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【エッセイ】酒と泪と破滅願望

 あれだけ好きだったお酒を普段飲まなくなった。

 最近ではたまに飲んでもすぐに酔っ払ってしまう。おそらく内臓系がすでにいかれているのだろう。怖くて検査などはしたことがないが、日常的にお酒を抜いていればいずれ回復するだろうと楽観的でいる。

 そもそも若い頃、なんであんなに毎日飲んでいたのか。お酒の味が好き、酔っ払う感覚が好きというのもあるが、お酒の場が好きだったのだろう。それは今も好きだ。誰かと熱く、そしてゆるく語ってみたり。みんなでワイワイしてみたり。

『飲みニケーション』という、いかにも若者から嫌悪されそうな造語があるが、私はそんな造語を支持するような古いタイプの人間だ。

 もう一つの理由は、ストレスから逃れるためであった。私は弱い人間だ。そしてこれは、今でもたまにやってしまう。
 弱い人間であることが関係しているかは分からないが、私には破滅願望に近いものがあったようにも思う。
 人生をより良いものにしたいという願望はあるが、同時に少しだけ「どうにでもなっていい」という気持ちが僅かにあった。
 自暴自棄なのか破滅願望なのか、ほんの少しのそんな気持ちが、時々アルコールと相性が良いと感じることがあった(そんな飲み方は普通、相性が悪いと表現するのだが)

 破滅型のアーティストと呼ばれる人達がいる。
 例えば60年代、70年代のロックミュージシャン。有名になった彼らのほとんどがアルコールかドラッグに依存していた(もちろん私はドラッグはやりませんよ!)そして彼らは若くして亡くなってしまった。
 作家や画家にも破滅型と呼ばれる人達がいる。そんな彼らに憧れを持っていたのかも知れないし、シンパシーを感じていた(感じたかった)部分があったのかも知れない。

 まぁ、破滅願望なんて言うと大袈裟か。
 いわゆるヤケ酒をしたくなる感じに近い。ヤケ酒なんてしたことなくても、似たような気持ちは誰だって感じたことはあるだろう。

 そんな生活をしばらく続けていて分かったことがある。それは上記のアーティストたちと違って私は何の作品を残してもいないし、そもそも作ってもいないということだ。
 ただ単純に自らの身体を痛めつけていただけという事実だ。嗚呼、なぜこんな簡単なことに長年気がつかなかったのだろう。本当に私は愚かな人間だと思う。

 最近の私は健康志向だ。
 身体のどこかが不調を訴えるたびに、健康って大事なんだと痛感している。
 とはいえ健康のためにお酒を抜いているわけでもない。そう言えばもう一つ理由があった。それは『一緒に飲む相手がいない』というやつだ。
 そもそも一人で飲むのはあまり好きではなく、誰かと飲んだりするお酒の場が好きなのだが、年を重ねる度にどんどんそんな相手が居なくなっていくのを感じている。
 非常に寂しい話だが、これも自然の摂理というやつだろうか。幸い、一人で過ごすのはあまり苦じゃない方だ。休日は本を読んだりギターを弾いて過ごしている。飲んでいた頃に比べると、この過ごし方はお金がかからないというメリットもある。身体をいじめることなく知識や技術が向上する。そして寂しさを紛らわす相手は本の中にある。本はいつでも語りかけてくれる。広い世界を見せてくれる先生でもあり、友達でもある。

 だから、今は寂しさをあまり感じない。
 だがいつか、寂しさはもっと大きな力で押し寄せてくるのではないだろうか。太刀打ちできない程の寂しさに襲われた時、それを紛らわせようとして一人でもお酒を飲み始めてしまうんじゃないか。
 今はそれが心配だ。


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