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淺井長ま鮭バター大根

冬になるとよく作る料理が鰤大根。

相互フォローにて交流させて頂いているk_maru027さんが最近、作られた鮭大根に反応しました。↓

美味しそうと思えば作ってみたくなる。ということで鮭大根を自分流にアレンジしながら、織田信長の義弟を妄想した記録。


材料

鮭   2切れ
大根  1/3
葱   少々
生姜  1欠け
醤油  大匙3
味醂  大匙4
鮭   大匙1
バター 20g
塩   少々

天文十四年(1545)近江(滋賀県)に生まれた猿夜叉が後の淺井長政。
祖父の淺井亮政は近江半國の守護、京極氏を凌いで支配権を確立した傑物。しかし、父の久政は南近江の守護、六角氏との合戦に敗れて臣従。
元服した猿夜叉は六角義賢から一字を貰い、賢政と名乗る。
更に六角氏家臣の平井定武の娘と婚姻。完全に言いなりで支配下。


鮭を適当な大きさに切って塩を振っておく。下味付けと身を引き締めるため。

家臣の中にも久政に不満を抱く者達。賢政自身も独立を望み、十五歳の時に久政から家督強奪。妻を実家に返して、六角氏から離反。
この時に賢という字を捨てた。この時期の実名はよくわからない。
通称は新九郎。
他にも六角氏に不満を抱く國衆はいたようで、淺井家に付いた高野瀬秀隆を討伐に来た六角軍を相手に十六歳で初陣。勝利。
北近江から六角氏の影響力を排除して自立に成功。
この様子を尾張から見ていたのが織田信長。


大根を半月切り。

まだ十代で家督を強引に継承。六角氏を退けた力量に目を見張った。それだけではなく当時の信長は美濃攻略の最中。
美濃の向こうにある近江の実力者に伸し上がった淺井家と手を結べば、美濃の斎藤家を挟撃出来ると踏んで、同盟を打診。
遠くの國と結んで近くの國を攻める、中國の兵法三十六計で謂う遠交近攻ということ。
淺井家としても織田家が美濃まで来れば、六角氏に対抗出来る。悪い話ではないので新九郎もこれに応じ、同盟の証しとして信長は妹の市を嫁がせた。そればかりか婚儀の費用はすべて織田家負担。
信長は自分の名前から『長』の字を送り、新九郎は名乗りを淺井長政とした。
花押も長の字にする。
但し、同盟の条件として以前から同盟を結んでいる朝倉家と事を構えるような時には断りを入れて欲しいと信長に申し入れて、信長も了承。


被る位の水で大根を圧力鍋で下茹で。

長政と市の夫婦仲は良好で、茶々(淀殿)、初、江の三姉妹が誕生。
美濃を平らげて、足利義昭を将軍と奉じて上洛。
朝倉義景が義昭の上洛命令に応じなかったことを理由として信長は朝倉家の本拠である越前征伐。事前の断りなく朝倉攻めを決めたことを背信として、古くからの同盟相手である朝倉家への義理立てから信長に敵対。
大河ドラマ等では概ね、こうした話になっていますが、果たして本当にそうか?妄想癖が騒いだ。

そもそも朝倉や織田との同盟は対等な同盟ではなく、臣従だったのではないか。
朝倉家が重要な同盟者だったとすれば、どうして六角氏に圧迫されている時に助けてくれなかった?義理立てする程の相手か?


茹で上がったら、水を少し減らして調味料と輪切りの生姜と鮭投入。圧はかけずに煮る。

信長から一字貰っていますが、これは偏諱といって武家社会では君臣関係。
主の名前を貰って名乗る。つまり信長に臣従したと言っていい。
しかも信長は下の字を贈っている。もっとも重要な同盟者だった徳川家康の長男、信康には上の字を贈っているのに。ここから見ても信長は長政を臣下と見ていた。
婚儀の費用を全額負担も、主だからしてやったということ。
婚儀の相手である市が産んだ茶々は長政の子ではない。
『淺井三代記』には茶々誕生の記述なし。つまり淺井家に来てから生まれたのではなく、市の連れ子だった可能性。
父親ですか?
信長です。
信長はよく『うつけ』と言われますが、うつけとは古語で近親相姦を示す。
妹と通じて娘まで設けたことが噂として流れて、そんな陰口。


沸騰させてから落し蓋をして弱火で10分煮る。

古くからの同盟者、朝倉との義を重んじたのではなく、長政は独立心が強いので信長を討てば、その軛から逃れられる。好機と見たからこそ、越前征伐に来た時点で裏切り、朝倉と挟み撃ちに。
ところが誤算だったのは信長はいざとなれば、恥も外聞もなく逃げることが出来る武将。
秀吉、家康達が殿軍を務めている間に信長は遁走。討ち漏らした。
千載一遇の機會を逃して臍を噛んだことでしょうが、こうなっては後には引けない。こうして起こったのが淺井、朝倉連合軍と織田、德川の姉川の合戰でしたが敗戰という打撃。


バターを入れて、溶かしていく。

姉川の合戰から三年後、天正元年(1573)
信長は三万の大軍を率いて淺井、朝倉討伐。
頼みとしていた朝倉家が先に滅ぼされて孤立無援になりながらも、長政は小谷城に籠城。
八月二十七日に父、久政が自害。九月一日に長政も自害して二十九歳で人生を終えた。
それ以前に市と娘達は城から出されていた。


淺井長ま鮭バター大根

刻んだ葱を少々散らして完成。
圧力鍋で下茹でした大根がしっかりと軟らかい。皮付きなので消化酵素タカジアスターゼもしっかりと頂ける。勿論、ビタミンCや食物繊維も。
鮭に含まれるアスタキサンチンには優れた抗酸化作用。老化防止、目や脳にもいい。
葱のアリシンが食欲を増してくれる。
甘辛な煮汁にバターがコクを与える。

淺井家と朝倉家を滅ぼした後、信長は朝倉義景、淺井久政、淺井長政の髑髏を箔濃(はくだみ)にした。
箔濃とは頭蓋骨に漆を塗り、金箔を貼った物。
一説には髑髏を杯にして酒を飲んだとも言われる。
信長の異常性や残虐性を示す逸話としてよく語られるが、現代とは死生観や常識が異なる時代であり、違う意味合いがあったという説。
つまり戦った相手に敬意を表して髑髏を金箔塗りに加工したという。
どちらにしても現代人の感覚からは理解は難しい。

義を重んじて苦渋の決断で信長から離反したというよりは自立を望み、それが出来そうだと思ったからこそ反信長に踏み切った。それが淺井長政の真実だったのではないか。そんな妄想をしながら、淺井長ま鮭バター大根をご馳走様でした。



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