【Portrait of BACH】三分でわかるバッハの素顔【祈り、歌え】
クラシック音楽史上、数多の名曲で知られながら最も誤解されている作曲家と言えば、音楽の父ことバッハ(1685-1750)だろう。
学校教育で習うバッハ像はもとより、インヴェンションや平均律を通じて体感するバッハの音楽は、一種独特のものがある。
バッハの素顔とは?
珠玉のショートピースは無数にある。
これぞというものを三つだけピックアップしてみた。
祈るバッハ
セロ弾きのバッハは、踊りながら、祈る。
ここでは、通常とは異なる時間が流れている。
まばゆいばかりのニ長調の輝き。
聞こえないメロディも含めて、チェロひとりで四声を奏でるサラバンド。
舞曲という形式を飛び超えて、バッハは祈る。
歌うバッハ
ピアニスト・バッハは、ひとりで四人分を歌う。
ピアノでしか表現できないバッハ、その究極の形。
四声が織りなす夢幻の世界。
高名な変奏曲、その最終変奏は《クォドリベット(お好きなように)》。
いとしめやかに、名残惜しくもバッハは歌う。
伝統と情熱のシェフ、総料理長バッハ
バッハの時代、作曲家(音楽家)は基本的に雇われ料理人に過ぎなかった。音楽家の仕事とは、雇い主(王侯貴族や市幹部)のオーダー通りに音楽を提供することだった。
作曲家がカリスマ・アーティストとしてタレント化するのは19世紀ロマン派以降のことである。
バッハはいくつもの宮仕えを経て、最終的にはライプツィヒ市の音楽監督として生涯を終える。
その長きにわたる雇われ人生において、バッハは伝統技法を極め尽くし、そして何より、情熱的な音楽を書き続けた。
当時の音楽は日用品や消耗品に近かったから、19世紀の人々がそれを古典として再発見したときの衝撃たるや。
終生、ドイツ・ルター派音楽文化圏に身を置きながら、バッハの音楽は驚異的なまでの普遍性をたたえている。
高度に普遍的な造形、それでいて情感に満ちあふれた音楽。
そのバランス、調和こそバッハの魅力。
(参考)
ショートピースというには大ぶりな、あまりにも魅力的な器楽曲選集はこちら。