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失敗を苦にするな

物ごとを何時までもクヨクヨと心に持って考えてばかりいることは、心身の大毒だ。す早く、現在の自分相応に処置してゆけばよいのだ。それを、力もないくせに、いたずらに理想にのみ走って、あれこれと

何時までもひねくり回しているから苦しいのだ。「もし間違ったら」とか「これでは不完全だから」とか思って、ためらうのは悪いくせだ。事にあたったら、す早く、現在の自分の識見相応に、そのことの外郭および中核をつかんで、それに対する処置を考えるべきである。

人間は失敗するから進歩するのであって、要するに、ドンドン失敗してドンドン進歩向上して行ったらよいのだ。一度や二度の失敗でヘコたれてしまうような人間なら、先はよめている。つねに通ずるばかりで、窮したことのない人間は、一見、どえらい勢いのようであるが、一度、風の吹きまわしが違ってきたら、急に処置にマゴつくにきまっている。

空を見ては雲行き、方角等を知り、海中を見ては潮流、暗礁等も心得、前後左右をみては風の工合を察し、また船自身においては破損はなきや、水や食糧は充分か否か、乗組員の健康状態、統一状態はどうか等を注意せねばならぬ。その中の、どの一つに不熟練であっても、平安な航海はつづけられないのである。しかし、いよいよ真にここまでになるには、たたみの上の水練ではむろんダメ。また平安な航海の経験だけしかない船長でもダメである。

すべてが釣り合った時に、ものは円満になるものであって、すべて釣り合うまでには、すべてが争うものである。争いのあるところに失敗がある。

なるべく思うようにさすことなり。

なるべく思うようにすることなり。

子供は、いわゆる、いたずらをすることによりて智恵づくなり。少し長じては、あらゆるものに疑問をはさむことによりて物事を識るなり。できる限りいたずらをさすことなり。できる限り疑問に応じてやることなり。

子供の伸び伸びせると否とは、大半、家庭によるなり。ただし、教養によりて、子供の素質を全く一変し得ると考うるは、まったくの誤謬なり。

『信仰覚書』 出口日出麿著

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