【雑記】幽霊(おばけ)信じてる?
■回想
高校生の時に、友人A&B君達と、夜の学校探検ツアーと称して潜入捜査経験あり。
良い子は真似しないでね!
夜の校舎はちょっと不気味です^^;
夜の学校は、何故あんなにも怖い雰囲気を醸し出せるか?
西尾維新さんの小説だったかな?
学校というのは、昼間の使用を前提に建築されているために窓のつくりや照明の配置がされているので、夜は不気味に感じるのだとか・・・
確かに、そうかも^^;
でも、それよりも、その学校にある不思議が原因の様な気がします。
みなさんの学校には、どんな不思議が伝えられていましたか?
例えば、こんな学校の不思議達^^;
・トイレの花子さん
・音楽室の肖像画の目が動く
・誰もいないのに楽器が鳴る
・二宮金次郎が歩く
・人体模型が歩き回る
・階段が13段に増える
・踊り場にある大鏡
・8つ目以降の学校の七不思議
・時速100kmで追いかけてくるテケテケ
・プールに引きずり込む霊
・異世界に繋がっている
・モナリザがずっと見てくる
・トイレから手が出てくる
・描き足される絵
・誰もいない体育館でボールが跳ねる
・落ち武者の幽霊
・誰もいないのに突然校内放送が流れる
・体育館の幻覚
・開かずの間
・校庭に墓地が出現
・桜の木の下に遺体がある
・夜中に旧校舎が現れる
・体育の時間に謎の手に足を掴まれる
・動くデッサン模型
・家庭科室で包丁が飛びまわる
・風もないのに動くブランコ
やっぱり、トイレの花子さんが怖かったかな(´艸`)
■事例紹介
そうそう、みなさんは、おばけ信じてる?
信じるか信じないかは自分次第・・・
実話1:友人A君は、超有名な観光地で落ち武者(憑依霊?)に取り憑かれて死にかけた(^^;
実話2:友人B君の実家でのこと、便所の窓から見える空き地に(地縛霊?が)座っていると言い、友達A君も見えるのだけれど、自分だけ見えない、なんでだよ^^;
ん~
バイクで転倒して、間一髪で後続のトラックが停車&打撲程度ですんだのですが・・・
婆ちゃんの守護霊は信じてる、かな(^^)
以下の幽霊たちには、身近な事例報告無しです(´艸`)
・精霊
・背後霊
・指導霊
・生霊
・浮遊霊
■ホラー漫画家伊藤潤二の映像をこえている恐怖
「新・闇の声潰談 新版」(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)伊藤潤二(著)
是非!読んで欲しい漫画:幽霊になりたくない
コメント:原因も目的も不明、そして未解決のままの放置プレイ・・・唐突過ぎるぜ(大滝汗)
■ポストモダン文学はいかが?
「幽霊たち」(新潮文庫)ポール・オースター(著)柴田元幸(訳)
【本の内容】
私立探偵ブルーは奇妙な依頼を受けた。
変装した男ホワイトから、ブラックを見張るように、と。
真向いの部屋から、ブルーは見張り続ける。
だが、ブラックの日常に何も変化もない。
彼は、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。
ブルーは空想の世界に彷徨う。
ブラックの正体やホワイトの目的を推理して。
次第に、不安と焦燥と疑惑に駆られるブルー・・・
’80年代アメリカ文学の代表的作品。
【感想】
「ニューヨーク・トリロジー」と呼ばれることになる三部作「シティ・オブ・グラス」「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」の2作めです。
本書は、主人公が探偵で、彼が依頼を受けるのが話の発端のため、どこかミステリ仕立ての作品とも言えます。
しかし、「どこでもない場所」に迷い込んだ主人公は、そこで起こる事件でない事件(=「なにも起こらない」)に対応しつつも謎は深まるばかりで解決しません(^^;
そんな状況は、どちらかと言えばモダニズム的な感触を受けつつ、どこか抽象的な絵の中の出来事のように論理的な脈絡を持たない作品のような感覚に襲われます。
却ってそれがこの複雑な現代社会というものを、
「そう、我々のまわりは幽霊たちであふれている。」
言葉で心情的に表現しているような気がします。
そして、
「誰でもなくなってゆく」
世界を彼自身の方法、つまり、カフカやベケット同様に、主人公に待機、いわゆるゴドー待ちを強いるという退屈きわまりない状況を設定した上で、むしろその状況を逆手にとるように、彼らしいやり方で軽やかに物語で構築しているのかも。
ストーリーは、わざと狙ってそうしてるのだろうけど、
「シティ・オヴ・グラス」(角川文庫)ポール・オースター(著)山本楡美子/郷原宏(訳)
とほとんど同じ。
同じような話を別の作家が書いたような、ストーリーは似ててテイストがまったく違う2つの小説を読む楽しませてくれる感じでしょうか?
