【日常茶飯事】のんびりしたい朝は、あったかスープの朝ごはん。
「耳に髪かけてわれとふ蟬穴にからりと秋の朝をとりこむ」
(尾﨑朗子『タイガーリリー』より)
そこで自分自身のことを振り返ってみると。
自分に弁解?していませんか。
やれなかった。
やらなかった。
どっちかな?
やらなかった理由をさがせば いくらでもあるんですよね(^^;
「霧雨は世界にやさしい膜をはる 君のすがたは僕と似ている」
(嵯峨直樹『神の翼』より)
人間は、他人に弁解しているうちはまだいいですが。
自分が自分に一生懸命弁解していることがあります。
「××だから、やれなかった」
というのは、本当は「自分がやらなかった」だけではないのか?
やれなかった理由は、実は、自分がやらなかった弁解ではないのか?
人は、誰でも、自分を正当化したいものですが、言い訳や弁解をすることで、自分にとって、やったほうがいいことができなくなってしまうのは、自分のためによくないと思います。
「フランスの語彙を学べるわが上にああ月(リュヌ)といふ此岸の出口」
(黒瀬珂瀾『黒耀宮』より)
ちょっとでも大変そうなことは、すぐに
「自分にはできない」
と思い、やれない理由(言い訳・弁解)を考えることが習性(考え方のクセ)になっている人もいると思われます。
「水中ゆ現世へ還る一瞬に貴種として友のゴーグル光る」
(黒瀬珂瀾『黒耀宮』より)
そういえば、コリン・ターナーも
「何かを実行できない理由ではなく、実行できる理由を探そう」
と言っていましたね。
「ひとが言葉を失ふことのふしあはせと 憎悪が言語[ことば]より出づるふしあはせ」
(森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』より)
また、アラビアのことわざにも
「何かをしたい者は手段を見つけ、何もしたくない者は言い訳を見つける」
とあります。
すぐに言い訳を考えてしまう時は、やりたい気もちが足りないのかもしれません。
やれない理由を考えるヒマがあったら、どうしたらやれるか、もしくは、他のやりたいことをやることを考えたほうがいいのではないでしょうか。
ココロもカラダも満足させるためにも♪
「直立せよ一行の詩 陽炎に揺れつつまさに大地さわげる」
(佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』より)
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