「気難しくて近寄りがたい人」から「素直で人懐っこい人」へ
今年は記憶が薄れるほどの行動量だった自負があるため、改めてここで言葉にして残しておきます。私がどんな葛藤とともに成長してきたか、そして、コーチングと出会って以降どうやって自分と向き合ってきたか。
タイトルにピンと来た方には、ぜひ最後まで読んでいただけたら幸いです。
注:登場する「対立相手」の方についての記述は、あくまで当時、認知の歪みが残っていた状態の私の視点から見たものです。相手から見た事実は恐らく異なり、お相手の方を責める意図は一切ありません。
透明人間
集団に溶け込みたかった
私は長年ずっと「自分」を出すことが怖かった。
小学生の頃は人前での笑い方がわからなかったし、常に俯いていた。気配を消して、変に目立つことを避けた。
中学では部活の仲間に無視される。
聞こえるように悪口を言われ、心が抉られるような日々を過ごした。
容姿のコンプレックスも笑われた。だけど私は彼女たちに愛想よくすることしかできず、ときには悪口の対象が替われば私も一緒になって悪口を言った。居場所を作ろうと必死だった。
正直憎しみでいっぱいだったけど、なにもやり返せない自分が一番許せなかった。もし私が自殺したらこいつらに復讐できる?なんて考えたこともあった。死ぬほど惨めだった。
そんな中、心配して声をかけてくれた子がいた。
嬉しくなって心を開いて本音を話したが、実は私を嫌っている子たちに私の話した内容が流されていた。あのときの絶望感は凄まじい。崖から突き落とされるような感覚。
途中から部活へ行こうとすると身体的不調が出るようになり、3年生になるころには所属する部活を変えた。3年生のクラスには、はみ出し者だけど強い(ように見えていた)子がいて、その子を中心とする5人組に所属した。
その子はリストカットを日常的に行っていた。私にとって中学は息苦しい場所だったが、手首を切るほどの何かを抱えるその子の前では、私の痛みなんてちっぽけなものだった。
実際、その子からも「やっちゃんは、はじめてできた"普通”の友達」と言われた。普通ってなに?私のつらさは無視されるもの?そんな言葉が浮かんだが、きっと事実だと認識して飲み込んだことを覚えてる。
つるむ友人の影響もあって、それまで空気でいることが正解だった私は、逆に個性を、痛すぎる個性を打ち出していった。何かがどんどんおかしくなっていく。私はこんな人間じゃないのに。どこかかっこ悪いことをしている気がする、そんな違和感をうっすら感じていた。
だけど私は「いかに周囲に溶け込めるか」で人格を選択し続けた。
そこに私の意志はない。属する集団によって人格が変わる。
高校~大学~社会人と成長していくにつれ、何度か人に裏切られる経験をした。奇抜なキャラクターを演じたこともあれば、女性らしさを全面に出すこともあった。嫌な奴だった時期もあった。一方で、正義心をもって物怖じせず主張をすることもあった。(本当は勇気を振り絞っていたけど)
でもそれらもすべて「そうしたほうがいい」「周囲がそれを求めている」「最も溶け込める」と思ったから。本当に自分がやりたかったことかどうかはわからない。
いつの時代も共通していたのは、どの集団に所属していても「本音」を話せる相手はいなかったこと。「本音っぽいもの」は言うことがあった。それも必要だと思ったから。そのほうが「正しい人間」っぽい気がしたから。いつも「普通」や「正しさ」を追い求めた。
自我の暴走
大学時代、夫と出会ってようやく私は本音を言える場所を手に入れた。
(匿名のネット上なら本音を吐き出せる場もあったが、ここでは現実の繋がりにフォーカスする)
今まで親にも友人にも見せることなく抑圧してきた自我が一気に暴走して、夫(彼氏)には全力で日々の愚痴や我儘をぶつけてきた。
捨てられるなら早いほうがいい、これを受け止めてくれる相手じゃないと結婚なんてできやしない、そう考えていた私は相手を試すように数々の我儘を言ってきた。全力の愛をぶつけてきた。幸い、夫はそれを受け止めてもびくともしない人間で、むしろ感度が低いのか、私の強すぎる愛情がちょうどいいみたいだった。
