女神様への下心
<プロローグ>
皆様は、この世に存在するはずのないものに、恋心を抱いたことはあるだろうか。
今宵は、報われるはずのない想いを背負った一人の男の物語を、実話に基づいてお送りする。
時は2000年代中頃、神奈川県横浜市に、若者の仲良し5人グループが存在した。
この5人はある年の夏、かねてから計画していた、湖へ一週間のキャンプに出かけた。具体的な場所の言及は避けるが、全国的にも名の知れた、とある湖。メンバーのうちの一人の親が所有するロッジが湖畔に在り、そこに一週間滞在する。昼間から酒を飲み、スポーツ、娯楽に大いに励む。
そんなグループの一員であった今回の主人公ばちょめんの、後にも先にも又と経験することのない、淡く、せつなく、ほろ苦い夏の恋と、神秘への接触を、皆様にお届けする。
<湖へ>
一行は神奈川県から高速に乗り、車に揺られること数時間、やがて湖畔のロッジに到着した。今年の夏はどのようなドラマが生まれるのか。様々な期待に胸躍らせ、各自荷ほどきもそこそこに、湖へ向かった。
夏の解放感、仲間との楽しい時間、その幸福感に更に拍車をかけるかのごとく、湖の岸には、手作りの飛び込み台が設置されていた。
一同、狂喜乱舞。各自思い思いに叫びながら、次から次へと湖に飛び込む。例外なくばちょめんも、勢いよく湖に飛び込んだ。
ばちょめんの水泳の能力に関しては、泳げないことはないが、そこまで他を圧倒するほどのものではない。無難に、溺れることはなく、泳ぎ切れる程度のもの。
飛び込み台から着水。夏のほてった体に適度な刺激をくれる水の冷たさに、待ちに待ったキャンプが始まったのだと喜びを感じていた時だった。ある違和感に気づく。
「ん?うまく泳げない」
全く泳げないわけではないものの、明らかに通常の感覚ではない。
体が重く、少し下に引っ張られる感覚.........…
おかしい、明らかに下に沈む。
溺れることはなかったが、通常より力を増した泳ぎで、岸まで辿り着く。
「なんか、おかしかったな」
多少の違和感を残しつつ、気を取り直し、大いに遊んだ。
<老婆の忠告>
楽しい夏の幕開けを、メンバー全員が一通り堪能したところで、小腹がすいた。誰からともなく、昼食を食べに行こうという話になった。
街部へ車を走らせると、一軒の蕎麦屋を発見。外観から想像するに、長らくこの場所で営業している老舗のようだ。
車をとめ、一同店内に向かう。
店内には、他の客の姿はない。店員の姿も見当たらないため、大きな声で呼びかける。
すると奥の方から、推定85歳は超えているであろう老婆が、時速40cm くらいの速度で歩いてくる。
「5人です!」
そう伝えると、老婆は何も言わず、一つのテーブルを指差し、そこに5人は座った。
少しの時間を経て、老婆が5人の注文を取る。
注文を取り終えた後も、一言も発さないまま、その老婆は店の奥へ消えていった。
「あのおばあちゃん、一言も話さないな」
唯一の救いは、注文を取り終えた後の老婆の歩く速度が、時速40cm から80cm にギアチェンジされた事くらいだろうか。流石の無言ばあちゃんも、注文を取り終えた後は少し急いでくれた。
その後無事そばを平らげた5人がお勘定を済ませ、お店を後にする際、ばちょめんは便意を催し、先に車に行くよう友に伝え、トイレに駆け込んだ。
トイレには、いつの物かはわからない、CCガールズのハイレグのポスターが飾られ、中ジョッキを片手に微笑んでいる。
用を足しトイレから出たばちょめんが、皆が待つ車へ向かって店内を後にしようとしていた時だった。
「あんた達、見ない顔だねぇ」
!
老婆がしゃべった。帰り際にきて、はじめて話しかけてきた。それできるなら、せめていらっしゃいませは最初に言おう。
「はい、神奈川から、湖にキャンプに来ています」
店内には、ばちょめんと老婆しかいない。
その老婆は5秒間、じっとばちょめんの目を凝視したのち、
老婆「あんた達、気をつけなさいよ。あの湖には、女神様がいる。気に入った男が湖に入ると、女神様は、その男を下から引っ張る」
老婆「1人で泳ぐんじゃないよ」
ばちょめん「……そうですか、わかりました」
ばちょめん「その女神様は、CCガールズみたいな感じですか?」
老婆「は?」
なんでもないです。
こうして友の待つ車に乗り込み、ロッジへと戻った。
車中にて、もう一度老婆の言葉を思い出す。
" 女神様は気に入った男が湖に入ると、下から引っ張る "
鳥肌がたった。今朝湖で泳いだ時、明らかに感じた違和感。体が重く、下へ引っ張られる感覚。自分は女神様に、引っ張られたのだろうか..…。もし仮に完全に引っ張られてしまったとして、その後女神様は一体何をする気なんだろう。二人きりの場所で、誰にも邪魔されず、気に入った男と........…
脳裏に浮かぶ、CCガールズのポスター。
女神様、エロっ!!
こうしてばちょめんの、ひと夏の恋が始まった。この世に存在するはずのないものへの、報われることのない、淡い恋。
その後ロッジへ戻っても、ばちょめんの頭は女神様の事でいっぱいだった。
どんな顔をしてるんだろう........…
<女神様への質問>
湖から少し歩いたところにあるロッジの周りには、様々なスポーツを楽しむことができる広場がある。一通りスポーツを楽しみ終えた夕暮れ時、一行が再びロッジへ戻ろうとする中、ばちょめんだけは「散歩をしてから戻る」と言い残し、一人湖へ向かった。
夕暮れ時の湖。人は日中に比べ、まばらだ。一人ベンチに腰掛け、水面を見つめる。
貴方は、僕を、引っ張りましたか?
