【宿題帳(自習用)】「外国語(英語)をやり直してみる
大人のおさらい3科目目は外国語。
国際感覚ってなんだろう?
英会話ができ、外国人とそつなくつきあえればいい?
一人の人間として異文化とむきあい、平和・人権・環境・エネルギー・農業など人類共通の問題解決に参加できる資質を身につけたい。
国際感覚というと、私たちの多くは、なんとなくわかる気がするのですが、しっかりと説明ができない、と感じているのではないでしょうか?
この難解な問題に対して、唯一の答は出さず、国際感覚の輪郭を浮き彫りにしようとした場合、国際感覚を身につけるためには、自分の意見を持ち、それを正確に伝えられるだけの言語能力が必要なことは言うまでもありませんが、それだけでは不十分ではないかと考えられます。
自分の足もとから自分の国、習慣、文化を見つめ直す視点と、国際的な空間における自分の位置づけ、立場を見据える視点を併せ持つことが重要です。
国際人=英語がペラペラではないですよね^^;
最近は、日本で働いている外国の方と身近に接する機会も増えました。
しかし、それが必ずしも国際的な理解を深めるだけの方向に向かっていないことも残念ながら事実です。
国際的視野を手に入れるには、まず、外国人と接したり、外国に行く機会が増えている中で、さまざまなものの見方や考え方、習慣などがあることを知ることが大切です。
つまり、異文化にきちんと向き合い、そこにある人間の歴史から学ぼうという姿勢が必要だと気づけるかがポイントだと考えます。
もちろん、そのためには彼らの言葉を鵜呑みにするためではなく、私たち自身が彼らの言葉から何をくみ取り、自分自身でどう考えていくのかが、大切になってくるので、会話の流れから、必要な文脈を理解する習慣づけが大事です。
また、国連などの国際機関をはじめとして、いま世界全体がどのような問題に直面しており、それをどのように解決しようとしているのか、そのためにどんな論争があるのかなどを知ることの大切さです。
それは、狭い国益にしばられるのではなく、いわば地球市民としての感覚を身につけ、世界中の人たちと協力して、どこかの国の犠牲のもとに、どこかの国が繁栄するような世界を変えていく視点を手に入れることです。
そのためには、英語で海外のニュースや文献等を読む習慣が身につけられたらベターです。
例えば、ユネスコ国際教育勧告の中の、次のような条項にも示されている理念と通じるものがあるのではないでしょうか。
①すべての民族、その文化、文明、価値および生活様式(国内の民族文化および他国の文化を含む)にたいする理解と尊重。
②諸民族および諸国民の間に世界的な相互依存関係が増大していることの認識。
③他の人びとと交信する能力。
④権利を知るだけでなく、個人、社会集団および国家には、それぞれ相互の間に負うべき義務のあることを知ること。
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次に、日本語という外国語の視点から英語の学び直しを逆説的に考えてみると、「私はスミスです」と「私がスミスです」は、どう違うのですか?
いきなりですが、日本語を勉強している外国人に、こんな質問をされたとします。
「は」と「が」の違い。
文法の授業で習った気もする。
しかし、普段、そんなことは意識せずに使っているわけですが、はたして、どう答えるのが正しいのだろうか?
日本語の文法に基づけば、「○○は××です」の場合、「○○」部分には話し手と聞き手が了解済みの古い情報が入り、「××」に新しい情報が入る、という説明になります。
これは、「何」「誰」のような疑問を示す単語を用いて会話文にしてみるとわかりやすいですね。
Aさん「あの人は誰ですか」
Bさん「(あの人は)スミスさんです」
このとき、「○○」にあたる「あの人」は言わなくても通じています。
換言すれば「スミスさん」こそがAさんの聞きたい(Bさんの伝えたい)新情報であるというわけです。
「○○が××です」という場合は、その逆で、「○○」が新情報になります。
これも会話にしてみると、
Aさん「誰がスミスさんですか」
Bさん「私がスミスです」
となり、ここでは、「スミスさん」なる人物を話題にしていることは、双方が了承済みで、Bさんの発信した「私」がAさんにとっての新情報です。
日本語が母語であれば子供でも「が」と「は」を無意識に区別しているのですが、こうして筋道を立てて考えてみると、私たち日本人は、何が新情報で何がそうでないかを瞬時に判断し、それを助詞ひとつで表現していることがわかります。
こんなふうに、外国人が学ぶ外国語という視点から日本語を見つめ直し、ネイティブスピーカーではなかなか気づくことのできない日本語の特徴や面白さを改めて認識しみるのも、英語学習に役立ったりします。
外国人の立場になってみると、ひらがな、カタカナ、漢字が入り混じった表記や、ネイティブですら正確に使いこなすのが難しい敬語など、日本語は相当に厄介な言語に見えるそうです。
すなわち基本的な読み書きから入り、音節やイントネーションといった音の聞き取りを経て、ある程度慣れ親しんできたら文法へと進んでいくわけですが、ここで外国人が習う日本語教育文法は、日本人が中学で勉強する国文法とは異なるそうです。
国文法の学習は、いろいろな単語を名詞や形容詞にグループ分けしたり動詞の活用を覚えたりと、すでに知っている言語の分析や俯瞰にあたります。
それに対して、日本語教育文法は、「そのルールを知れば一定の文を作り、それを話したり書いたりすることが可能になるための、一定の決まりごと。」なのだそうです。
