神さまは無邪気をもっともお喜びになる。
神さまは無邪気をもっともお喜びになる。気どったり、様子ぶったり、威張ったり、強がったりするのが大嫌いである。奪ったり、打ったり、はったり、勝ったりでは、まるで合戦だ。神の国には合戦はない。
心の内と身の外との一致した純真な、他人に対して露ほどの邪気もない人は、きっと天国者だ、しあわせ者だ、及第者だ。
執拗な、利己心一方の人間ほど始末におえぬものはない。それは決して、その人本来のみたまが、そうあるのではない。ちょっとした罪から、他の悪しき霊と感応して一緒になっているからである。
人間本来のみたまは、みな、神から授けられたきっすいなのだが、これに、すこしの隙から邪悪分子がまじって、にごしているだけなのである。それが証拠には、どんな人間にでも「良心」というものがあって、悪事をしつつも、心の奥のどこかでは「ああ、これは悪いことだ。俺もいつまでも、こんなことをしていてはならぬ。まことの人の道をふんで行きたいものだ」という本来の直霊の叫びがあるではないか。
悪を悪と思わぬにいたれば、もはやその人は無限地獄へおちているのだ。
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この世へ生まれさせられている大多数の人間は、罪を負うている。その罪さえすっかり洗い去ったなら、人はだれでも、それ相当の神さまなのである。
神にまかせよ。神にまかせば、知らずしらずのうちに、よりよき方へとみちびかれる。たとえ、一時、罪のつぐないのために苦しむ時があるにしても、それは瞬間だ。
出口日出麿著、『信仰覚書』第四巻、赤児にかえれ
これまでのお示し
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