【どうする家康】“フィクションです”テロップを入れるか入れないかの不毛な論争。瀬名はなぜ浜松で暮らさなかったのか。第20回「岡崎クーデター」レビュー
NHK大河ドラマ『どうする家康』(以下、『どう康』)第20回のレビューです。
前回の感想はこちら↓
(※以下、ネタバレ注意)
(※本記事のセリフの引用箇所は一部ノベライズに準拠しており、ドラマのセリフとは異なる場合がございます)
●大河には「フィクションです」とテロップ入れるべき?某歴史評論家からの今さらすぎる提言に草ァ!
もう6月ですね……本日は第21回「長篠を救え!」の放送日ではありますが。この記事では、先週の第20回「岡崎クーデター」のレビューをお送りいたします。
いろいろ間に合ってないな……。
というかぶっちゃけ、第20回、普通に面白かったですよね?個人的にはすごくオーソドックスな大河ドラマやってる感じで、往年の大河ドラマ好きにも刺さったんじゃないかと安心して見れてたんですけれども。
ちょっと、信康(演:細田佳央太)あやうし!なドキドキもありましたし。そこもまたウマいこと徳川家臣団が救い出してくれるわけで。それでいて古臭いドラマの「ご都合主義」も感じさせない。実は山田八蔵(演:米本学仁)のおかげで事前に大岡弥四郎(演:毎熊克哉)の企みが知らされていたことが後から明らかとなり、「騙された!」が得意な古沢良太さんらしいストーリー展開にもなっていました。
非常にわかりやすく、個人的には特に違和感もなくスッと楽しめる回になっていたと思うのですが。それでも一部にはまた、「史実と違う!」と騒いでいる勢の方もいらっしゃるようで……。
どうやら、「瀬名もクーデターに関与していたハズで、それが描かれなかった『どう康』は嘘っぱちだ!」と言いたいみたいですが。確かに SNSの意見も見ていくと、1983年の大河ドラマ『徳川家康』の中では、謀反人・大岡弥四郎とアヤしい関係になっていく築山殿(瀬名)の姿も描かれていたそう。いや、それだって史実かどうかはわからないわけだけどさ……。
そもそも『どう康』の時代考証に当たっている先生方も、過去に「ドラマはフィクション」とはおっしゃりながらも、ドラマの中に「この物語はフィクションです」というテロップは入っていませんでした。
でもこれ、調べてみたら、「フィクションです」テロップを入れてたのは2019年の大河ドラマ『いだてん』だけだったみたいなんですよね。
これは比較的近代の話だから、明らかに「資料と違う!」「事実と違う!」が出てくるからそうせざるをえないところもあったんだと思いますけど。
ただ、この記事にも「違うという証拠もない。可能性がゼロではないものは修正しない」とあるように、大河ドラマにおける「史実とフィクションのせめぎ合い」の姿勢は「フィクションです」テロップがあろうがなかろうが、関係ないと思うんですよね。
確かに通説では「瀬名と家康は不仲だったと言われている」というものはあるわけですけれども、この『どう康』の物語の中ではずっとそれを否定してきました。「不仲だったと言われている」のは確かにあるけれども、「本当は不仲じゃなかったという可能性もゼロではない」のではないでしょうか。
それこそ、400年以上も前の出来事です。逆に、『デイリー新潮』の歴史評論家さんみたいに「(瀬名と家康の)夫婦が不仲だったからだとしか考えられない」と言いきっちゃうのが逆に「断言できるなんてスゲーな!実際にタイムスリップして、ふたりの様子を見てこられたんですか?」と言いたくなる気もしてきます。
そもそも、現代の夫婦だって、パッと見ただけじゃ、仲睦まじいのか不仲なのかなんてわかんないもんじゃないですか……「おしどり夫婦」なんて呼ばれた芸能人夫婦が、突然不倫するだとか離婚を迎えただとかっていう話題もゴマンと溢れてますもんね。やっぱり違う人間同士、長く付き合っているといろいろあるさ、そりゃ……。
というわけで「何を史実と見て、何をフィクションと見るか」はそれぞれの視聴者の解釈に委ねていいし、大河ドラマに「フィクションです」ってテロップ入れろだなんだとかいう話はそれこそ「カレーは香辛料使ってますから辛いって書きなさい、あんまんにはあんこが入ってますから甘いですって書きなさい」みたいなバカな注文に思えてしまうんですよね。
「歴史」というものは過去実際に起きたものだから変えられないわけですが、それを他人が脚本にして違う人間が役者として演じているわけですから、実際どこかしらには脚色があるわけです。「大河ドラマ」という皮を割ったら、中に入っているのは「紛う事なき史実」です、なんて誰も考えネーヨ!
