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【人生ノート 278ページ】一日一日、一歩一歩と悟ってゆき、進んで行くようにせねばならぬ。
反省と忍耐
何ごとでも急激に改めてしまおうとしてはいけない。徐々に、つぎつぎに尚してゆくようにせねばならぬ。
でないと、ちょうど嬰児に無理に大人のまねを強いるのと同じ結果になってしまう。
一歩一歩、理想へ近づいてゆくように、その都度に省み悟って、少しずつでよいから、以前よりは、よりよくなってゆくという風にあるのが一番よろしい。
最初は、何かを手本としてその真似をし、こんどは、それより抜け出して、独得の創造をするようにせねばならぬ。最初からむずかしいことを独りでやろうとしたところで、到底できることではない。といって、いつ迄も真似ばかりしていてはいけない。
○
導かれる方の人は、決してあせってはいけない。一日一日、一歩一歩と悟ってゆき、進んで行くようにせねばならぬ。これらの人々にとっては、反省と忍耐とが何よりである。この二つを忘れぬように、そして導かれるままに、一心不乱にすすんで行きさえしたらよい。
反省することは、真に“知る”唯一の手段である。内に省み外に省み、ここに始めて自己を知り他を知り、やがて神を知ることができるのである。反省のないところに改悟はなく、自らの改悟のないところには新生はない。
永久に同一世界にうごめいているだけである。
それから、忍耐であるが、このことについても、ちょうど、あたたかい風呂にはいる前には、どうしても素っ裸にならねばならぬように、一時、いやな思い、寒い思い、面倒な思いをするのは致し方のないことである。今までの馴らされていた住家から、新しい住家へ引っ越すようなもので、こんどの家へ引き移ってしまったなら、前にいやまさる幸福が味わえるということは分かりきっておりながらその引っ越しがちょっと面倒で億劫なものだから、ぐずぐず日を伸ばしていてはいけない。引っ越す面倒と費用は必然的に伴うが、それを恐れていてはいけない。第一段目から第二段目へ昇る際にも、寝ていて知らぬ間に昇っているというわけにはゆかない。足をあげ全身を動かさねばならぬ。上へ昇るのは、下へ降りるのと違って、ちょっと息苦しいものである。が、しかし、昇りきった時は、もはや、愉快と幸福とが増進しているのをおぼえるだけで、苦痛は消えている。
『信仰覚書』第六巻 出口日出麿著