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曇天の空のもと、次男が小学校を卒業しました~小学生ママとして過ごした8年間を懐かしく感じた話

こんにちは、水無瀬あずさです。

週末は暖かかったのに、ずいぶん肌寒い本日。こんな曇り空のもとではありますが、次男「ちびた」が本日、小学校を無事卒業しました。ぱちぱちぱち!

全力で卒業おめでとうの気持ち!

考えてみれば2年前、長男の卒業式があったときはコロナ禍で、一応卒業式は開催はするけど、会場(体育館)に入れる保護者は1人のみ、もう1人来てもいいけど教室のテレビで見るという決まりになっていました。しかも卒業式は証書授与のみ!以上、解散!(無駄話で溜まらずさっさと帰れ)みたいな雰囲気だったので、「ああ、我が子が卒業するんだなあ・・・」というしみじみ感が全然なかったのです。寒かったしな。

あれから2年を経て、今年は割とちゃんとした卒業式が開催されました。保護者も2名まで参加OK、例年通り来賓もお招きし、卒業生の門出の言葉や歌の発表もあったもので、「ああ私の小学生ママライフもようやく終わるんだなあ・・・」とようやく実感できた次第です。8年間、あっという間だったなあ。長かったけど。

そこで今回は、卒業を迎えた次男へのはなむけの言葉を贈るとともに、これまでの小学校生活、そして私の小学生ママライフ8年間をしみじみ振り返ってみようというnoteです。っても我が子たち、学校で特に大きな問題もなかったので、「いろいろあったな~ウルッ」とかはあまりないんですけどね。気づけば次男くんにも身長を越されそうな今日この頃ですが、どうぞ我が子の門出を祝ってやってください!


次男くんの卒業式

2024年3月19日、我が家の次男くん、通称「ちびた」が小学校を卒業しました。本日卒業式を迎えた彼らの生まれ年は2011年。そう、東日本大震災の年に生まれた子どもたちです。生まれてすぐの未曽有の事態があり、さらに小学校3~4年ではコロナ禍による休校も経験した、まさに激動の世代。ネガティブなことはたくさんあったけれど、どうかこれを糧に、強く強く生きていって欲しいと願ってやみません。

さてそんな次男くん、「卒業式では袴が着たい」なんて言うものだから、私は朝から着付けを頑張りました。

髪の毛までしっかりセットした!

昨今の公立小学校の卒業式、女の子は袴率が高いです。学校によってはダメってところもあるみたいですが、うちの学校は特に指定がないので、女の子は6割くらい袴、男子は2割くらいが袴って感じでした。今年より2年前、長男の時の方が袴の男子は多かった気がします。ということで男子の袴って意外と少ないので、白の羽織だし目立ってなかなか良かったです。

お友達と過ごす最後の日ということで、次男くんもここ数日ちょっとセンチメンタルになってる感じはあったのですが、当日は元気に登校。どうも私や夫と一緒に登校するのが何となく恥ずかしいようで、ズンズン一人で先に行ってしまう様子に成長を感じました。あー長男くんにもあったかもな、こういうの。

ちなみに私も今回の卒業式に際してブルーのスーツを新調したのですが、着てみたら夫からは「ママにしては地味すぎる」、長男からは「なんか変、似合わない」と大不評でした。おまえらひどくないか?

地味で何が悪いのだあああ

門出の言葉と歌、成長に思わず涙

中学生の長男くんはいつも家を8:15に出るのですが、今日は次男くんの卒業式で私も夫も一緒に7:45に家を出るため、長男くんも強制的に家を出されるなどしました。文句たらたらだったけど、まあたまには早く行け。

校門で写真撮影を終え、入場待ちの待機列へ。席が決まっているのかと思っていたけど、どうやら早いもの順だったようで、早く家を出て良かったと思いました。スリッパを忘れて夫が走って家に取りに帰ったりしたけど。

卒業おめでとう

国歌斉唱、校歌斉唱があり、卒業証書授与。我が子は4組なので、なかなか順番が回ってきませんでしたが、壇上で堂々と証書を受け取る姿には成長を感じました。

猫背

続いて校長先生のお話、PTA会長のお話、来賓紹介などがあって、最後に卒業生の門出の言葉と歌の発表がありました。子どもたちが一言ずつセリフを言うやつ。我が子は「4組のトップバッターだからね」と聞いていたので、てっきり1組の発表、2組の発表、3組があって次に4組って順番なのだと勝手に思っていたのですが。どうやら全学年通しで順番だったらしく、我が子のセリフは冒頭5秒の間に終わりました。「あっ」と言っている間に終わった感じ。いや、別にいいけど・・・。