運よく相性のいい相手と遭遇できたとはいえ、やっぱり一人の人間にしか「自分」を見せられないのは不安がともなった。
こんな異常なくらい傲慢な女、いつ捨てられてもおかしくない。この人がいなくなったらもう生きていける気がしない。心の居場所がない。大切にしたいものも他にない。そんな思いで生きていた。
私が掴んだ幸せは、不安定なものだった。もし捨てられたら、最悪もうこの人生は終わらせてもいいかもしれない。とすら思っていた。それくらい、当時の私はほかに心から情を向けられる対象が存在しなかった。
私はずっと透明人間のようだった。
夫(彼氏)をのぞいて、誰も本当の私を知らない。
私自身、本当の私がわからなかった。
ただひたすら、「その場に適した人格」をAIのように周囲から学習しながら再現してきたから。
(だから相手が想定外のリアクションをするとき、ひどく動揺した。)
「本音」を押し殺すのには限界もあった。大人になるにつれそれは他者や世界への不満として漏れ出るようになった。
私はベースが「気難しくて近寄りがたい人」になっていった。
(愛嬌を振りまく人格も身につけていたため、短時間なら社交性の高い振る舞いも可能になっていた)
コーチングとの出会い
29歳:コーチングを受け始める
そんな私は29歳でコーチングと出会った。
そこから徐々に本来の姿を取り戻し始める。
はじめは現実的な課題(対人関係のトラブル・タスクマネジメント・タイムマネジメント)に対する解決のために受けてきた。認知を変えることが課題解決に効果的という知識だけはあったため、がむしゃらに認知を変えることに注力してきた。
次第に仕事で成果を上げるようになっていく。
周囲からの賞賛は気分がよかった。
成果を上げれば更に次のステップの仕事を任されていく。私はベンチャー企業という外から見ればキラキラした場所で、まるで自分が活躍できているように錯覚した。(ほんとは全然大したことできてないんだけど)
無価値だった自分に価値が生まれたような感覚を得て、正直快感だった。たとえ仕事にまみれた生活を送っていても、当時は仕事こそが私のやりたいことだと本気で信じていた。
しかし任される仕事の質が変化するにつれ、対人摩擦が激しくなっていく。成果を上げたい私は、自分の価値観で相手をジャッジした。当時の無知で自己肯定感の低い私は「自分のできることはみんなできて当然」だと考えていたから、「できない(ように見えた)」ひとりの仲間に苛立ちを隠せなくなっていった。
※実際は、彼女の能力に問題があったわけではない。ただ私の認知がそう現実を捉えていただけ。
それじゃ対立が深まるばかりで成果は上がらない。努力するほど空回りし、対立からくる殺伐とした空気にもストレスを受け、一時期体調を崩す日が続いた。
でも上司からのフィードバックとマイコーチのコーチングによって、自分の過ちに気づく。そこから私はより一層内面と深く向き合うようになっていった。
30歳:コーチングを学び始める
30歳でコーチングを学び始め、さらに内側への探求が加速していく。
私は、自ら壊しまくってしまったその方との関係性を回復させることに尽力した。今までの自分が間違っていたことを認めるところから始まり、正直相手には「舐められたくない」という感情があったが、それでも「弱み」を見せる訓練をした。「好意」を示す訓練もした。はじめは嘘でもいいから、とにかく相手を大切にしようとした。
やっていて屈辱的な感情が滲んだ。なぜ私が折れないといけない?あの人のほうがずっと年上なのに?…などと、歯を食いしばりながら、それでも「気づいた側から行動を変えていくしかないんだ。私はコーチなんだから」という言葉を胸に必死に取り組んだ。
結果、改善した。(私がそう感じているだけかもしれないが)
愛を向け続けた結果、愛が返ってくるようになった。いつしか私は心から彼女を信頼できる大切な仲間だと思えるようになっていった。