そして、本書で中心をなすのは、書物をめぐる孤独であり、この本に関しては徹底して孤独がクローズアップされています。
人は本を読むとき孤独を排除することはできないし、ましてや、本や文章を書くこともまた、孤独を招き入れずにはおきません。
そんなメタフィクショナルな考察を差し挟みながら、オースターが我々に問いかけてくるのは、読むことや書くことの孤独であり、それはそのまま「見張ること」「見張られること」、「追跡すること」「追跡されること」の孤独へと重なっていかざるを得ないだろうということ。
「エレガントな前衛」という言葉に、オースターのかっこよさがよく現れていると思います。
この小説はちょっとマニア向けですが、続く大傑作の三作目
「鍵のかかった部屋」( 白水Uブックス)ポール・オースター(著)柴田元幸(訳)
を読むためのランニングとしては、いいアクセントにもなっています。
一級のストーリーテラーにして文章家、そして新しい文学の牽引者が描く「なにも起こらない」小説の面白さが味わえると思いますが、起承転結が無い話は気持ち悪いと言う人には向かないと思います。
そうそう、この三部作は順序正しく読むことが重要なので、ちゃんと「シティ・オヴ・グラス」のあとに読んでくださいね(^^)
【参考記事】
■今こそ、あたらしいコトバが必要だ。
「例えば、悲しいという言葉は、悲しい気持ちを表しきれない。
表せない感情はディスカウントされてしまう。
そうじゃないコトバというものを、そろそろ考える必要があるんじゃないか」。
こう語るのは、能楽師の安田登さん。
感情を表すコトバ。
見えないものを浮き彫りにするコトバ。
複雑なものを複雑なまま語ることができるコトバ。
安田さんの言う「コトバ」とは、文字も、声も、絵も、音楽も、そういうすべてを引っくるめたもののこと。
世界と接続して、世界を他人の脳内に再現する媒体、それがコトバです。
能のワキとしても、シテ(主人公)の無念の物語に耳を傾け、残念が昇華する手伝いをする安田さん。
コトバの力については、並々ならぬ実感と確信を持たれています。
「ワキから見る能世界」(生活人新書)安田登(著)
[ 内容 ]
生者はとどまらない。
とどまるのは死者だけ。
「能」の物語は、生きている「ワキ」と、幽霊あるいは精霊である「シテ」の出会いから始まる。
旅を続けるワキが迷い込んだ異界で語られるのは、執心か、追慕か、残恨か…芭蕉の旅、漱石、三島に大きな影響を与えた日本文学の原点を、ワキの視点から捉え直す。
脇役ではない、「ワキ」から見た能は深くてこんなにも面白い。
[ 目次 ]
第1章 異界と出会うことがなぜ重要か(定家 時空の歪みが能の物語を引き起こす ほか)
第2章 ワキが出会う彼岸と此岸(無力なワキ 「旅」がワキのキーワード ほか)
第3章 己れを「無用のもの」と思いなしたもの(「空洞」な旅人 敦盛 ほか)
第4章 ワキ的世界を生きる人々(ワキ的世界に入れる人、入れない人 松尾芭蕉の旅路 ほか)
[ 問題提起 ]
いうまでもなく、ここに書かれている「旅」は「人生」に置き換えてもいいのだろう。
ここでは、準備期間のない人生が、いかにして豊かな旅へと結びつくのか、についてのひとつの方向が示されている。
「能楽を観たことのあるひとならば、どうせやるならワキより、シテ、と思うだろう」と著者もあとがきで書いている。
それらの相違は、たんなる配役によるもの、あるいは、ワキの経験を積んでから、シテをやる、という程度にしか思われていないのだろう。
