気分と気持ちの日内変動
一日のうちで気分の変化が続く 朝起きた時は体がだるくて洗面所に行くまでに20分と気力を必要とする 昼過ぎまで布団の中で過ごして、ようやく気分が回復して少し動けるようになる 夜は少し元気になるけれど、調子に乗るとどっと疲れが襲ってくるのが分かっているから、無理に動き出そうとしないようにしている そして翌日の体の怠さを恐れながら眠りにつこうとする もちろんスッと眠れるわけはない
こうして自身の体調や気分の上がり下がりを書き留めたり、友人と往復書簡を始めたりと、文章を書く頻度が増えている でも文章を書いている時は比較的落ち着いている 残りの時間はとにかく本を読んでいる 自分の今後の生き方を考えたり、お金に縛られない方法を研究したり、同じように精神の不調で苦しんでいる人の文章を読む
noteに残してきた文章は、資料や分析に基づいたものではなくて、自分が影響を受けたことについて雑多に書いていたり、自分の体調の変化をただ書き記しているにすぎない いわゆる当事者研究みたいなものである ゆくゆくはZINEにでもして数人に読んでもらえたら良いなあと思う
一昨日あたり、熱はあったが少し気分が良くて頭もスッキリしていたので、中島らも「ガダラの豚」を一気読みした 三部作で、カルト宗教、アフリカの呪術、洗脳、超能力等々に関するとんでもストーリーが展開されている 中島らもが躁のまま書き切ったのか、凄まじい世界観で現実との境界線が失われるほど没入した 小説を読むという体験の凄みを思い出した 中島らもといえば、「こころが雨漏りする日には」というエッセイもとんでもなく好きだ
日内変動の話からだいぶ逸れているけれど、最近、アナーカ・フェミニスト高島鈴さんの「布団の中から蜂起せよ」というエッセイを読んだ アナーカ・フェミニストと宣言して生きる高島さんの日々生きていく苦しみが滲み出ていて、なんだか同志を得たような気持ちになった
やっぱりなんだか孤独を感じて、自分一人取り残されてしまった気持ちになることが多いけれど、純粋に本に救われているなと感じる 本に救われると同時に、もっといろんな人とつながっていたいなと切に願う 人とうまくコミュニケーションをとることに対して苦手意識があるし、相手との壁を壊そうと焦って空回りな発言をしてしまうときもある 会話が盛り上がってきても、これ以上何を聞いたらいいかパニックになってしまい、痛々しい自分語りを始めて後になって深く落ち込んでしまうこともある だから人と関わるのは怖いんだけど、でもつながっていたいと願っている 会話術の本で勉強するんじゃなくて、適当な話も向かい合ってする話も自分のやり方でうまくできるようになりたい とにかく素直に寂しいなとおもう パートナーがいてくれるおかげで、物理的には一人ではないし、何か困ったことがあれば手を差し伸べてくれる でも自分の気分次第で相手を深く傷つけてしまうことも多々あるし、相手の要求に対して正面から答える体力気力がないときもある 自分と関わっていると不幸になるのではという自己否定が押し寄せてくる 自己否定に逃げんなよと自分に思いながら
ちなみにこの文章を書いているのは昼過ぎで、午前中は本当にダメだった 何をしていても最悪な気分だったし、食欲もないけれどなんとかご飯を掻き込んで食べた この文章を書いているうちに少しずつ気持ちが落ち着いていることに気づいてきた 文学フリマに出ようという気力も少し湧いてきて、誰がお前の書いた文章を読むんだとも思いながら、実行に移していきたい 一月末から働くことになっているけれど、仕事の心配はあまりしていない 寧ろ仕事以外の時間をいかに充実させるかが大切だと今までの就職経験が教えてくれたような気がする 仕事以外でバンドやったり絵を描いたり、何か一つでも活動的にやっている人は輝いているよなと思う 仕事だけの一本槍で生きていると、つまづいた時に立ち上がれないから、つまづいたときに支えてくれる好きなことって必要だ