深淵なんてもんじゃない
どんな人に出逢っても、どんなに好きなものに囲まれても、ずっとむかしにぽっかり空いた心の穴が塞がらないまんまだって?
おめでとう、それは心の穴なんかじゃない、ブラックホールの赤ちゃんだ。君が発している引力のこと。
ブラックホールは、光すら脱出できないんだって、絶望みたい。でも、ブラックホールに呑み込まれる宇宙の塵たちは、最期の一瞬、あまりの熱と引力に宇宙で最も輝くらしい。もしかするとその光の残像なんかを、わたしたちは有り難がって生きてるんじゃないかと思うんだ。
穴の存在に気づいたとき、なんだか胸のなかに空っ風が乱吹いて寒いし居心地が悪くって、わたしはこの穴をさっさと埋めることばかり考えていた。けれど、自分が持ってる土で埋め立てられない地割れは、他国の領土を犠牲にしないと埋まんないからもうさっさと諦めたほうがいい。不健全な外交は戦争を産む。
だから、ちょっとかさぶたが痛いけれど、この穴を塞がずに、広げてみることにした。
ブラックホールの恐ろしいところはなんでも呑み込むところ。今までわたしの胸のなかで痞えていたかなしい記憶、ちょっと手を突っ込んで居所を変えてみたら、その瞬間まるごと呑み込みやがった。わたしは、そのかなしい記憶のことも、かなしい記憶を有していた頃のわたしのことも、宇宙のどこか遠くに連れ去られてすっかり忘れてしまうんじゃないかと怯えていたけれど、今のところ消えたりはしていない。わたしの記憶を丸呑みしたブラックホールは、それをエサにしてもっと大きくなった。そうしたら、わたしは自分にかなしいことが起きたときも、他人のかなしい記憶がわたしの中に入ってきたときまでも、心に留まる前にブラックホールが丸呑みしてくれるようになった。ありがとうブラックホール。
ブラックホールが現れてから随分生きやすくなったけど、こいつがなんでもすぐ呑み込むせいで、前よりもひとの気持ちに歩み寄れなくなっちゃったかな、と思うときもある。でも、ちいちゃい頃の自分自身の記憶が、胸のつっかえから外れてもまだ消えてなくなっていないように、他人から受けた影響もこのブラックホールに吸い込まれて、わたしのどこかにきっと漂流しているんだと思う。
ブラックホールの引き合いに、ホワイトホールというものもあるんだとかないんだとか、それはブラックホールが吸い込んだものをぜんぶ吐き出すものらしい。だけど、誰もその存在を証明出来ないんだって。
でも、きみの心にあるブラックホールが吸い込んでいるものは ぜんぶ形のないものだから、ホワイトホールがあるとしたら、出てくるものもぜんぶ形のないものたちなんだろうね。
人類がここまで発展するのに不可欠だったアイデアとかインスピレーションが、一体どこからやってくるのかだって、誰も証明出来ないのに。創造力の根源。んん、もしかしたら、ホワイトホールってそういうものかもしれない。形のないものを吐き出している穴なんて、どこにあるか観測しようがないけれど。
流れた血と捲れた皮膚の跡は、これまできみが歩んできた人生のなかで、きみを傷つけたひとがいる、きみが傷つけたひとがいるという存在証明になる。
祝福を受けながら生まれる子どもたちは、"誰にも傷つけられることのないように"と祈りを捧げられるこの世界で、傷跡なんてひとに見せてしまったら、わたしは過去誰かに愛されなかった人間ですと公言しているようなものだ。それはきっと、とてもかなしくて、たぶん、そう思われることは恥ずかしいこと。
だから、ひとは、傷ついた過去ごとなかったことにしたくて傷を塞いでみるけど、絆創膏も貼っていられないから、ふとした拍子にめくれてしまう。なかなか消えない瘡蓋のように、中途半端に目障りな傷跡を目の端に残したまま、隠し続けてしまう。
でも、隠し続けてしまって、ただの古傷にしてしまうのはもったいないな。
最近、ひょっとしてわたしはとても支配欲の強い人間なんじゃないかとこわくなってきた。え?成人してもこんなに純粋に臆面もなく世界平和と言ってのけるわたしが?でもそんなことを言えるのは、世界が、自分の力でどうにかなると本気で思っているからじゃないかと思うのだ、
世界平和を願っても、わたしは人を救いたいなんて思わないけどね。
わたしは今、このブラックホールを上手に育てたら、いつの日か地球ごと丸呑みできやしないかと目論んでいる。
去年わたしは映像を4本つくった。その全てを撮る過程で、ひと作品をつくるごとに、わたしは過去の自分のこと、小さいのから順番に迎えに行けたような感覚がする。
過去のわたしを抱きしめてあげたいとか、もう届かない相手を思い浮かべて飛ばす紙飛行機のような想いとか、納得いかないシナリオを書き換えるとか、かなしい記憶を癒やすとか、生身の自分の経験や記憶から生まれたものはひと通り形になって、はぐれていた過去のわたしがみんな、ここに戻ってきてくれた気がする。
もうわたしの胸につっかえたものはない!遺作になってもいいと思えるものがつくれたぞ、
と思っていたけど、しばらくして背後を振り向くとそれでも埋まらない穴があることに気づいた。もうこれって、わたしがどう頑張っても埋まらないし、誰にも埋められないものなんだな、と落胆した、でもよく考えると、この穴はいきなり現れたものじゃなくて、ずっと側にあるものだった。それからよくよく見るとこの穴は、自分が抱く寂しさの色と似たものによく反応することに気づいた。
わたしはきっとこのブラックホールを飼い慣らしてやらないといけないみたい。
きっとわたしだけじゃなくて誰にでもある。
どんな人に出逢っても、どんなに好きなものに囲まれても、ずっとむかしにぽっかり空いた心の穴が塞がらないまんまだって…
でもそれは、祝福すべきことなんだ、きみのブラックホールの場所がわかったこと。魅力というのは、惹きつける力のことだから、そのひとがもっている引力のことなんだ、きっと。
だから、
自分の心にできてしまった穴やその深さを、当て擦るように他人に見せびらかすなんてことは、みっともないことだからおよしなさい。
他人の心を覗いたとき、一部分だけ、どう照らしても全く光が灯らない場所がある。誰かのそんな底知れぬ闇をうっかり見つけてしまっても、見つけた自分は特別だと舞い上がって、明かりを灯そうなんて思って他人の闇を覗いてはいけない、出てこれなくなってしまうから。
君の手元にあるその優しいちいさな灯火は、誰かのために差し出す希望の光じゃなくて、自分が自分自身の闇に深く潜っていくとき、足元を照らす光にしなさい。
自分が自分を照らす光だけは吸い込まれないからきっと。