適応障害になった私とこれからの人生 #253
いつもは字数を決めて書いていますが、今回は書いてみたいと思うテーマがあったのでいつもより長文で書いていきたいと思います。
そのテーマは、
です。
私は社会人になってから新卒でブラック企業に入ってから紆余曲折あって前職に就き、そこでストレスにより適応障害になり休職をし、退職をしました。
新卒で入った会社は、8時始業なのに毎朝5時には出勤しなくてはいけなくて、帰りは21時、22時になることは当たり前のようにありました。
しかも昼休みなどもまともにとることも出来ず、お昼ご飯を食べずに仕事をして、体力仕事であるのに加え、朝も早いし夜も遅いのでどんどん体重が減っていき、体は骨と皮と筋肉だけになりました。
体脂肪率は10%前半で、体重も過去最低になっていました。
ちなみに、時間外は全部サービス(無給)なので、当時同期と時給に換算してみたのですが200円くらいでずっと働いていたことになります。
毎日息をつく暇もないほど忙しく、いつも走っており、1秒単位で時間を確認する日が続いていました。
休みも満足にとれず、休みの日ですら職場の物の買い出しをするなど、休んだ感覚がありませんでした。
それに加え上司や先輩は狂った人ばかりで、想像を絶するほどのパワハラ上司に毎日怯え、同期たちも泣きながら仕事をしていました。
その中で私が一番トラウマになったのは既婚の先輩からのセクハラでした。
ふたりきりになろうとしてきたり、体を触られたり、告白をされ人気のないところに連れていかれたり、勝手に2人だけで泊まりで出かける手配をしてきたり・・・書ききれないほどの嫌なことをされましたが、先輩後輩の関係を崩したくない気持ちとどうしていいのかわからない気持ちがあったため1年以上それに抵抗しつつも我慢していました。
そして我慢が限界に達し、ある日はっきりと「嫌です」と伝えると先輩は逆ギレ。
そこから陰湿な嫌がらせを毎日うけることになり、数か月我慢しましたが、過労とそのストレスで精神状態がおかしくなったり、ひと月に3回急性胃腸炎になったり、体がおかしくなったので仕事を辞めることになりました。
そこで受けたストレスにより、男性恐怖症になり、トラウマを植え付けることになりました。
それでもすぐに転職先を見つけ働いて、当時のことを思い出しては隠れて泣きながらもしっかりと仕事をしていました。
しかし、転職先でもまたトラブルが。
先輩たちに好意を持たれ、その先輩たちがバトルになった後、私が断ったらまたいじめられる羽目に。
無視をされたりしてまともに仕事ができる状況ではなくなりました。
その前のトラウマがあったのもあり、男性に対する不信感が募った私はまたその会社を退職することになりました。
それまでの経験から、次の職場では「人間関係をこじらせないように、深くかかわらず、距離を置いて信用せず人と接する」ことを意識して働こうと決めました。
また心機一転、いつか気持ちよく働ける場所があると信じて頑張ることを決意し、新たな職場に赴くのでした。
しかし、前職でも無能な嘘つき先輩に仕事で悩まされる羽目になったあげく、少し心を開いてしまった先輩からのセクハラ、仕事関係のおじさんからのセクハラ、上司からのパワハラによりついに心身が崩壊し、適応障害と診断されてしまいました。
これまでは気合と精神力だけでなんとか過ごしていたのですが、今回はそうもいかず、手足が震えて何もできなくなったりひどい動悸がしたりするパニック障害や、文字が読めなくなる、食欲不振、不眠症、体の激痛、人が怖くなる、情緒不安定になるなどのたくさんの症状に悩み、普通の生活が困難になりました。
休職してからもこれらの症状に悩まされながらも、布団から出ることができなくなったり、毎日辛いと泣いていたり、人が怖くて外に出れなくなったり、辛い日々を過ごしました。
気持ちを切り替えて改めて働き始めた数年前まではこんなことになるとは思っていませんでした。
そして休職中に上司からパワハラを受け、耐え切れず、これまでの人生に対する絶望感(ここには書ききれない幼少期のことや学生時代のことも含め)や周囲への人への怒りと恨みを強く感じ、死ぬことを選び、自殺を図りました。