しかし、一度きめたら変えられない「役」として、20代なかば過ぎから謡の稽古をはじめた著者は、分別をもってシテではなく、ワキを選んだ。
その理由のひとつとして、ワキの代表的登場人物である、一所に定住せず諸国を漂泊する旅の僧の存在に強く魅かれたからだと、それまでの旅において、日常生活では出会えないような遭遇が、予期しなかった形で起こったことに触れる。
[ 結論 ]
ワキ(だけ)が、異界に紛れ込んで、思いを残してこの世を去った亡霊であるシテに出会うことができるのはなぜか、ということを考えていくうちに、芭蕉や漱石をはじめ、さまざまな人たちが、ワキの旅をしていることに気づいたのである。
もちろん、そういった旅を誰しもができるわけではない。
添乗員つき団体「ツアー」でも、忙しい日常生活から逃避する「トラヴェル」でもだめなのだろう。
目的地ではなく、そこへ到着するまでの過程が大事なのだと著者も述べている。
何があるのかわかっているのなら、ましてや、いいものがありますよという口車にのるのなら、わざわざ出かけてみることはない。
そこにたどりつくまでに、何があるのかわからないから、わたしたちは、さまざまなしがらみを断ち切って、自分自身の企図でもって、あえて旅立つのであろう。
そのような旅において、能世界に見立てること、俳句を詠むこと、そして読書することを著者はすすめている。
そのためには十分な準備が必要なのだろう。
[ コメント ]
いうまでもなく、ここに書かれている「旅」は「人生」に置き換えてもいいのだろう。
ここでは、準備期間のない人生が、いかにして豊かな旅へと結びつくのか、についてのひとつの方向が示されている。
■「ゴシック」という概念のさまざまな変容を追う
「「幽霊屋敷」の文化史」(講談社現代新書)加藤耕一(著)
[ 内容 ]
恐怖が娯楽に変わるとき。
18世紀のゴシック小説から現代のディズニーランドへ。
[ 目次 ]
はじめに 東京デイズニイランドに往きしことある人は…
第1章 ホーンテッド・マンション再訪
第2章 それはゴシック・ストーリーから始まった
第3章 そこに不気味な館は建つ
第4章 ファンタスマゴリーの魅惑
第5章 蝋人形とペッパーズ・ゴースト
第6章 幽霊屋敷のアメリカ化
むすびに ふたたび東京へ
[ 問題提起 ]
著者は、はじめに、こう綴っている。
「本書は、世界でもっとも有名であり、またもっとも人びとから愛されているであろう、この特異な幽霊屋敷がヨーロッパからアメリカを経て東京に至る歴史的・文化的な背景を一つひとつたどりながら、その魅力を解き明かそうとの試みである」
著者は、東大の大学院を出た、建築学の研究者。
1973年生まれ。
冒頭から、東京ディズニーランドの「幽霊屋敷」ホーンテッド・マンションの構造ついて、40ページものボリュームを割いて綴られる。
[ 結論 ]
来場者を待ち受ける、あの天井が“伸びる部屋”は、どのような造りになっているのか。
異様に長い廊下。
なぜ、あのような複雑な設計にする必要があったのか。
植物が生い茂った外観も妙だし、みるみるうちに年老いていく肖像画も手が込んでいる。
これらの不思議を、熱っぽく、詳細に論じた「建築の本」はかつてなかっただろう。
たかが遊園地の一施設などと甘くみていない。
記述の仕方は、マジシャンが、同業者の苦心の種をあかそうとするのに近い。
ディズニーからは協力を得られなかったのか、写真の代わりに、いくつもの図面が使われている。
