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(不)可能性、アキレスの亀、宇宙の孤独(展覧会『Sabbat』によせたキャプション)
①庭にいる天使の羽根をすべてもぎとっても、
君はもう二度と外へはばたくことはできない。
②重力は罪に似ている。ただし罪は正義に対置される。
③葬送の儀式で我々が定義することは、「それ」がもう二度と起き上がらないということである。
『Sabbat』(22:37)
パフォーマンス:D▲ | S/M
撮影:Mayu YAMADA、動画編集:Chihiro KURODA
<キャプション>
あるひとつのことを語るには、ふたつの話者が必要であるー曰く、”重要なのは対面的状況そのものが成立することである。それは「私」と「あなた」の「二者」の間に成立するものではない。それは外部から到来する「第三者」を歓迎する場のことである”と。
エマニュエル・レヴィナスに出会ってからは、レヴィナス-ブランショの”終わりなき対話”という考え方に強く影響され、コミュニケーションの(不)可能性およびその手段、それからレヴィナス的な「外部」との接触や、対面の実施について思考したり、その中から制作を進めて行く中で、「絶対的」に言葉を持った存在である作品と、その鑑賞者との関係性についての興味が募り、レヴィナスが生涯研究したユダヤ今日のタルムードの考え方としてテクスト(not=言語)の「記号」性について注目するようになりました。
その中で私自身が思ったことは、作品の対峙はつまり、パソコンの圧縮と回答というシステムを利用するならば、”鑑賞者は任意の記号を発見できるか?”という一種の問いかけに、個々人のナラティヴを隠し、何重にも鍵をかけて記号としての作者の記憶や思いを「圧縮」し、それを仮に対象Aとするとして、そのとき生じる《(対象A→記号)→対象A'》という転換構造の過程としての「解凍」という作業を経て、その中にある任意の「意味(=ファイル)」を抽出する行為性のことなのではないかということでした。
記号としてのテクスト、および作品とするならば、その意味を「真」なるものであるとすると、任意の対象A'は対象Aの幽霊であるのではないかと私は思うのです。
*
本作がこのように複雑な仕掛けを通っているのには訳があって、つまりこれは私にとっての抽象化(=作品化)のプロセスであり、「本当のことを言うことによって、あなたは「本当は」何が言いたいのか?」というラカン的な子供のディスクール的な問い掛けをアフォードする、というちょっとした悪戯であったりもします。
このような仕掛けもすべては私にとっての(広義の)「未定の」他者に対する問い掛けであり、ニンゲン(ここでいう「I」)にとっての他者とは常に不定形であり、であるが故に「他者とはどういった様相を呈するものなのか?」という問いを立てても決して形をなぞることの出来ない、根本的には未知の存在であったりします。モーリス・ブランショでいうところの「読み手は読書のあとに存在する」、という「交話的機能」的な定義の仕方によって私(もしくは鑑賞者=他者)の意識の外に存在するであろう「ニンゲン」の輪郭をなぞってみよう、という私的な好奇心から始まった試みです。
*
繰り返します。記号としてのテクスト、および作品とするならば、その意味を「真」なるものであるとすると、任意の対象A'は対象Aの幽霊であるのではないかと私は思うのです。
幽霊という概念は、概念それ自体が記号であり、恣意的です。そして、同じ一つのことを語るのには複数の話者が必要である、というのはつまり、多角的に輪郭をなぞっていく所作のことでもあります。それは、イメージするならば数学的な証明の所作のようなもので、我々が対話の中でしばしば、幾つかの根拠を挙げてゆき、”であるから、こうなのだ”という複雑で面倒な過程をたどるのは、第三の審級的な他者間の共通項的な概念の欠如が影響しているのではないかと思います。
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想像力というのは本当は語彙力の追いつかないところにあって、任意の事象のある瞬間を切り取って見たところをある瞬間にとっての出会いとするならば、抽出された「そこ」にあるものは、全体とも部分とも捉(捕)えられる「それ」は反転構造を成す。
よって我々はある意味では任意の事象の「出会い」に対し、いつも「それ」を掴み損ねている。それは想像力の砂塵の中で少しずつ蓄積される、我々の孤独の部分でもある。
全体と部分の集積を掬い取る所作をある種の宇宙とするならば、我々に対してのそれを宇宙の孤独とはよく言ったものです。
実によく出来た孤独の構造である。(2011年3月25日のメモより抜粋)
<注釈>
こちらについては、私が以前行なったパフォーマンス・および展覧会『Sabbat』のキャプションとなります。同時に作成した(結構長めの)詩について、下記の記事も合わせてご参照いただければ謎の空気感を味わえます。
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