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「いただきます」 を言えた日


お母さんへの告白


2020年11月16日
私は初めて
お母さんに自分の気持ちを伝えられた

死にたいと思っていたこと
努力を認めてもらえなくて悲しかったこと
応援してもらえなくて悲しかったこと
今までの感謝の気持ち
今は自分では死なないと決めたこと
私が死のうとしたら
うつの症状だから止めて欲しいということ
迷惑をかけてしまって申し訳ないということ
これからは治すために
協力して欲しい、助けて欲しいということ

ミソフォニアの可能性があること
私が「万和ゆかり」であること


泣きながらだったけど
支離滅裂だったけど
思っていること
考えていること
全てを伝えることができた


お母さんは受け止めてくれた
そして
お母さんも泣きながら気持ちを話してくれた



やっと言えた「いただきます」


その日以来
私はお母さんになんでも
素直に話すことができるようになった



「いただきます」


今までは口に出すのが恥ずかしくて
言えなかった

でも今は素直になれたから
ある日
声に出して言ってみた

するとお母さんが
「いきなりどうしたん?」
って驚いていた

だから私はこう答えた
「いつも美味しいご飯を
 作ってくれてありがとう」



お母さんの料理は最高


お母さんは料理が得意だ
私が小さい時からお母さんはいつも
美味しい料理を作ってくれていた

お菓子作りも得意で
突然ブームが訪れ
よくケーキを焼いたり
クッキーを焼いたり
してくれた

そして
私もお母さんも
美味しいものを食べるのが
好きだったから

私は小学生の頃から
よく美味しいものを
食べさせてもらっていた

高校生になると毎月1回
お母さんが気になった
フレンチやイタリアン、
創作料理などのお店に食べにいく
ということをやっていた。
(ランチだけど)


私は舌に自信がある
美味しいものと
美味しくないものの区別がつく

美味しいものには感動するし

美味しくないものには
何を足せば美味しくなるのかまで分かる

自分で料理を作る時も味には自信がある
自分が美味しいと思うように作ればいいし
味見をしてイマイチの時は
何を入れればいいか大体見当がつく

そんな美的感覚が身についたのは
お母さんのおかげだと思う



私のお母さんはすごい!


私のお母さんは看護師さんだ
昼も夜も働きながら
家事も子育てもこなしていた

おまけにテニスなどの趣味も週3ぐらい?
やっていたからびっくりだ


私は京都府の北部にある綾部市の出身だ
綾部は
京都からは想像もできないくらい
ド田舎だ

畑と田んぼと山しかない
(新鮮な野菜が美味しい、
 星空綺麗、蛍もいる、
 スガシカオのドラマー屋敷豪太さん、
 グンゼ発祥の地、
 綾部スーパーパラダイスがある)

意外とあった。笑



私は小学2年生から中学2年生までは
硬式テニスをやっていた

福知山や舞鶴のテニスクラブまで
送り迎えをしてくれた

試合の時は朝早く起きて
会場まで送ってくれた
(試合会場はほぼ京都市内で
 片道1〜2時間かかる)
いつも試合の応援をしてくれた
スコアノートをつけたり
ビデオも撮ってくれた

中学3年生の1年間は
受験勉強のために塾に通っていた

塾までの送り迎えもしてくれた
(福知山の塾で片道40分くらいかかる)


京都市内の高校に合格した後は
市内の病院に異動して
一緒に京都に来てくれたし
70歳までのローンを組んで
家を買ってくれた

私は朝が苦手なので
高校・大学の時も
学校までよく送ってもらっていた

私は3人姉妹の末っ子だから
2人のお姉ちゃんの
送り迎えなどもしていたと思うと
余計に大変だったんだろうな

私も正社員で働いていたから分かるけど
本当に大変だったと思う
本当にすごい



だから
とっても感謝している



実は
お母さんは自己免疫疾患という
難病を患っている

母方の祖母は
お母さんが若い時亡くなっているから
お母さんも早死にする可能性があった

お母さんが生きているうちに
感謝の気持ちを伝えられて
仲直りできて
本当に良かった



闘病のモチベーション


お母さんはもう数年で定年を迎える
今の職場はハードだから相当辛くて
早期退職したいとよく言っている


私が働けなくなってしまったから
お金の面では、正直

申し訳ない気持ちがある

不幸中の幸いというのか

私はまだ
外に食べに行きたい気持ちもないし
旅行や遊びに行きたい気持ちもないし
美しくなりたい欲もないし
音楽も家で歌うので十分だし
テニスもお姉ちゃんとできるし

要するに
あまりお金を使わずに生きていける


また
最長1年半は傷病手当が出るから
当分はお金のことを考えずに
ゆっくり治していける

だけど
その後は
貯金を切り崩して
生きていくことになると思う

だから
心配かけるかもしれないけれど

なんとか貯金が尽きる前に
生活費を賄えるように
できることを増やしていこう

と思っている

うつ病は辛いし
治すのもしんどいけど

お母さんへの感謝の気持ちが
モチベーションになっているのかもしれない





最後まで読んで頂き
ありがとうございました!



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万和 ゆかり||Banna Yukari
うつ病になって出来ないことが増えましたが、今できることをやっています。 過去の私に賞賛を、今の私に応援を、未来の私に投資をしてみませんか? 是非サポートお願いします。