自分の目で、何度もたしかめながら、推理小説の探偵のように書き起こしたのがわかる。
なにより、すごいのは、からくりがわかるほど、ホーンテッド・マンションに行きたくなることだ。
ホーンテッド・マンションは、いろんなモノから影響を受けている。
たとえば、1963年に公開されたロバート・ワイズ監督の映画「ザ・ホーンティング」(邦題「たたり」)。
「この映画のなかで、登場人物たちが幽霊の恐怖に怯え、肩を寄せ合っている部屋に、何者かが迫ってくるシーンがある。
鍵をかけた扉のノブがガチャガチャと激しく揺さぶられ、それが開かないとなると、ドーンドーンという低く響く音を立てて扉に強烈な圧力がかかりだす。
扉はゴムでできているかのように歪み、湾曲して、膨らむのである。
CGなどなかった時代の、このシーンの迫力は特筆すべきものであるが、これがホーンテッド・マンションにも大きな影響を与えたといえるだろう」
映画では、幽霊がいっさい登場しない。
恐怖をつくりだしているのは、ゴシックふうな屋敷である。
しかも、スクリーンには恐怖の源として映るこの屋敷は、実際にみると、歴史を感じさせるものの、明るい印象を与える建築物だという。
白黒フィルムが、建物を不気味な存在に変えたということだ。
ここで著者は、観客が見たいのは「何かが起こる予感」だと指摘している。
できごとそのものではなく、「予感」に期待を膨らませるのだ。
もうひとつ、ホーンテッド・マンションに強い影響を与えたものとして、18世紀の英国における「廃墟ブーム」をあげている。
ブームからさかのぼること200年前、ヘンリー8世によってカトリック教会が弾圧されてからというもの、多くの修道院が廃墟化していた。
後世の貴族たちは、これら中世の建築に使用されたのと同じ石材でもって、本物と見まがうばかりのゴシック風の「廃墟」をわざわざつくろうとした。
ブームは、かなりなものだったらしく、下級の地主層までもが、ときには材料費をケチりながら、廃墟づくりを愉しんだという。
バッタモノでもいいから、おいらも廃墟を所有したいと欲する背景には、「崇高」と「恐怖」がまじりあった、何かが起こる予感にぞくぞくする、そんなロマンチックな空気があったらしい。
またも、予感である。
この廃墟ブームと重なるようにして、18世紀後半に、「幽霊」を売り物にするアミューズメント施設ができ、幽霊見たさに人が集まるようになったと著者は整理する。
ロンドンでは、ポルターガイスト(騒霊現象)が話題になった。
テーブルをがたがた揺らし、幽霊と交信するイベントだった。
インテリ層からはあやしまれながらも、無視しがたい人気を集めていた。
パリでは「ファンタスマゴリー」と呼ばれる、幻灯機を使った“幽霊ショー”が盛況を博していた。
フランス革命でギロチンの犠牲となった人たちの「亡霊」を出現させるとの触れ込みだったが、ルイ16世の霊まで可能と大口をたたいたがため、司直の手によって小屋は封鎖。
その後は、娯楽性を高めた興行に模様替えし、成功を収めてゆく。
発案者が特許を申請し、裁判を起こすほど、類似の幽霊ショーがふえたらしい。
場所は、廃墟となった修道院の地下墓所などを利用していた。
「文化史」だけあって本書では、当時の盛り上がりが詳しく紹介されている。
観客が見たいと望んだ「亡霊」は著名人ばかりでなく、人気が高まるにつれ「昨日、うちに押し入った泥棒に会わせろ」とリクエストするものが出て、それに拍手が起こるほど、なんでもありだったようだ。
