残業は誰がするもの?若手?独身?
少なからず残業や休日出勤のある私の職場。
少人数&うち半数が管理職ながら、皆で力を合わせて日々頑張っています。
そんなうちの職場の勢力であった20代組が30代に突入し、母となる職員が増えてきました。
父親、母親になっても働き続けられるようにと、テレワーク、時短、勤務時間変更など様々な制度が一気に作られ、贅沢ではありませんがこの時代に相応しい環境が整えられました。
様々な経験や知見のある先輩方が辞めずにこのまま残ってくれるんだ!と嬉しく思っていたのは束の間。
気づけば、母親たちは整えられた環境に甘え、残業も休日出勤も特定の数名に偏っていました。
-責任ある仕事からの解放。
-テレワークという名のお休み。
-電話すら繋がらない。
テレワーク予定の日に打合せの予定を入れたいと相談すると、突然休みに変更になる。
きっと、プライベートの予定のある日も一か八かでテレワークにしておき、打合せ入った時だけ都合が悪いと主張しているんだと思います。
産休育休から複数名が一気に戻ってきて一年。
こんな状況が生まれ、同じ社員でありながら、明らかに一部の社員に負担が偏っているのです。
仕事と子育ての両立は大変なことは、もちろん頭では分かっていますが、リアルに想像することは難しい。
それでも、想像しながらやれることのカバーはしているつもりです。
そして、私たちのお給料は仕事に対して支払われているものであり、子育てに対して支払われるものではないのです。
社会が目指す職場は、母親が働きやすい会社ではなく母親“も”働きやすい会社。
あらゆる人が仕事内容に対して平等に評価され、皆が働きやすい職場だと思います。
どれだけ少子化が進もうと、子どものいる人が偉いわけではなく。
子育てと両立する人が優先されるべきではないと思うのです。
どちらが優先ということではなく、子育てする人も、子育てする人たちをフォローする人たちも。皆の働きやすい環境が同じように求められ整えられるべきなのです。
子育てを理由に様々な権利を主張する人は、子なし組に毎日残業、毎週休日出勤させては悪いなと、できる範囲のことを時短という限られた時間の中で精一杯取り組むべきであり。
子なし組は今は自分の立場でやるべき仕事だと、心と身体の無理のない範囲で残業や休日出勤を引き受ける。
社会には色々な子育ての参加の仕方があるけれど、そのような形での子育てへの参加もありだと思うのです。
常にお互い様。
お互いにリスペクトの心を持って仕事ができれば、(制度云々細かい話は置いておいて)皆が気持ちよく、仕事ができるのではないでしょうか。
先日オンライン打合せで、たまたまテレワークをしている複数名が小さな子どもと画面に入り、マイクをオンにすれば泣き声、おしゃべり、Eテレの音、おもちゃの音...。
全く打合せにならない1時間を過ごし、いったい普段のテレワークってどうなっているのかなと。ずっとそうなんじゃないか、仕事せず子育てをしているだけなんじゃないかと思いながらも目を瞑ろうと思っていたことが、目の前で起こってどうすべきか考えさせられ、悩んでいます。
でも、これは自分がそういう人生を歩めないかもしれない(婦人科系疾患)という恐怖からくる僻みなのかと思うと、この気持ちは簡単には誰かに伝えられないものだなと、今は心にしまっています。