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自分にとって大切でも、他人にとってそうとは限らないこと。

先日、一家全員で某アーティストのファンだという方のお話を聞いた。そしてその場にもうひとり同じアーティストのファンの方がいた。コンサート会場まで約2時間かそれ以上はかかるけれど家族みんなで行ったりするとのこと。幼児と呼ばれる年齢層にもその方のファンは広がっているとのこと。

一方で、「〇〇さんはお金払ってまで聞きに行くくらいクラシック好きなんだって。」という言葉を聞いたところでもありました。「タダで演奏してるなら聞くけど、お金払ってまで」というニュアンスがその裏にはあることになる。しかし、私がそこで腹を立てたかというとそういうことではない。

子育て、仕事、介護、日々の家事に追われるなかで捻出した時間やお金。人によっては数年に1回しかないかもしれないチャンス。それをどう使うかというのは本当に人それぞれだ。クラシック、ジャズ、アーティストのライブといった音楽だけでなく、旅行、スポーツ観戦、豪華な食事、いろいろなものが横一線に並んでいる。

私は幼い頃から、「ピアノや楽器の練習音は自分にとっては特別なものでも周りの人にとってはただの生活音で騒音なんだ。」と言い聞かされて育ってきた。練習時間は遅くても19時まで。連続で弾いていいのは1時間くらいと厳しく言われていた。

当時は鬱陶しかったけど…今はその視点は重要だと思っているし、そこの部分を持てたことが知らず知らずのうちに今の自分の強みになっているなとも思う。

色々な演奏者の方に出会った。その方々が「演奏や指導で報酬を得ることを選択」しているかどうかにかかわらずだ(※何を主たる収入にするかということと、その人の奏でる音楽に対する需要は関係のない話だと思っている。この話はまた今度)。人生の局面で密に関わって演奏を共にした人、ネット上のつながりの音楽関係の方々…時には距離ができたりしながらも細く長く縁が続いているのはどこかで同じような思いを持った方々なような気がする。

楽器が好きだ。演奏することも好きだ。私が素晴らしいと思う音楽はたくさんある。それは私のものだ。誰かと一致する場合もあれば、ない場合もある。人々みんな好きな芸術やスポーツや学問があってその重みもまたそれぞれだ。その視点は今後も大切にしていきたい。

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Canna Natsuki
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