは、まず自分であり、最終的に自分である。」曽野綾子(作家)
そう、例え理由がどうであれ、最終的に影響を受けるのは自分自身で、他人ではないし、自分のことだと認識しなければ、責任転嫁するだけで、根本的解決にはならないから、どんなことでも、他人のせいではなく、自分自身の問題だと自覚するようにしていきたいものですね。