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遠距離介護は突然に。シーズン3⑤実家滞在と父面会

末期がんが見つかり病院に入院した父を、遠距離の子供達で遠隔見守り中。それぞれがいけるタイミングで父を訪ねている。
私は今のところ月1ペースで実家に戻ることにしているが、ひとり暮らしの父が再び家で暮らす事もうないだろうと、私は滞在中にせっせと家の中を片付け中。可燃ゴミと不燃ゴミの袋の山が出来上がっている。金曜日の朝一気にに不燃ゴミを出す事にして、そのために木曜日から行く事にした。大量ゴミを出すのも悪いなと思いつつ、目立たない様に早朝まだ暗いうちから何往復もして、燃えないゴミを出す。
月曜の朝は、同じ手口で燃えるゴミ出しも完了。
年末年始は、弟その2一家が泊まって父に面会してくれるので、ゴミ置き場となっていた弟の部屋をきれいにして泊まれるようにしておきたい。
そして、郵便受けチェックとダイレクトメールの受取拒否手続き。手続きといっても、受取拒否と書いてポストに入れるだけだけど。
銀行通帳の記帳。色々な引き落としの確認。
使っていない家でもなぜかホコリが溜まっているので、部屋の換気と掃除機かけ。
それから、10月に往診してもらった時の薬代の支払いを失念していたので、薬局の支払いに行く。360円也。年内に払えて良かった。
などの雑務をこなす。

それ以外は、毎日午後は父の面会に行った。今回は、父にとっては孫である私の二人の息子が、それぞれ面会に来てくれた。
最初の日は私が一人で面会にいった。電話で毎日話していて、割と元気だから大丈夫だなと思ってきたのだけど、看護師さんからの話は思っていたのとだいぶ違った。
足腰がだいぶ弱り、一昨日、ポータブルトイレに移動しようとして転び、幸い怪我は無かったけど、もう危ないのでトイレでの排泄は諦めてもらってオムツにしてもらう事になりました。との事。
熱も時々出ていて、昨日は38度5分あったのでこれから5日間抗生剤投与の予定です。娘さん、何日か滞在されるなら院長から病状説明を受けますか?との事。
父本人と電話で話していると、転んだことも熱が出たことも言わないので全然知らなかった。看護師さんによると、2ヶ月前に入院された時からはだいぶ元気が無くなってきているらしかった。
動揺しながら、次の日の午前中に院長先生に会って病状を聞いた。
積極的治療は何もしてないので当然の流れではあるけど、最近は熱が出たり下がったりを繰り返してきており、胸水腹水も溜まってきている。食事量も減ってきている。今は小康状態だけど、一気に悪くなる事はいつでも起こり得るとの事だった。ただ幸いな事に、痛みは今のところないようで、それは大変いい事ですとの事だった。痛みを訴える様になると、緩和治療を始めるそうだ。まだ口からも少しは食べられているから、欲しいものはなんでも持ってきてあげていいですよ。それ出しますから。との事。
院長先生の話を聞いて診察室を後にし、その後看護師さんと話すと、「どれくらいの時間があるかは何とも言えないのだけど、そんなに時間はたくさん無いかもしれないので、なるべく面会してあげてください。それから、遠方にいらっしゃるので、もしかしたら最期に間に合わない事も場合によってはあるかもしれません。」との事だった。緊急連絡先の確認などもされた。
うーむ、思っていたよりもなかなか厳しい状況かもしれない。一気に、トーンダウンした私だったが、父の病室に入ったら、そんな事もなくいつもの感じに振る舞えた。父自身がそんなにメソメソしていないのと、私もだいぶおばさんになって鈍感力が鍛えられたせいか、自分ながら天晴れな図太さだった。
ヤングケアラーの方は、その辺大丈夫ではないのではなかろうか。私がヤングでこの立場だったら、耐えられない。こういうのはやはり中年のおじさんおばさんの役回りだと思う。呑気な感じで面会をしてから、誰もいない実家に戻った。家が昭和建築で安普請でペラペラな壁な事もあるが、誰も住んでいない家は寒い。ストーブを付けまくり、夕食を済ませてから、弟達に報告のLINEをする。
弟その1は、先週面会したばかりで、その時は割と元気そうだったので、病院からの病状説明に驚いていた。私は、「しまった、脅かしすぎたか!」と思い、「でも、会った感じでは元気だったし、心配し過ぎなくて大丈夫だから」と返信し直す。
もう心配すればキリがないし、どうしようもない事なので、みんな覚悟をしておきつつ、それぞれができる事をできる範囲でするしかない。

それにしても、この家寒い〜。
去年の冬は自分で石油ストーブの灯油を買いに行く事が出来たはずだが、今はそんな事はもう無理だ。この冬、父が暖かい病院にいて良かったと思うしかなかった。

続く