見出し画像

【日常茶飯事】太陽が昇りつつある朝の光景は夜景に劣らぬ美しさ☆

どんなに辛くても、どんなに悲しくても、必ず明日はやってきます。

明日がこない日はない!

希望ある明日が!

明るい未来が!

だから、けして諦めず、けしてへこたれず、わずかな光が差し込むその日まで、進んでいきたいですね(^^)

「白鳥と太陽が呼吸をとめる一瞬のまぶたのようにあなたであった」
(瀬戸夏子「源平合戦」/「短歌研究」2018年2月号より)

どこまで歩いても、抜け出せない。

「迷い」

「困難」

にぶつかったときは、まるで、ふかい森に迷い込んだような感覚になります。

けれども人は、踏みしめて進むほど、森には、森だけがもつ独特の暗さと、独特のひかりがあることに気づくはずです。

「太陽を迎える準備はできている菜の花畑に仁王立ちする」
(小島なお『サリンジャーは死んでしまった』より)

ひかりのあつまる場所から、目線をあげれば、木々のあいだに、一片の空が見えてくるはずだから。

その空は、あかるい場所から見上げる空よりも、はるかに透きとおって、ひろびろとして見えると思います。

希望とは、森の中で見上げた空の色、なのだと思いませんか?

森は、わたしたちに、この世界に、ひかりがあることを教えてくれる。

どんなときも。

どんな場所にいても。

そう、希望にあふれた朝日が、今日もふりそそいでくれます。

真っ白の明日を、今日が用意してくれていて、明るい未来が待っていると思ったほうが楽しいから(^^)

だから前を向いて、一歩一歩、着実に歩もう!

一歩。

一歩。

地に足をつけて。

歩いていこう!

ただ、そんなに簡単には進ませてくれませんよね(^^;

「ちゃんと歩いてここまで来たってわかるから靴は汚れているほうがいい」
(上澄眠『苺の心臓』より)

ああして笑ってるけど、親父はすごく苦労したんだよな。

こんなんで疲れたなんて言ってられないよな。

お母さんは、もっと大変だったんだから、このぐらい頑張らなくちゃ。

他の人は、もっと大変な状況の中で頑張ってる。

そんな風に思って頑張れることがあります。

ここぞという踏ん張り時に、それは、とても力を発揮してくれます。

もう限界だと思った時、あと一頑張りできる力を出せます。

あなたは、どんな時に、

「あの人はもっと頑張ってるんだよな」

という風に思いますか?

よく思いますか?

そうでもないですか?

「みづからが飛べざる高さを空と呼び夕陽のさきへ鳥もゆくのか」
(光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』より)

もしも、よく思うのだとしたら、ちょっと考えてみましょう。

あなたは、今、自分で、どのぐらいの荷物を持っているのでしょうか?

あの目標の場所に、目標の期日に、辿り着けるためには、あとどのぐらいの荷物を持つ必要がありますか?

そのために、

「あの人はもっと頑張ってる(自分はもっと頑張らなければならない)」

という荷物を持つ必要がありますか?

それは、今、本当に必要な荷物ですか?

もしかして、それは誰か他の人の荷物ではありませんか?

自分で、よく思うな、と思い当たった人は、ちょっと点検してみましょう。

「お母さんは、ずっと苦労してきたのよ。」

「苦しくても、懸命に一家を支えてきたんだ。」

もしかして、そんなご両親の口癖を聞いて、大きくなってはいませんか?

そのために、こんな考え方の癖を持ってしまっているかもしれません。

他の人は、もっとずっと頑張ってるんだから、自分は、もっと頑張らなければならない。

お母さんは、結婚してからずっと苦労してきたんだから、苦労しなければ望むものは手に入らない。

親父は、苦労して家族を養ってきたんだから、俺はもっと頑張って楽させてやらなけりゃ。

そうだとしたら、それは、誰か他の人の荷物も持たなければならない、という考え方の癖を持ってしまっていると言えるでしょう。

お母さんが、お父さんが、どれほど大変だったかということに思いを馳せることは、あなたという人が育ってきた環境を理解する上でとても大切な作業でしょう。

でも、あなたがその重荷を持っていく必要はないのです。

「横にいるわたしはあなたのかなしみの一部となりて川鵜みている」
(江戸雪『昼の夢の終わり』より)

それは、お母さん、お父さんご自身の荷物なのですから。

あなたは、あなた自身の荷物をしっかり持てばいいのです。

人の荷物を持つことも、時には力となります。

でも、いつも、いつも、持つ必要はないんですよね。

暮らしを重ねていくにつれ、人はみな、背負うものが増えてゆきます。

けれど、運べないほどの重すぎる人生なんて、この世界にはなくて、それはまた、決して軽すぎる人生なんて一つもない、ということ。

たいていの人は、自分の人生を、無理なく背負えるだけの、ちょうどな力を持っている、と思うのです。

荷物が重くなれば、その重みに耐えうるだけのたくましさが育って、重いバッグの中には、きっと、背負うことは苦しくないと思えるような幸せや、希望の種なんかもぎゅっと詰まっている。

そんなふうに考えると、

「よいしょ!」

と力がわいてくるような気がしませんか?

「ハンカチを泪のために使ふことなくなりて小さき菓子など包む」
(雨宮雅子『水の花』より)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?