それよりも『どう康』において、瀬名というキャラクターがどういう立ち位置として描かれてきたのか。そして第20回のラストシーンですよね。まさか、武田方である千代と密会を果たしたわけですけれど、いったいどういう意思でそうしてしまったのかに注目していきたいなと思います。
●なぜ瀬名は遠江で暮らさなかったのか。義娘・五徳との確執と、お万から言われたセリフがカギか
そもそも第19回で瀬名が家康と共に暮らそうと遠江(浜松)まで行ったのに、結局、岡崎に帰ってしまったじゃないですか。その心境の変化が謎というか、逆に言えば重要なポイントになっていそうな気がしてたんですけど。
とりあえず僕、19回を見た時点では、「殿は一人でも大丈夫だ」と思ってしまったのかな、なんて個人的には考えていました。「悪い虫がつく」と言われて、実際に家康には「お万」という悪い虫がついてしまっていたんですけれど。その様子を見て「だから私は殿のお傍にいなければ」ではなく、逆に「殿のそばに私がいなくても大丈夫だ」と考えてしまった。
それはイコール「家康への愛想が尽きた」という意味でもないのかな?と少し不安もありました。やっぱりこの物語でも、家康と瀬名は不仲になっていくのか……しかし、そうではありませんでした。
第20回、五徳(演:久保史緒里)が、傷を負った岡崎の家臣たちへ向けた視線。「このような汚い男どもに触れるなんてできませぬ」なんて恐ろしいことを言うわけですけれど。これはさすがに、温厚な瀬名ちゃんだってブチギレでしたね。「汚いとは何事か!三河を守るために戦っている者たちぞ!」。
あんな風に、周りに聞こえるくらい義娘を叱る姑の姿に、SNSでは「さすがに瀬名ちゃんでもそれはねーわー」という意見もありました。もちろん、「あれはどう考えても五徳が悪い」という意見だってあったわけですけれど。個人的には、「どっちが正しくてどっちが間違いとかじゃなくて、ただただ、どっちの気持ちも理解できるしめちゃくちゃ自然だった」という感想を抱いたんですよね。
五徳だって、成長著しい姿として登場してますけど、当時はまだ15歳。うら若き中3の乙女が、むさ苦しい武士どもの体に触れますか……おっかねぇですよ。しかも自分は信長の娘であり、言わば人質のような立場です。他国のプリンセスみたいな立場なのに、知らん土地で知らんオッサンたちの世話をしなきゃならんなんて本当に勘弁すわ……。
けれど、瀬名も元は今川の姫であり、五徳とも同じような立場でありながら、今はもうすっかり岡崎の当主・信康の母。家臣たちの世話をしなきゃいけないということをしっかりわきまえているんですよね。そこはまだ、五徳が身についていない部分であり、これからしっかり教え込まねばならないところです。
だから五徳の気持ちもわかるけど、それを叱る瀬名の気持ちもわかる。特に目の前で死んでいく家臣がいるような極限状態の中で、ひとり五徳みたいに「我関せず」みたいな者がいれば思わず声を張り上げてしまうのも痛いくらい理解できます。五徳が出ていったあとで、息子・信康に「どうされました?」と声をかけれられて「何でもない」と濁してしまうのもですね。やっぱり義母として、どう五徳と接すればいいのかは瀬名ちゃんもわからず、苦しんでいる様子も感じました。
だから、岡崎のトップにはまだ、こういう「子供のまま」の人々がいることをわきまえている瀬名。その一方で、遠江で離れて暮らす家康は、他のおなごとイチャついている。「不貞を働かれた」という恨みは湧きますけど、逆に「戦に負けて傷ついても、自分がいなくても立ち直る術を殿はお持ちである」という意味では「ほったらかしてもいいのかな」という気もしてきます。
もちろん、完全に他所のおなごに心奪われてしまえば話は別ですけれど。そこは殿も真摯に謝っていましたね。「何が起きても、殿が私を好いてくれてる気持ちに変わりはない」というような、正室ゆえの心の余裕もある気がしました。
そしてもう一つ、お万から言われたセリフ。
