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【人生ノートMagazine】一心が神に通じぬ筈は奈い

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人生ノートの中から信仰とはなんなのか、神さまの世界について触れている部分をまとめてみました。
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2021年6月の記事一覧

理想を見つつ、現実を離れず

理想を見つつ現実を離れず、しかも現実を一歩ずつ向上させねばならぬ。 永遠を仰ぎつつ現在を離れず、しかも現在を一歩ずつ向上させねばならぬ。 無限法界を解するとともに今界を会得し、しかも一歩ずつ今界を向上さすことい努めねばならぬ。 ○ 無限に為し 無限に省み 無限に悟れよ 出口日出麿著『信仰覚書』第三巻、無限に悟れ これまでのお示し 

自分もよく他人もよい生活

恨み、憎み、ねたむ、ということなしに、お互いに理解し合って、自分もよく他人もよい生活をしたいものであります。 遮二無二、他人より勝ろう、他人より上になろうとする気分は、ともすると、他人(ひと)と張り合い、他人をつきのける結果になりがちで、かえって、他人よりつき落とされるのであります。 これに反して、時間的にはのろいようであっても、少しずつ自分の積んだ徳によって、自然に、何時とはなしにかち得た地位というものは、絶対に確実であって、そこに何等の危険もありません。 誰でも、よ

反省と忍耐

導かれる方の人は、決してあせってはいけない。一日一日、一歩一歩と悟ってゆき、進んで行くようにせねばならぬ。これらの人々にとっては、反省と忍耐とが何よりである。この二つを忘れぬように、そして導かれるままに、一心不乱にすすんで行きさえしたらよい。 反省することは、真に“知る”唯一の手段である。内に省み外に省み、ここに始めて自己を知り他を知り、やがて神を知ることができるのである。反省のないところに改悟はなく、自らの改悟のないところには新生はない。 永久に同一世界にうごめいている

その日その時のベストを尽くして

何事も神意にまかして、あせらず、あわてず、その日その時のベストをつくして、一生を一日のごとくに悠々とおくる工夫をせねばなりません。 天国へ行くのも地獄へ落つるのも、みな自分自身が平素からの心の状態がつもりつもって、必然的にそうなるまででありまして、けっして、神さまが連れて行かれるものでも、また社会がそう強いるものでもありません。みな、みずからの心の持ち方ひとつが作り上げるのであります。 『信仰覚書』 出口日出麿 これまでのお示し 一歩一歩の歩みに全力をそそぐ https

生きていることに興味を持つこと

何事でも、出来てしまえば思ったほどでもないもので、その前に、いろいろと勝手な想像をめぐらすことによって、 楽しくもあり、まt悲しくもあるのだ。 そして、人間の真の生活は主観であるから、その人の心の持ち方ひとつで、世の中は楽しくも苦しくもなるというのである。 他人から見たら、乞食のような生活をしていても、心の中に天国があれば、見るもの聞くもの、天国のものばかりである。これに反して、外見は王侯のような生活をしていても、心が闇にとざされていたら、見るもの聞くもの、黒い影ならざ

神さまは無邪気をもっともお喜びになる。

神さまは無邪気をもっともお喜びになる。気どったり、様子ぶったり、威張ったり、強がったりするのが大嫌いである。奪ったり、打ったり、はったり、勝ったりでは、まるで合戦だ。神の国には合戦はない。 心の内と身の外との一致した純真な、他人に対して露ほどの邪気もない人は、きっと天国者だ、しあわせ者だ、及第者だ。 執拗な、利己心一方の人間ほど始末におえぬものはない。それは決して、その人本来のみたまが、そうあるのではない。ちょっとした罪から、他の悪しき霊と感応して一緒になっているからであ

みたまの一大浮沈期

無智、暗愚なるわれわれは、ただただ皇大神を信仰しまつりて、みたまの借銭なしをなくしつくして天国に籍をおくことを念願とせざるべからず。 天国に籍をおける人のみたまは、この世においても、さしたる苦悩なくやすやすと一生をおくり得る反し、幽界に籍を有する現身は宿因の報いきたりて、いろいろと辛苦間難をするものなり。神諭に 「一代や二代のおわびでは、かなわぬご無礼なれど … 」とあるは、ここのことなり。(神諭とは大本の経典=大本神諭) されどこの度は、三界の大変革期なれば、多くの借