想いを外に表現していくこと
10年くらい前なら、思ったことをそのまま発信していた。スマホよりPC触ることの方が多かったのに、パッとノートPC開いては書き留めていた。友達にこまめにメールを送ったりもした。ウェブサイトを作ったり、ブログもこまめに書いた。閲覧数は別として…。
それから年月が過ぎ、持っていたサイトはたたんた。文章をいくつか残しておい程度。それからあまり発信しなくなった。たまに発信してもすぐにやめてしまった。そうやって自分の内側に溜めて行くことがおおくなった。こまめにメールも送らなくなった。SNSにすらろくに投稿していない。
閉じて行ったとも言えるし、面倒になったとも言える。実際、音楽の先輩たちからはもっと発信するようにと先日お言葉をいただいた。
かつては瞬発力があった。
一方、別の側面から見れば、自分の中にためられる部分が少なかったとも言えるのかもしれない。
今はまず周囲を見るようになった。といっても空気を読むのとは違って、周りの状況を観察する感じ。ここでこれをいうことは果たして効果的か…そのようなことばかり考えるようになったかも。おそらくもともと伴奏気質で、その気質が拍車をかけたとも言える。
ただ、やはり周りの方々の言うように、少しは開いて行ってもいいのかなぁという気もしている。少し紐を緩めてもいいのかな、もう少しスムーズに発信してもいいのかな、などと。。
好きなこと、思うこと。文章でも、音楽でも。
これを書いたのがわりと前。そこからあまり変わっていない。しかし「音楽の先輩たちからはもっと発信するようにと先日お言葉をいただいた。」の部分は変わっておらず、先日もまたはっぱをかけられた。YouTubeへはのんびり投稿を続けているが、そういうことではないらしい。もっとほかのミュージシャンと交流するとか、表に出て演奏するとか。
外に出て演奏するのが面倒になったわけでもないし、一緒になにかやりましょうと声をかけていただき続けてもいるので、自分の意志次第だといえばそうだ。
しかし、演奏を待っていると声を頂いたり、依頼を頂いても、自分が動かなければ、演奏を聞いてくれるわけではない。もともと一定の動きをしがち。座ったら座りっぱなし、走り出したら走りっぱなし。
この記事を書いた時は、もっと活動的にならなければという焦りもあった。しかし今改めて書いてみると、必要なのは、もう少しこまめに切り替えることなのかもしれないなとも思いははする。
熟成していた割にはほとんどつぶやきの記事ですが。せっかくなので出しちゃえ、ってことで、投稿。