「私はずっと思っておりました。男どもに戦のない世などつくれるはずがないと。政(まつりごと)も女子がやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことが、きっとできるはず。お方様のようなお方ならきっと」
やはり、この言葉に思う所があったように思えてなりません。遠江にいては、殿がいるから瀬名は政には加われない。だからこそ、政に加わるために瀬名は岡崎へ残った。そしてその政の方法というのが、20回のラスト、千代に会うことだった――という流れが見えてくると、「カチーン!」とパズルのピースが合わさったようで、鳥肌さえ立つ展開でした。
だけど、これがどう転ぶのか……やはり「築山事件」なる歴史上の出来事を知っている人間からすると、どうやっても悲劇に転ぶより他ないとはおもうんだけど。「瀬名ちゃん、アカーン!」って、僕も思わずテレビに向かって叫んじゃったよね……。
とにかく、何があってもこの後の展開からは目を離さず、しかと見届けようと思います……本当、苦しいんですけど……うぅ。
●新たなる希望・井伊直政。通説とは違いまくる仕官だけど、これはこれでアリやんけ!
そして、新たなる希望である井伊直政ですよね。彼も登場のときは「史実と違う!」と散々騒がれました。時代考証の小和田先生だってハッキリ「通説とはちょっと違う描かれ方をしています」とはおっしゃってますけど。
でも、『どう康』の直政は、これはこれでアリな気がするんですよ。「もう少し由緒ある家臣がいたほうがよいでしょう?井伊家のおいらとか」おま……見た目が女の子みたいで、めちゃめちゃ身体能力高くて、由緒ある家柄なのに、一人称「おいら」とかwwwwどんだけ設定モリモリなんやと、これも一部界隈では話題になってましたね。
そもそも、第15回のラストから第16の序盤にかけては、家康の命を狙っていた虎松(直政)。SNSでは、これまでの間にいったいどんな心境の変化があったんやと見逃されてる方もいらっしゃったようなので、念のため振り返っていきたいんですけれど。
第17回「三方ヶ原合戦」の終盤シーンでは、遠江の民たちに、「徳川さん武田が怖くて素通りさせたらしい」なんて千代が言いふらしていましたね。それを聴いた虎松、逆に夜中、三方ヶ原へ戦見物に出かけていました。
そうするとそこに転がっていたのは徳川勢の死体の山…ここで「素通りさせた」というのがただの嘘で、本当は戦っていたことを知りました。そして、死体の中には「おまえなんか武田信玄に滅ぼされてしまえ!」と言った家康の姿まで…実際には、夏目広次であり、殿は健在だったわけですけど。
そこから、「自分はただ武田の間者に踊らされていただけだったことに気づいた」「滅ぼされてしまえと言った家康が本当に滅んでなくて逆にホッとしてしまったし、あの惨劇から逃れられた家康の悪運の強さに賭けてみたくなった」ということだと思うんですよね。
これ、なんとなく、『鎌倉殿の13人』で、梶原景時が敵方の源頼朝に寝返った流れにも通じるなと個人的には考えています。『鎌倉殿』でも、源頼朝は序盤で平家に負けていたのに、「それでも命が助かった→天に守られている」と景時は解釈して、平家側から源氏側へと寝返っていましたね。
もちろん、『女城主直虎』で菅田将暉さんが演じられていた虎松を思い出して「あっちの虎松の方が良かった」とおっしゃる方がいらっしゃるのもそれはそれで結構だと思うんですけれど。『どう康』で板垣李光人が演じる虎松はそれともまったく違うキャラ設定ですし、これはこれで魅力的なキャラに育っていくはずだと確信しています。
それにしても、5月31日の『歴史探偵』では、板垣さん、井伊直政を「徳川家臣団のZ世代」なんて称してらっしゃって、ナルホドと思いつつ……佐藤二朗所長のツッコミにキレがあって笑いましたね。「井伊直政公、僕らよりものすごい年上なんですけど……」確かにwwwwww
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