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新・現職教員の教職大学院での学び②-「勉強」と「学び」の違い

 「天国はあるのか?」「なぜ私だけ障害があるのか?」担任している子供に聞かれた際に、返答に困った質問です。同じように「勉強」と「学び」の違いは何ですか?と問われると、一瞬、言葉に詰まるような感覚があります。新たな知識を得るために「勉強する」、「学ぶ」という文脈で考えるなら、勉強はどちらかと言えば受動的なイメージで、学びは自主的なイメージが浮かんできますが、説明としては物足りなさがあります。自分の中で勉強と学びの違いを明確に言葉にできないものの、感覚的に違いはあるだろうということを認識しています。
 先日とある学校の授業を見せていただく機会がありました。昨年も参観させていただいた学校ですが、校舎が増築されていたり、どことなく生徒の雰囲気も前回とは変わっていたりと常に学校は変化し続けるということを改めて実感しました。
 とある授業で、「犯罪はなぜ起こるのか?」といったテーマを元に話し合いが進められていました。動画教材を見た後に、小グループになってそれについてお互いが思うことを話し合います。スパイダー討論の方法が用いられていました。(スパイダー討論はグループの発言をウェブ図で可視化することで、グループ構成員が平等に意味のある形で実質的に参加する討論を目指すものだそうです。後で知りました。)

 また他の授業では、「生命とは何か?」についてペアで研究計画をたて、どのように進めていくかを教師や仲間と話しあっていました。「かわいい」と「生命」とリンクさせたいという熱い思いをもっている生徒さんの話には思わず唸ってしまいました。研究倫理的に良いのか悪いのかはわかりませんが、タンパク質を継続的に一定量とっていくことで自分の体にどのような変化が現れるかといったところから「生命」について結びつけていこうと考えているペアもありました。
 今回の授業参観から先に述べた「勉強」と「学び」の違いが少し見えたような気がしました。今回参観させていただいた授業は私の中では「勉強」ではなく、「学び」という捉えです。ただどうしても勉強と学びをうまく言語化できません。そんな時に出会ったのが佐藤学さんの言葉です。

私は「勉強」と「学び」の本質的な違いを「出会い」と「対話」の有無に求めている。「勉強」は何者とも出会わず何者とも対話しない活動である。
それに対して「学び」は新たな世界と出会い、新たな他者と出会い、新たな自分と出会う活動であり、世界と対話し(世界づくり)、他者と対話し(仲間づくり)、自己と対話し(自分づくり)続ける活動である。学びはいつも内と外に開かれているのである。

佐藤学「学びの対話的実践へ」https://www.jawe2011.jp/publish/welearn2006/data/07kantogen.pdf

「これだ!」と非常に納得しました。学びのキーワードを出会いと対話においているいう点がしっくりきます。対話する相手がいない状態でも、自分との対話や世界との対話から新たな学びは得られることも共感します。「私はこう思う」、「なぜそうなったのだろう」「⚪︎⚪︎が△△を✴︎✴︎にしたのかもしれない」といった疑問や思いをもち、それを追求していくことが「学び」とも捉えられるかもしれません。そこに他者が加わり、さらに対話を進めることで新しい考えや追求の仕方を学んでいくのかもしれないと感じます。
 授業終了後、この学校に通う生徒さんに、「(僕は対話というものが苦手なのだけど)対話を多く取り入れた授業は苦しくないですか?」と聞きました。少しネガティブな質問をしてしまったなと反省しましたが「苦しいと思ったことはないです!小学校から好きでした!」と元気に答えてくれました。「対話する中でモヤモヤが生まれることもあるけど、それを解決するのも対話だと思います」といったことをお話ししてくださったことも非常に印象的でした。
 勉強と学びの違いを考える中で、出会いと対話の重要性に改めて気がつくことができた授業参観でした。授業方法や授業技術だけではなく、概念的な部分を考えるきっかけを得ることができるのも授業参観の良さのような気がします。
 

 本日もご覧いただきありがとうございました。だんだんと暑くなってきました。どうか皆さんご自愛くださいませ🌸良い週末をお過ごしくださいね!

もうすぐ夏がやってきます!!!

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