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ジャーナリング再開/考えることをやめないこと

こんばんは。森梓です。

昨晩、久しぶりに日記を書いてみました。

最近読んだ本で

昔の自分を素直を振り返るツールとして日記やジャーナリングが良いと。
特に自分のものの見方とか捉え方とかの変化を楽しめるなあと。
(書いてあるニュアンスはもう少し違いましたが、わたしはこの部分が良いなあと思いました。)

読んだ本はこちら。


昔の日記って結構恥ずかしくて読んでいられない時はありませんか?
でもそれは自分の視点、視野、視座が広がった証拠だから。
成長の証なんです。

それを思うと、恥ずかしくても今のありのままを素直に書けば、おのずと自分の成長を認められるし、面白おかしくもできる。
面白おかしくできるのは、その時あったしがらみとか偏りとか苦難とか・・・それらを乗り越えたからこそできるもの。
それも成長ですね。

そう思ったら、日記を書くのって面白いかも!?と思い、昨日からまた新たに始めてみました。

この過去の日記って、どれぐらい過去?って思うんですが、1年経たずとも3ヶ月前のものでも違和感や面白さが垣間見えましたよ。

昨日は書き方にはこだわらず、ただ漠然と思いついたことや最近考えていること感じていることについて

「〜だなあ、とか」
「〜したいなあ、とか」

語尾だけ統一して(笑)
適当にあげてるんじゃないかというくらいなゆるさで書き出してみると、案外2ページくらいすんなり書き出していました。

本当はどこかに吐き出すことを求めていたのかもしれませんね。


考えることをやめないこと、というよりも

考えていることを考えるだけにとどめないこと

の方が大事なのかもしれません。

いろんな本や、先輩方から

何を考えて日々過ごすかで、毎日が、1年が、その先が変化する

という言葉を見たり、声を掛けていただくことが何度もありました。


目標を立てることは、より日々を充実させる上でとても大切なことですが
そうじゃなくても

今日どんな気持ちで過ごしたいかな
どんな1日になったらいいかな
どうしたら満足できる1日にできるかな


それだけでも考えていることになりますし
自然と考えていることにとどめず、行動としてのアウトプットを促せる方法なのではないかと。

そこまでがセットであるから「先が変わる」ことにもつながるんじゃないかと思います。

わたしは自分に甘いので、自分の身を引き締めるための言葉として大切に持っていたいと思います。


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