並行読書の日々
毎日の読書は続いている。
疲れている時や、読んでも頭に入らなそうな時は数ページしか読めない日もあるが、連続読書の習慣は途切れていない。
基本的に寝る前に本を開くことが多い。今日は飲み会だから帰りはフラフラだろうなと思う日は行きの電車の中で読んだりと、それなりに工夫をしているつもりだ。
今までは一冊の本を読み切り、次の本を読み始めるという読み方だった。
いつからだろう。電子書籍(Kindle)に手を出した頃だろうか、何冊かの本を同時に読み進めるという習慣に変わっていった。
「並行読書」と呼ぶのだろうか。「併読」と言っても良いのかもしれない。
とにかくそんな読み方をするようになった。
【メリット】
何事にもメリットとデメリットの側面はあり、この並行読書のメリットは何だろうと考えた。
一つは気分によって本を選べることだろう。
その日の気分、もしくは時間によって本を選ぶ。エッセイを5分だけ読もうとか、調子がいいので頭を使う重めのものを読もうとか、これをやることで気負うことなく読書習慣を維持することができた。
もう一つは多角的な視点が得られることだろう。
異なるジャンルの本を読むことで飽きが来ず、尚且つ多角的な視点が得られる。アナロジー的な思考が育まれたり、新しい発想が得やすくなるという実感もある。
【デメリット】
一方、デメリットのようなものもある。
例えば、集中力の分散。
複数の本を同時に進めることで集中力が分散し、物語や論点の流れが掴みづらくなる。深く読み込む(入り込む)ことで得られる洞察を逃したり、読書体験自体が浅くなってしまう可能性がある。
そして、途中で挫折しやすいことも考えられる。
単純に読了までの時間が長くなり、途中で挫折してしまったり、読み終えたとしても達成感というものが低かったりする。
ちなみに、今現在私が並行読書している本を挙げてみる。
『知ってるつもり 無知の科学』 S・スローマン、P・ファーンバック
『計測の科学』 ジェームズ・ヴィンセント
『疾走』 重松清
『しあわせの理由』 グレッグ・イーガン
『すべての罪は血を流す』 S・Aコスビー
『納税、のち、ヘラクレスメス のべつ考える日々』 品田遊
『幕末史』 半藤一利
『ここはすべての夜明けまえ』 間宮改衣
改めて並べてみると、広げすぎのような気もするし、まだ一ページも開いていない積読の本も更に待ち構えている。
これらの本は進行状況の差はあれど、どれもが読了には至ってないので感想やレビューを書く資格までは持ち得ていない。
例えば最初の『知ってるつもり 無知の科学』は、認知科学の本なのだが二年も前に購入している。本当に少しずつアンダーラインを引きながら読み進めているが未だに読了していない。
『すべての罪は血を流す』という、S・Aコスビーのハイスクール銃乱射事件に端を発する骨太のクライムノベルと、二人称で描かれる重松清の『疾走』、グレッグ・イーガンのSF小説を行ったり来たりしている。
発売日に買うぐらい好きな作家、品田遊のエッセイと、残念ながら三年前に亡くなられた半藤一利先生の『幕末史』も並行している。
二兎を追う者は一兎をも得ずということわざがあるが、今回のケースではそんなことは思っていない。
冒頭に書いたように、並行読書にはメリットとデメリットがあるのだ。
だが、どれか集中して一冊ずつ読了し、一度すっきりしたいという欲望もある。でもこんな魅力的なラインナップ、どれを選べばよいのだろう。
まるでモテすぎるハーレムアニメの主人公のような悩みだ。
最近は、こんな贅沢な悩みを抱えながら生きている。
そしてそう、メリットの部分で書き忘れたが、この本(物語)を読み終えるまで死ねないという、生きるモチベーションにもなっている。