しかし結果は失敗に終わりました。
その後緊急搬送され、2か月間入院することになりました。
その入院先でもトラブルが。
深夜に私の個室に男性患者が侵入してきたり、他の男性患者にしつこく声をかけられたり。
どこに行ってもこんなことになるのはなぜなのかと絶望しました。
恐怖心は増すばかりで、入院する場所も怖く感じ、本当に辛い2か月を過ごしました。
入院中はまず意識が戻ってしまったことに対する絶望感や死ねなかった悔しさで、なんでこんなことになったんだと本当に辛く苦しい時間を過ごし、何日間もずっと泣きながら過ごしていました。
それに、私が苦しんでいる間も何も感じずに過ごしているであろうパワハラ上司や無能な先輩、セクハラをしてきた人たちへの果てしない強い怒りをずっと感じており、余計に苦しさや辛さに悩まされることになりました。
正直、入院中の2か月は、合わない薬を飲まされひどい副作用に苦しんだのもあり、死んだ方がマシだと思うような日々を過ごし、本当に苦しかったです。
入院中にいろいろ考え、私がこれからどうしていくべきかすごくたくさん悩みました。
そこから退院し、決意したことがあります。
それは、「やつらに負けない人間力のある人になる」ということでした。
そこから外に出るのもこわかったのも乗り越え、運動をしたり読書をしようとリハビリをしたりたくさんのことに取り組み、1年半の休職を経て仕事も辞め、今に至ります。
仕事をしていてずっと悩み、苦しみ、休職して仕事を辞めることになることも想像していなかった未来ではありましたが、休職したての頃「私はもうこのまま何もできないまま苦しむ生活を続けるのではないだろうか」と思っていた時には想像できなかった未来になっているのが、今の私の生活です。
上記のとおり、いままでいろんな苦しみを感じてきた中での今回の休職と自殺未遂を経験し、もう元には戻れないと思っていたころには想像できないほど動けており、前向きに過ごせています。
そうなったのも、自分なりのリハビリが効果あったのかとも思いますが、noteとの出会いも大きな転機となりました。
私がnoteを始めたのは、退院後に少しずつ動けるようになってきたころにその中で何か始めて残すことができないだろうか、と思ったのがきっかけです。
noteの中で日々のことを綴りながらも、いろんな方に出会い、励ましていただくことで、日々のランニングや読書への取り組みの意欲につながっただけでなく、考え方の整理を助けていただいたり道を示していただいたり、多くのことで物事を共有させていただいて少しずつ前を向けるようになりました。
病気のことで未だに悩むことや頭の中でうまく整理できないことも、noteで出会った方たちとお話しする中で解決できたこともたくさんあります。
ひとりで悩んでいた頃には想像できなかった居場所ができ、本当に嬉しく思っています。
今ではランニングや読書、コーヒーの焙煎や庭作業、アルバイトにイベントの開催などをするなど、当時では考えられないほど活動的に過ごせているのが本当にこれまでがんばったなと思うのと、すごく嬉しいなと思います。
もちろんまだまだ通院して心身の安定を目指さなければならない状態ではありますが、死を選んだ過去を乗り越えて、これからも少しでも前を向いてこれからの人生のために楽しみや嬉しいことを大切にして過ごしていきたいと思っています。
これまでにあった過去のことにも相変わらず苦しむことはありますが、それでもここをもうひとつの居場所にして、不安感や恐怖心とうまく付き合っていこうと思います。
これからも来年に向けて大きく動く予定があるので、またこれから想像できない未来に向けて、それも大きく躍進する楽しみだと思える未来に向けて動いていく楽しみができたのが嬉しいです。
困難はまだまだたくさんあると思いますが、それでもこれまでの私よりレベルアップした自分がその困難にどう立ち向かうのかも楽しみにしたいと思います。
これからも体調には気を付けつつ、やつらを見返せるくらいの「人間力のある人」になれるよう自分を信じて少しずつ進んでいきたいです。
長くなりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。