セリフは「お世話になった先生方」「最高の仲間たち」といったかんじで、割とありがちなものだったので、まあ卒業式なんてこんなもんだよね~とか思って聞いていたのですが。後半になってから、誰かの「大好きだった〇〇小学校」というセリフを聞いた瞬間、なぜか突然涙がぼろりと。本当に不思議なものです、全然感極まっているとかでもなかったのに、ぽろりぽろりと出てきて、ああ8年間通って、本当にこれが最後なんだなあと感じました。

歌も良かった。「最後のチャイム」という曲の「さよならの向こうには何かがきっと待っている」にグッときました。

「旅立ちの日に」には、広がる未来への希望を感じました。

合唱っていいですね。子どもの時は本当にダルイだけだったけど、大人になって歌詞をかみしめながら我が子の声を聞くと、実にこみあげるものがありました。低学年の頃はあんなにバラバラだったのに、こんなにきれいに声を響かせるようになったんだなあって。

私、自分は小学校を2年おきに転校していたもので、卒業式では全く涙などなかったのです。中学・高校も6年生の学校に通ったのに、卒業式で泣かなかったし。それでも不思議なもので、我が子の卒園式や卒業式では、自然と涙が溢れました。ああよかった、私も人の子だったんだなあ。

お世話になった先生方に感謝

長男と次男、合わせて8年間の小学校生活。2年間はPTA本部をやったし、6年間図書ボランティアをやったし、地域コーディネーターさんのお手伝いにも参加したりと、子どもとは違うところで私にも思い出がたくさんあります。お世話になった先生方に、感謝を込めて最後にご挨拶をしてきました。

校長先生から「ああ水無瀬さん卒業なんですね、もっといて欲しい」って言ってもらえて、リップサービスとは分かっていても嬉しかった。少しでも役に立てたって思えて、いろいろやってきて良かったなあと思いました。

小学校生活8年のうち、長男で2回、次男で1回、計3回も同じ先生が担任になるという奇跡もありました。ベテランの先生で、特に長男の時にはいろいろお世話になったので、最後に「本当にありがとうございました」ってご挨拶をしました。厳しくも優しく見守ってくれた先生のおかげで、我が子たちはまっすぐ成長できたと思います。途中で異動になるかと心配したけど、最後まで見送っていただけて嬉しかったなあ。

最後、見送りの花道では、最後のチャイムが鳴り響き、「栄光の架け橋」が大音量で流れるなかで卒業生たちを見送りました。夫と「最後の瞬間にゆずはアカン・・・!」って話していましたが、なかなかに感動的でしたね。ああ、卒業しちゃったんだなあ。

男だって袴が着たい!

小学校の卒業式で着る衣装は、だいたい中学校の制服を買うところでレンタルするサービスってのがあって、だいたいの人がそれを利用しているんじゃないかと思います。まあ、女の子でこだわりが強い子とかだと特定のところを予約するんだろうけど。うちの子が制服を買ったところでは、スーツか袴のレンタルサービスがありました。レンタル料が安いってやつで、スーツだと3000円、袴だと8000円とか。

2年前、長男くんのときは「普通でいい」「目立ちたくない」という理由で、迷うことなくスーツをチョイスしたのですが、次男くんはちょっと違っていました。「スーツも良いけど、実は俺ちょっと袴にも興味あるんだよね~」。だそうで。お店の人に「着付けって誰でもできるもんですかね?」って聞いたら、「動画を見ながら簡単にできますよ」って教えてもらったので、じゃあ袴にしようかってことで借りてきました。

着物
羽織

着付けの動画を確認して、週末に一回練習もしました。時間がないなか頑張った!私、着物の着付けって苦手で、帯がどう頑張ってもキレイに作れないのです。不器用なもんで。でも袴は帯がないので安心!着付けなんて襟以外はぶっちゃけ袴の中にほとんど入るし、羽織で隠れるしで誤魔化せるなと思ったので、そこまでストレスではなかったかな。要は最後まで崩れてこなければええんや!!ってなもんでね。

うちは男子なんでこれで全然問題なかったですが、女子は美容室の予約とかで大変みたいです。お友達のとこは朝から5時に予約とか言ってました。寝てるんだが??美は1日にしてならずってことですね。私も女子力を磨くために見習わなければ。

