【健脚に憧れて(山エッセイ)】
神奈川県の最高峰、蛭ヶ岳に登った。
標高は1,673メートルなのでそれほど高くはない。
ただし蛭ヶ岳は丹沢山塊の奥地にあるので、どの登山ルートを選んでも登頂・下山までに10~12時間はかかる。長丁場の山道になるので、山小屋に泊まり一泊二日で歩くのが一般的。
この日は強行軍の日帰りを選択した。
蛭ヶ岳までの縦走路を、健脚の人なら一日で歩き通すと聞いた。
健脚。なんて素敵な響きだろうか。なれるものならなってみたい。
自分だって登山を始めて四年が経つ。それなりに体力だってついているはず。健脚には程遠いけど、今なら歩き通せるのではないだろうか? そう思って挑戦した。
日の出ているうちに下山するのは最初から諦めて、ヘッドライトを持って行く。
最初の数時間は人気もなく景観もない、湿った落ち葉に埋め尽くされた道を歩く。稜線にまで上がると、ようやく景色が見えた。
登山口から五時間程度で、蛭ヶ岳の山頂までたどり着いた。
雲が出てきて富士山が見えないことだけが惜しい。しばらく待っていれば雲は抜けるかも知れないけれど、今日はまだこれから五時間歩かなければならない。早々に蛭ヶ岳の山頂を後にした。
ここから先は『丹沢主脈線』と呼ばれるラインを歩く。このラインを歩き通すのは過酷だった。何しろずっと絶景が続く。
関東平野の方面はすっきりと晴れていて何時間でも景色を見ていたくなるし、何枚写真を撮ってもまた撮りたくなる。さっさと歩かなければ日没の刻限が迫っているというのにいつまでも景色に見とれてしまう。何度も立ち止まってしまう。一向にスピードが出ない。
縦走の最後の山は塔ノ岳。
何度も繰り返し登った山だけど、日没に山頂にいるのは初めてだった。塔ノ岳は神奈川県の山で登山客が最も多いらしく山頂は平日でも人で賑わっている。さすがに日没の時間ともなると自分以外の誰もいない。ここからは日が暮れてヘッドライト無しでは歩けなくなる。
夜の山は自分の手のひらさえ見えないような暗闇で、ヘッドライトが無ければ一歩も進めそうになかった。ただ、尾根を歩いている間中、神奈川の夜景が何度も見えるので心細さはなかった。人込みや都会が苦手で自然に逃げ込んでいるようなものなのに、夜の山では街の明かりを見て安心しているのは身勝手かも知れない。
スタートから10時間と41分、山道を歩き通して下山した。
山登りを始めたばかりの頃は1時間の山道で疲れ果て、翌日は筋肉痛になっていた。今では10倍の時間を歩いてもまだ余裕がある。少しは健脚に近付けただろうか。
山には化け物じみた体力を持つ人たちが「出る」ので、まだまだ上には上がいるけれど。
山頂を目指すのと同じで、目標に向かって歩いていくのは楽しい。