当然答えは返ってこない。
それでも、どんどんと浮かぶ、女神様への質問。
好きな男性のタイプは?
もし付き合ったら、デートはどこに行きたいですか?
お酒は飲まれますか?
なんて呼んだらいいですか?
休日は何をされて過ごしていますか?
すっ、スリーサイズは?
あー、めんどくせぇ。セックス好きですか?
質問タイムを終え、ロッジへ戻る道すがら、湖を背後に一人つぶやく。
女神様、エロっ。
その後ロッジへ帰ったばちょめんは、トランプにいそしむ友人達を横目に、シャワーへ向かった。
友「ばちょめん、明日また10時に起きて、湖な。泳ごうぜ」
明日、また湖で、泳ぐことになる。
僕は、また引っ張られるのだろうか........…
女神様と、二人きりになるのだろうか。
シャワーに入ったばちょめんは、万が一に備え、ムダ毛を処理した。
<再度、湖へ>
翌朝、軽い朝食を済ませた一行は、再び湖へ向かった。
到着するやいなや、そうそうと水着に着替える。泳ぐ準備を終えた一人の友人が、さっそく湖へ飛び込もうとした、その時だった。
ばちょめん「待て!」
友「どうした?」
ばちょめん「俺が先に行く」
友「いいけど、どうしたん?ってゆーか、お前スネ毛剃った?」
ここで一同を集めた全身ツルツルのばちょめんから、注意点が伝えられた。
ばちょめん「今から俺が先に湖に飛び込む。できれば見ていてほしい。もし、もしも万が一、俺が溺れるような事があった場合、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ粘ってから助けてほしい。」
一同「........…は?」
ばちょめん「少しだけ、時間が欲しいんだ。いいな?よろしく頼んだぞ」
こうしてばちょめんは、飛び込み台の端に立った。
僕は、引っ張られるのだろうか。
彼女に、触れられるのだろうか。
" 女神様、セックスは好きですか? "
そう一言つぶやいて、思い切り湖に飛び込んだ。
<再会を求めて>
弾ける水しぶき。肌に感じる水の温度。
" 女神様、僕は、ここに、居ます "
平泳ぎでスタートしたばちょめん。体の感覚に神経を研ぎ澄ませる。
ん........…
全く引っ張られない。
前日に感じた体の重さ、引っ張られる感覚が、全くない。
" 女神様、僕は、ここに、居ます "
その想いで、バタフライに切り替えた。
バッシャバッシャ音を立てながら、激しく泳ぐ。これなら、気づいてくれるはずだ。
淡い恋心を抱いた若者の、全力のバタフライ。
それを岸から見守る、友人達。
........…されど、引っ張られることは、やはりなかった。
女神様に........…下心が........…バレた。
泳ぎ切ったばちょめんが岸に到着。見守っていた友人たちの元へ向かう。
ばちょめん「........…おう」
一同「…………は?」
<独占欲>
その後友人達は、待ってましたと言わんばかりに、それぞれ湖に飛び込んでいった。それを岸で見守るばちょめん。見守る?いや、監視と言っていい。
もし万が一、友人の一人が、女神様に........…
その様な考えが浮かんでは、ばちょめんの監視の目は更に鋭くなっていった。
友よ、君がもし溺れる事があれば、何が何でも絶対助ける。お前達の命が何より大事だけど、
それと同時に、
彼女には指一本触れさせない。
女神様は、
俺の女だ。
<お別れの時>
それから数日が経った。一週間などあっという間で、明日、一同は帰路へつく。
ばちょめんのキャンプ中の日課と言えば、バタフライで泳ぎ、即監視。再度バタフライで、また監視。おかげでバタフライを完全に習得することとなった。
ただ、あれ以降、一度も女神様に引っ張られることはなかった。
そうして一同、今年の思い出を語り合いながら、ロッジの掃除を終え眠りについた。
翌日早朝、ばちょめんは予定より早く目覚めた。これと言ってすることもないため、最後に湖へ一人散歩に出かける。
女神様へ、お別れの挨拶をしよう。
ほとりのベンチに腰掛け、水面を見つめる。
女神様、何がいけなかったのでしょうか?
スリーサイズ聞いたのが、ダメでしたか?
どんなに話しかけても、どこからも反応はない。淡いひと夏の恋に打ちのめされた若者を、湖畔の風が優しく包む。
どのくらいの時間が経っただろうか、さぁ、そろそろ帰ろう。
そう思い、立ち上がろうとした時だった。
背後から肩を2回叩かれた。
女神様が、陸に上がって現れたのか。ばちょめんの想いが、ついに彼女に届いたのか。
そっとゆっくり後ろを振り返ると、そこには
蕎麦屋の老婆が立っていた。
「また、遊びに来なさい」
お店で見かけた時より、少しだけ色っぽく化粧を施した老婆はそう一言いうと、また時速40cm の速さで、散歩コースへ戻っていった。
<エピローグ>
あれから、何年経っただろう。今でも思い出す、あの夏の恋。
この世に存在するはずのない者への、報われない恋。
それでも、初日に水中で確かに感じた、彼女の存在。
そして時が経つにつれて、あの夏を思い出すたび、徐々に沸き起こる一つの疑問。
肩を叩かれた後、確かにTシャツのその部分が湿っていた。
ん?
あの蕎麦屋の老婆って........…
最後までご一読、ありがとうございました。