最近まで、どのチャンネルをまわしてもやっていた、あなたのご先祖さまの霊が見えますみたいなものか。
著者は、こうまとめている。
「幽霊そのものよりも、ふつうであればお目にかかることのできない人物を見ることができるという点に人気が集まっていたといってよかろう。
それは現代にたとえれば、ワイドショー的な好奇心の満たしかたであった」
ホーンテッド・マンションには、幽霊屋敷でありながら、まがまがしさはない。
それでも、人が集まるのは、どうしてなのか。
それを著者は、バンジージャンプにたとえている。
準備段階のほうが、実際の落下体験より恐ろしい。
あるいは、クリスマス当日よりも、前日の飾り付けに心がときめくのも同様。
つまり、人々は、いまにも何かが起こりそうな雰囲気を欲している。
これは、18世紀の廃墟ブームとホーンテッド・マンションとをつなぐ1本のラインというわけだ。
起こることよりも「起こりそうな予感」をあじわいたくて、人々はわざわざ幽霊屋敷に足を運ぶ。
裏返せば、それぐらい、わたしたちはせっかちな生活を送っているともいえる。
「予感」のためにカネをはらって遠出して、行列までつくろうというのだから。
[ コメント ]
そんなことをあれこれ考えていると、バッタモンの廃墟をこしらえたり、インチキくさい幽霊ショーで騒いだりするなんてなんともオバカっぽくて、18世紀末が身近に思えてくる。
なんだかんだと、ご先祖さまたちは落ち着かない時代を生きていたんだろうかと。
■幽霊と音楽
米津玄師「ゴーゴー幽霊船」
米津玄師「海の幽霊」
ヨルシカ「雲と幽霊」
ヨルシカ「花に亡霊」
ヨルシカ「晴る」
wooderd chiarie「幽霊たち」
セプテンバーミー「幽霊ダイブ」
クリープハイプ「幽霊失格」
ニガミ17才「幽霊であるし」
宝鐘マリン「幽霊船戦」
まふまふ「ユウレイ」
Reol「ゆーれいずみー / Phanto(me)」
ナツノセ「感傷幽霊 feat.沖石」
さくまひでき「さよならゆうれい君」
Ayase / YOASOBI「幽霊東京」
くじら「ねむるまち feat.yama」
ベートーヴェン「ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」Op.70, No.1 第2楽章」
ブゾーニ「インディアン日誌 第2集「幽霊の輪舞の歌」 Op.47」
ヴィエルヌ「孤独 Op.44 第4曲 お化けのロンド」
■音楽の心霊ツアー「恐怖のクラシック・メドレー」
■幽霊学
「幽霊学入門」(ハンドブック・シリーズ)河合祥一郎(編)
「幽霊 近世都市が生み出した化物」(歴史文化ライブラリー)髙岡弘幸(著)
「幽霊の歴史文化学」(二松学舎大学学術叢書)小山聡子/松本健太郎(編)
「日本の幽霊」(岩波新書)諏訪春雄(著)
「もののけの日本史-死霊、幽霊、妖怪の1000年」(中公新書)小山聡子(著)
■幽霊小説
「妖精・幽霊短編小説集 『ダブリナーズ』と異界の住人たち」 (平凡社ライブラリー)J.ジョイス/W.B.イェイツ (著)下楠昌哉(編)
「トランペット」(白水Uブックス)ウォルター・デ・ラ・メア(著)エドワード・ゴーリー(イラスト)和爾桃子(訳)
「本の幽霊」西崎憲 (著)
■幽霊と詩
「わたくしの幽霊」鈴木志郎康(著)
「ゴースト・ポエティカ ――添田馨幽霊詩論集」添田馨(著)
「幽霊、詩と散文」岡部淳太郎(著)
「呟き部屋の幽霊」石川道生(著)
■歌を追うごとに「殺人」の真相に近づいていく短歌集?