ふたりでランチへ行って、楽しく昼食を取れた時、私は心底うれしかった。
(とはいえ、相手は無理してた可能性もあるけど…それだけ過去の私の、強すぎる白黒思考からくる価値観はひどいものだった)
31歳:自分を変えるアクションの加速
そして、今年は主に上司を鏡に、自己と向き合い続けた。
上司との衝突はコーチングを学び始めた頃から何度もテーマとして上げてきた。でも私が視座を引き上げないといけない過程で、上司の求める動きをうまく読み取れなくなっていった。そして衝突が増えるように。そのたびに私は先述した彼女のとき同様に「気づいた側から行動を変えていくしかないんだ。私はコーチなんだから」と唱えながら、トライアンドエラーを繰り返した。
どうにかうまくやっていく方法を探そうとした。
結果は、うまくいかなかった。
結局心が折れて、年明けに退職という選択を取った。
だけど、上司との対立から何も得られなかったのか?というと、違う。
私はこの対立からたくさんの学びを得た。
たくさんの自分の愚かさにも気づいてきた。
何度も自分を壊しては作り直してきた。
そして、何層にも心に纏っていたたくさんの鎧を手放した。
手放した鎧たちは、人間不信、負けず嫌い、失敗への恐れ、プライドの高さ、承認欲求の否定、愛されたい欲求の否定、他者依存(頼ること)の否定…などなど。様々な価値観たち。(まだあるかも?)
これらを手放すためにたくさん自分と向き合った。ときにマイコーチを頼りつつ、自分でも考えながら一段階ずつネクストアクションを設定して、殻を破る行動を全力で繰り返してきた。そんな一年だった。
具体的なアクションとしては、思い出せる範囲だとこんな感じ。
(主に職場でのアクションだったけど、それ以外も含まれる。順番は前後したり並行したり。何かしら常に同時進行で取り組んできた)
これらのアクションの結果、私は今現在の姿を手に入れた。
正確には取り戻した。
「気難しくて近寄りがたい人」から
「素直で人懐っこい人」へ
自分にとっては驚きの変化量。よく努力したと思う。
そして今気づいていることがある。過去生き延びるために生み出してきたたくさんの「キャラクター」たちは、いま私の個性として存在してくれるようになった。環境に合わせて無理に使うわけではなく、自然と必要な時に引き出される。それはもう演技ではない。紛れもなく「私」だ。
(ややこしいこと言うと、「必要な時だけ演じる」のも私の個性になった)
私は結局いまだに、自分を一言でどんな人間か表現することができない。
内側にあるたくさんの顔を自覚しているから。でもどれも大切な私。
(誰でもたくさんの顔を持っているはずだから、きっと違いをわかりやすく表現する術はあるんだろうけど、まだ私には難しい)
その色んな色たちが心の中で重なって、ずっと私には黒色に見えてきた。
でも実は黒じゃない。私はとってもカラフルな心を持っていた。
(…と、2023年12月の私は考えてる。今後また変わるかもしれない)
怒涛の2023年を経て、私はキャリアの見直しと来年からのリスタートを決意した。もう自分でも自分がどうなっていくか全く想像つかない。だって今年の1月にまさか12月の私がこんな状態になっているなんて、誰が想像できた?
きっと2024年も楽しい一年になるはず。
相変わらずたくさんの試練が出迎えてくれるだろうけど、葛藤を乗り越える快感を知っているのでたぶん大丈夫。何が来ても乗り越えるし成長につなげる。
というわけで、2024年も私をよろしくお願いいたします!
(まだ数日あるけどね!笑)
さいごに、2023年のnoteを一部まとめてみたので、よかったら。
【私信】
2023年、私と出会ってくれたみんな、親しくしてくれたみんな、心の底から感謝しています。みんながいなかったら、励ましてくれなかったら、私はこんなにチャレンジすることはできなかった。こんなに変わることはできなかった。ほんとうにありがとう。
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