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人間不信と人を頼ることへの恐怖 #216

昨日ふと思ったことがあります。

私には小さなことやモヤモヤを吐きだす人がいない。

昨日ちょっとモヤモヤしたことがあったのですが、それを吐き出す手段がないことに気づきました。

普通なら友人や家族などに気軽に話すのかもしれませんが、それができないなと思いました。


というのも、近くに友人が住んでいないとか実家が遠いとか以前に、人を信用できなくなった私には、人に悩みやモヤモヤを吐きだすことができなくなってしまったなと感じています。

人を信用できなくなったのは、今回適応障害になったきっかけである職場の人たちの言動にあります。

パワハラやセクハラを経験し、信用していた人に裏切られたり、好き勝手都合のいいように扱われたのが原因です。

そしてそれをきっかけに死ぬことを選択した私は、そこでもう死ぬと思っていたので、友人や仲の良かった人を切る選択をしました。

結果死ぬことは失敗してしまい、緊急搬送され生きることになってしまったのですが、友人や親しかった人たちとの関係は絶たれたままです。

私から勝手に切ったのですが、今更もう一度繋がろうとも思えません。

それはやはり人がこわいという感情があるからです。

いくら仲良かった友人たちであっても、心を開くことはもう難しいと思っています。

信用して期待してしまったが故に、裏切られるのもこわいし、昔のように気を遣うことも意味のないような気がしてきて、もう親しい人を作ることができないなと思っています。

こわくて何かあっても頼ることもできません。

これからこの人間不信や対人恐怖はどうなっていくのでしょうか。

また人がこわくなくなる時が来るのでしょうか。

以前入院していた時の、まわりの人、職場の人たちへの恐怖心はもう体験したくないほど苦しいものでした。

トラウマや恐怖心はすぐなくなるものではないので、時間をかけて身近に信用できる人や心を開ける人を見つけていけたらいいなと思うばかりです。


ここではこういったことは書けているので、少し救いがあります。

勿論全部ではないですが、少しでも吐き出せることは良いことかなと思います。

なかなか人に理解されない症状であったり、理解しようとしてくれない人への説明は心が折れるので、こういったことは吐き出すことが難しいと思っています。

いつかそういったことが少しでも解消できるように、どうにかしていかないといけないのかなと思ったり思わなかったり。

無理はしたくないので、このままでもいいような工夫もしていかなければなりません。

まだ今後どうしていこうか考え中ですが、以前の「マメで人に気遣いのできる私」とは一度おさらばするのもありかもしれないと思っています。

自分軸で、自分が幸せになれる場所や環境を探し続けたいです。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。



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