6年間を短く振り返る

長男くんのときも少し振り返ったので、次男くんも6年間を振り返ってみたいと思います。

そもそも次男くんは、幼稚園入園のときに「発達障がいかもしれないから療育に行くように」って言われ、療育センターで知能測定をしてもらった経緯があります。結果としては「限りなくグレー」とのことで、先生からは「お母さまがこちら(療育センター)に通ったほうが良いと思うなら通う、別にいいかなと思うなら通わない、どちらでも良いです」と言われました。私としては、本人が別に不自由には感じていない様子だったこともあり、「とりあえず通わない」という選択をして幼稚園に入園させたのでした。

幼稚園では役員などをしながらなるべく様子をしっかり見守っていましたが、特に問題はなさそうで安心していました。ただちょっと発音だけ、気になる部分があったんですよね。「カ」行と「サ」行がはっきり言えなかったのです。

自分の名前にカ行が入っていることもあり、「小学校に入ったときに、もしかしたらそれが原因で友達にからかわれるかも」というのが心配でした。そこで、年長に上がってすぐの時に一念発起。療育センターへ電話し、毎週言語トレーニングへ通うことになりました。毎週自転車での送迎(坂道がキツイ!)はなかなか大変でしたが、なんとなく「この子のために、今頑張らなきゃいけない気がする」って思ったのです。晴れの日も雨の日も通った結果、割とあっさり言葉は改善しました。

そうして満を持して入学した小学校。いろいろ気がかりだったので、私もPTA本部役員に立候補し、なるべく学校に様子を見に行ける環境を作りました。ちなみに私がこのとき本部役員になったのにはもう一つ理由があって、長男くん(当時小3)に意地悪をするヤツが同じマンションにいたので、いつでも学校に相談できる環境を作るためでした(おかげで静かにフェードアウトして行ってくれた)。PTAって悪者にされがちだけど、先生と密に連携を取るにはもってこいなんですよ?

学校で先生方にもしっかり見守ってもらった結果、大きな問題もなく学校生活を送れそうなことが分かり、胸をなでおろしたのを覚えています。ああよかった、もう心配することないんだわ~と気を抜いた1月、体育の授業で骨折するというハプニングに見舞われ、毎日リハビリのために形成外科へ通いました。仕事で通勤もしながらだったので大変でしたわ、アレ。担任の先生は平謝りしてくれて、当時の校長先生まで深々と頭を下げて謝ってくださいましたけど、状況を聞いた限り「そりゃ仕方ないよね」って感じで。真摯に対応していただけて感謝しています。

骨折の後は大きな問題なく過ごしたと思ったら、3年生でコロナの全国一斉休校。どうしようか不安だったけど、家族で声を掛け合って乗り越えられたと思います。「コロナで休みだった時期も、別に悪くなかったよね。いろいろできたし!」って言ってくれるのが救いです。でもコロナのおかげで4年生の宿泊体験は日帰り体験学習になってしまいました。

5年生からはかなり通常通りの日々になり、西湖の宿泊体験、6年生では日光の宿泊体験にも行けました。長男くんは5・6年時の宿泊体験がすべて無くなったけど、次男くんだけでも行けて良かったと思います。

幼稚園からずっといまだに、私的には「この子って発達障がい?違う?どっち??」という微妙なラインであります。ただそれも本人が問題なく学校生活を送れていれば大した問題じゃないと思っていて、今後も「うーん、どうなの?」と思いながら見守っていくことになるんでしょう。それでも6年間、友達とケンカしたり大きなトラブルもなく、勉強も問題なくしっかりやれたことは、本当に誇るべきことです。よく頑張ったと思います。

結び

本日の卒業式は長男くんのときと比べると寒くなかったので、なんとか最後まで凍えることなく乗り切ることができました。いやー終わった!終わったわあアア!もうこれで旗振り当番に行かなくて済むと思うと、するっと心が洗われるようです。旗振りだけが本当に嫌だった、本当に。

とはいえ次は中学校の入学準備が待っています。制服がそろそろ出来上がってくるのでお金を払いに行かなきゃいけないし、体育着も学校に取りに行かなきゃいけないし、上履きも買いに行かなきゃいけないし、リュックや文房具も用意しなきゃ、、ああああ!公立中学校なのにこんなにお金がかかるの何なん!!?ってのを今度別の記事にして書こうと思いますよ!リアルな金額をぶちまけてやるわ!

ということで、最後に。これから新たに中学生へとステップアップしていく次男くん。まだまだ甘ったれだけど、熱しやすく冷めやすいけど頑張り屋で、プログラミングが対好きな次男くん。気づけば私の身長を超しつつある我が家の小さな勇者の未来に、幸多かれと願っています。ちびた、卒業おめでとう!

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