「空間における殺人の再現」永井亘(著)
■昔話「幽霊の歌」にみる伝承の変容
■幽霊を使用した短歌
「「幽霊とは、夏の夜に散る病葉(わくらば)のことです」とその街路樹の病葉が言ふ」
(松平修文『蓬(ノヤ)』より)
「幽霊でございます、と起きてくる祖母のジョークを諫めておりぬ」
(原田彩加『黄色いボート』より)
「六道の辻地蔵尊の斜向かひ〈幽霊子育飴〉ひつそりと在り」
(大塚寅彦『ハビタブルゾーン』より)
「ゆるやかな心変わりで幽霊に会えなくなった八月のこれから」
(N/W「幽霊たち」(Website「TOM」より)より)
■あなたとよむ短歌 vol.33 テーマ詠「ホラー」
■かすかに怖い短歌(選:光森裕樹さん)
「橋なかば傘めぐらせば川下に同じ橋あり人と馬行く」
(岡本かの子『かろきねたみ』より)
「「蠅はみんな同じ夢を見る」といふ静けき真昼 ひとを待ちをり」
(魚村晋太郎『銀耳』より)
「モナリザは笑みてをらずと夢に来し誰かは言へり雨月ふかき夜」
(大塚寅彦『ガウディの月』より)
「七月十七日かなかな鳴けり幾度か短く鳴けり夜のベランダに」
(花山多佳子『草舟』より)
「幼年時代の記憶をたどれば野の果てで幾度も同じ葬列に会う」
(永井陽子『葦牙』より)
「炎昼の往還に人絶えぬればあらはるる平沼銃砲火薬店」
(柚木圭也『心音(ノイズ)』より)
「陽炎に裏表ある確信を持ちてしずかに板の間に伏す」
(棚木恒寿『天の腕』より)
「太陽の沈まぬ国のひまはりは首落つるまで陽を追ふといふ」
(朋千絵『リリヤン』より)
「夏なのに咲かない向日葵 泣いていた記憶ばかりが鮮明、ずっと」
(岩崎恵『手紙の森』より)
「きっと血のように栞を垂らしてるあなたに貸したままのあの本」
(兵庫ユカ『七月の心臓』より)
「急行を待つ行列のうしろでは「オランウータン食べられますか」」
(大滝和子『人類のバイオリン』より)
「吉野家の向かいの客が食べ終わりほぼ同じ客がその席に着く」
(望月裕二郎『あそこ』より)
「わたあめ屋歩めばさらにわたあめ屋売る人の顔みな同じなる」
(吉川宏志『青蟬』より)
「僕たちは生きる、わらう、たべる、ねむる、へんにあかるい共同墓地で」
(岸原さや『声、あるいは音のような』より)
「こわいのよ われに似る子が突然に空の奥処を指さすことも」
(江戸雪『椿夜』より)
「ゆつたりと生きゆく人とゆつたりと死にゆく人が花の真下を」
(仙波龍英『墓地裏の花屋』より)
■幽霊を使用した俳句
幽霊のあそび所や花卯木/山店
揺るる大海彦の幽霊物質/林桂
幽霊の出所はあり薄原/上島鬼貫
幽霊ノ如キ東寺ヤ朧月/正岡子規
短夜の幽霊多き墓場かな/正岡子規
短夜や幽霊消えて鶏の声/正岡子規
幽霊の出る町あたり昼涼し/正岡子規
幽霊の出る井戸涸れて雲の峯/正岡子規
幽霊の出るてふあたり昼涼し/正岡子規
幽霊の出るといふなる柳かな/正岡子規
いなづまや舟幽霊の呼ふ声/炭太祇
おば捨や幽霊に逢ふ今宵の月/如流