考えてみれば、私たちがかつて教わった英文法も、英語を分析するためのものではなかった筈です。
例えば、heやTomなどの三人称単数が主語の疑問文には、doではなくdoesを用いるといった約束事を覚えるのは、未知の言語を正しく運用するためでした。
それと同様に、日本語教育の現場でも、厳密な文法よりもむしろ、使いやすいようにパターン化した文の型を教えるそうです。
先のスミス例文でいえば、新しい情報うんぬんまではあえて踏み込まず、「何」「誰」のように疑問を示す語が最初に来る文では「が」を使うと、単純なルールとして説明するといいます。
学習者は、このルールに従っていれば「誰はあの人ですか」のようなミスを犯さずに済むわけです。
生徒に噛み砕いて伝えるためには、教える立場の者は、日本語を感覚的ではなく、論理的に理解していなければならないから、教える立場に立って語学を学ぶ姿勢も、また新たな視点が得られて有効です。
そう、日本人なんだから日本語くらい教えられる、というのは、かなりの誤解です^^;
例えば、こんな一文「山田選手はかなり練習させられていたらしいよ」。
日本語は、述語(誰か・何かが「どうした・どんなだ」に相当する部分)が最後にくる言語です。
そこに使役や受け身など様々な要素が加わると、述語は長く複雑になります。
日本語のネイティブスピーカーである私たちなら感覚的に理解できるだろけど、外国人にしてみれば、この文章はとてつもなく難解に映るようです。
上記の例文の述語を文法的に解析すると、「させ」「られ」「てい」「た」「らしい」「よ」の6要素にわけることができます。
まず「させ」ですが、これは「する」の使役形であり、ここからは山田選手に働きかける他者(おそらく監督)の存在が見てとれます。
続く「られ」は受動態だから、元々山田選手には練習する意志がなかったことがわかります。
「てい」は、ある動作や出来事が、どの局面にあるかを表す「アスペクト」という文法形式で、ここでは動作が進行中であることを示しており、次の「た」でそれが過去の出来事であったことを明かしています。
つまり、過去のある時点において練習を継続して行っていたという意味です。
そして、「らしい」で視点が山田選手から話し手に移り、練習の様子が推測や伝聞であることをほのめかし、最後の「よ」では、さらに話の聞き手に対する念押し的なニュアンスまで込められています。
何気なくしゃべっているような言葉にも、これだけの情報がつまっているんですよね(^^)
日本語の豊かさを改めて実感するとともに、ここまで完璧に把握した上で外国人に教えられるかと問われると、ちょっと心許ないですね^^;
ここまでで何が言いたかったというと、外国人が使う日本語、もしくは英語を使う日本人は、その国の方の基準からすれば美しくはないし、認めがたいものかもしれません。
けれども、英語は既に地球規模であり、また、日本語が地球規模で育っていく過程を認めていく度量(=共感)を持つことで、私たちは世界観を変えることができるかもしれませんね。
さらに、日本語という外国語の知識、そしてそれを学ぶ学習者への共感は、私たちが国際化した母語を見直し、外国人との新しいコミュニケーションのかたちを作っていくための、大切な資産となり、構えとなるものなのかもしれません。
それらは、私たちが英語を学ぶ際にも、とても大事な視点だと思います。
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さて、前置きがむちゃくちゃ長くなりましたが^^;
英語をやり直してみる際の最初の一歩!
折角学んだ英語も、できるだけ正確に伝わらなければ意味がないので、すべての英語学習の基礎は発音にあるからかな(^^)
ヘンな英語を話す人=信用できないという暗黙の了解がネイティブのあいだにはあるんだよね^^;
英語がきちんと読み書きできる外国人は、それなりに皆いろんな苦労をしていました。
単に、現地で生活しているだけではきちんとした文章で話せないので、語学学校でコツコツ楽しく、そして必死になって勉強してもがくしかない。
それから覚えた言葉を実際にどんどん使ってみて。
分からなければ辞書で調べたり、人に聞いたりすること。
そうしながらも日本人の発音がネイティブに通じない最大の原因^^;
それは、音そのものよりも、息の強さにあります。
日本語の発音では、舌を力ませることがほとんどありません。
英語の発音では、舌に力を入れてスプーンのような形にしたり、相手に舌が見えるほど外に突きだしたり、日本語の何倍も筋肉を使います。
もうおわかりだと思いますが、英語の発音で一番たいせつなのは、体の筋力なんですよね。
腹・舌・口・顔の筋肉を英語仕様にするだけで、英語の発音は、びっくりするほどネイティブに通じるようになります。(エステよりも効果的?!美容効果もあるようですよ。)
その根拠のひとつが、英語のネイティブではないヨーロッパ系の人の英語にあります。
そう、彼らの英語が強いなまりがあっても通じるのは、息を吐き出す力が強く、音がしっかり相手に届いているからなんですよね。
それでもその苦労を乗り越えて、さまざまな外国人と社会人としてコミュニケーションをとれるようになるというのは、人生の上で大きな武器になるし、自信になることは間違いないと思います(^^)
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