東京夜探偵 9 別所坂
別所坂とは東急東横線中目黒駅と恵比寿駅をつなぐ道筋にある坂道。
古くから拓かれた坂道らしく、坂を上った先には庚申塔、馬頭観音があり、江戸時代には人の往来があったということがわかる。
そんな夜の別所坂を歩いてみる。
別所坂があるのは、目黒区中目黒。坂の上は台地になっており、その端をかつて三田用水が流れていた。
三田用水はその名の通り、用水、つまりきれいな水(上水)を流すので排水、悪水が混じらないように台地の上、それもヘリを流れていた。ここもそうで別所坂の上の端をかすめるように流れていた。
ここから目黒川の流れる低地へ向けて一気に坂は下っている。
高低差18メートルを一気に下るまたは上るので、何回も蛇行させて斜度を緩やかにしている。しかしそれくらいでは緩い角度にはならず、けっこうな急坂だ。下りは駆け下りたくなる。
坂の名の由来は、かつてこの一帯が別所とよばれていたから。
では「別所」とはいかなる意味なのか。
諸説あるようだが、ここでは一つの可能性を紹介する。
平安時代、またはその昔、当時の朝廷(大和朝廷、平安朝廷)は東北の蝦夷(えみし)と戦いを繰り返していた。それは蝦夷の支配地域にある資源を巡る朝廷による東北侵略戦争だった。戦は長きにわたり、最終的には朝廷軍の勝利に終わる。そして東北支配を開始した朝廷は支配地経営を始める。しかしここで問題が発生した。それは征服したはずの蝦夷が朝廷に従わないこと。支配地域での暴動・反乱が続いていた。ここで朝廷がとったのが分断統治政策。
まつろわぬ蝦夷たちを支配・統制するために、住地から引きはがして遠い場所に強制移住(配流)させるというものだ。このときに蝦夷を強制移住させて住まわせた土地を「別所」という呼び方をした。
これが別所の名の由来という一説。
蝦夷たちが配流させられたのは全国に及んだが、関東に特に多かったようだ。おそらく都内にも数箇所はあったのだろう。しかし人が多く住むようになり地名は変えられ、町名としては残っていない。このように坂名で残っている程度。それも由来はどこにも書かれていない。
そんなことを思い、一歩一歩踏みしめながら急坂を上っていると自転車に乗った女性が追い抜いていった。もちろん電動アシスト。この辺りの住民にとっては電動アシスト自転車はこの起伏を攻略するには必須アイテム、生活必需品だ。
いっぽうで自転車での下りは勇気がいる。そんな坂道を一気に駆け下りるカッコイイ後ろ姿に思わず見惚れる。
別所の名の由来、かつてここには誰が住んで、何を営んでいたのか、など謎は残したまま坂を上り終える。夜の急坂を制したあとは低地の恵比寿へ舞い降り、乾杯するとしよう。