幼子に幽霊をしへ夜の秋/矢島渚男
幽霊に水のませたか鉢たたき/智月
幽霊に見えよ網代の痩男/浜田酒堂
幽霊のみな美しき絵灯篭/小島左京
幽霊茸引けば黒々土掴む/鈴木貞雄
亡霊と幽霊血液型ちがふ/波多洋子
幽霊が出る理科室も夏休/三村純也
頭ある憂さにんげんに幽霊に/原徹
白萩に幽霊の絵を売る男/鈴木鷹夫
冷房の前後左右は幽霊図/松山足羽
ここ迄が咄のさはり幽霊譚/高澤良一
幽霊の指に力のありにけり/相原澄江
幽霊になかなか遇はず夏館/桑原三郎
幽霊草蝋涙凝りし花を垂れ/若木一朗
松の花幽霊はまだ毛穴にゐる/金子晉
幽霊茸修験の杖の一打かな/長谷川櫂
円朝の幽霊画幅お風入れ/越桐三枝子
冷まじや幽霊の哭く薪能/関口ふさの
出しものは船幽霊や盆芝居/平谷破葉
寺宝なる幽霊両幅を虫干す/北野民夫
幽霊の軸を寺宝に雨月かな/佐藤俊子
人の息かかり幽霊蜘蛛動く/堀井英子
雨の日の障子明りに幽霊図/高澤良一
苗札の幽霊草の嫌はるる/後藤比奈夫
短日や幽霊蜘蛛を恋人に/高野ムツオ
幽霊図遠巻きにして十夜寺/小島美恵子
ふらふらと幽霊図立つ円朝忌/岡田貞峰
もみづれる寺に預かる幽霊図/高澤良一
幽霊の手の下げどころ夏芝居/高田好子
春や達治幽霊坂をのぼりくる/大屋達治
幽霊の立ち寄りさうな泉かな/東野鷹志
幽霊も一人二人と数うべき/宇多喜代子
幽霊の出てハムレット明易し/都筑智子
幽霊の足取りここに来て不明/中原道夫
幽霊の出番はなはだしく狂ふ/中原道夫
幽霊も鬱なるか傘さして立つ/高柳重信
幽霊図大方をんなお風入れ/和気久良子
すと現れて幽霊面を受け継ぐ子/高澤良一
コカコーラ持つて幽霊見物に/宇多喜代子
六道参り幽霊飴をしやぶりけり/青柳雅子
壁抜けて幽霊はもう死ねぬなり/桑原三郎
川に無数の幽霊の手や原爆忌/田川飛旅子
幽霊の基礎平面がチェロである/夏石番矢
幽霊蜘蛛影のごとくに脚つかふ/大橋敦子
揺れてゐる幽霊花は嫌ひなり/稲葉南海子
幽霊に撥あらたまる下座囃子/青山登久子
日当たれば溶けさうな白幽霊草/山田弘子
幽霊の世間をしんとさすかたさ/門屋和子
幽霊となるまで芒立つ気かな/相原左義長
幽霊が出る城尖塔への闇の濃淡/伊丹公子
雁わたり幽霊の絵を掛けながす/下村槐太
桜影かなし世の風美女が幽霊か/井原西鶴
幽霊草くたびれ易きこころの灯/佐怒賀正美
幽霊草人目に付いてしまひけり/西村しげ子
幽霊みえて/白ねぎが煮えている/松本恭子
幽霊のよく出た庭よりカンナ咲く/五島高資
東北やむかし出会ひし子持ち幽霊/高柳重信
幽霊にあまた聞きたい時間がない/玉乃井明
幽霊が出て来て蚊帳を吊れと言ふ/矢代克康
春光覗けば幽霊たまたま肩おとす/平井さち子
淋しい幽霊いくつも壁を抜けるなり/高柳重信
幽霊になつてゐるとは気付かざる/まついひろこ
幽霊一匹つかまえられなくって/ところてん/松本恭子
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