首と利休焼き
胡麻を塗して焼いた魚を利休焼きと言う。千利休が好んだことから命名されたとか。
言わずと知れた茶道の大成者である千利休も登場する話題の映画と利休のその後を料理しながら妄想した記録。
鮭の切り身 2枚
黒摺り胡麻 適量
醤油 大匙2
味醂 大匙2
話題になっている北野武監督の最新作「首」
歴史に興味なくても、日本人なら大概の人が名前位は知っている「本能寺の変」を主題とした映画。
NHK大河ドラマ等では決して出来ない、リアルな戦国を描いた映画だと思います。
リアルな怖さ、汚さ、えげつなさでお腹いっぱいになります。
題名に偽りなしで、劇中で幾つも首が飛ぶ。えらい武将から庶民まで。かなり残虐。とてもテレビでは放送出来ませんな。
現代ではコンプライアンスとかでアウトとされそうな案件もてんこ盛り。
織田信長ですが、登場した途端に空気が張り詰める怖い上司。
部下に「ハゲ」とか「サル」とかひどい綽名を付けて殴る蹴るどころか、機嫌次第で本気で殺そうとする。超パワハラ上司。
LGBTとかであまり触らないようにするのが無難かもしれないことも前面に出てくる。衆道つまり男色。
武士の間では男同士の交わりは嗜みであり、男女の性愛よりも結び付きが強いとされていました。
物語は荒木村重の謀反から始まり、姿を消した村重の捜索を信長は家臣達に命じる。
「働き次第で跡目を譲る」という餌。
現代の暴力団でも跡目を継ぐのは組長の息子ではなく兄弟分とか功績があった者。つまり時代劇というよりもやくざ映画のノリ。
北野監督映画、暴力描写が見ているだけで痛いと感じる。正に暴力の時代である戦国物とは親和性が高い。
登場人物も現代の倫理観とか道徳とはかけ離れた存在。
狂気そのものの信長、黒い陰謀を巡らす秀吉、影武者が何人死のうがへっちゃらピーな家康と三英傑も形無し。
少しはまともな精神かと思われた明智光秀も自分の憂さ晴らしのために平気で人殺し。
この非道さが正に戦国だと言うつもりはありません。何しろ私も戦国時代から生きている訳ではありませんから。しかし命が軽い時代だったのは間違いない。こんな風もあったかも?
登場する人物達も戦国の有名人ばかりなので、多くは既に俎上に上げております。
秀吉↓
信長↓
家康↓
光秀↓
黒田官兵衛↓
以前、書いていたのですがある事情により削除した人物。
千利休。
既に削除した記事を読んだことがある人にとっては繰り返しになるかもしれませんが、少し利休について気になることを書いておきます。
「首」の予告で秀吉が
「どうせ、お前、死ぬけどな」と言っている場面。私はこのセリフは利休に対して言っているのではないかと予想。それが当たっていたかは劇場で確かめて下さい。
つまり余計なことを知り過ぎたために利休は後年、秀吉に処罰されることになった?
天正十九年(1591)秀吉により利休は処罰。
罪状は茶器を法外な高値で売買して不当な利益を得たとか、秀吉や貴人も通る大徳寺山門に雪駄履きの利休木像を設置したのは、人を踏み付けにする不遜な行為だとか、娘を側室に出せという秀吉の要求を拒んだとか。
理由がはっきりしない。
先程から私は処罰と書いています。多くの人は切腹と思っている。しかし実は利休が切腹したと書かれた一次史料は存在せず。
同時代の公家の日記、「時慶記」とか「晴豊記」等には利休は逐電したとの記載。切腹どころか死んだとも書かれず。
伊達家の家臣が国元に送った手紙には、利休の木像が磔になったということが書かれていますが、本人が切腹したとは書かれず。
決定的なことには翌年、朝鮮出兵の前線基地、肥前名護屋城に赴いた秀吉は母、大政所に書状。そこには
「昨日は利休の茶を飲んで、気分爽快だった」と記載。
利休は九州で生きていて、秀吉とも再会?
鮭の身に沁み込んだ醤油と味醂の甘じょっぱい味を、香ばしい胡麻が見事に包み込む。
鮭に含まれるアスタキサンチンは体の酸化を抑制。優れたアンチエイジング成分。胡麻にも抗酸化物質のゴマグリナンやセサミン。美味しくて老化防止にも効く逸品。
利休が切腹したとはどの文書が初出かというと、利休が都から消えた60年後、千家の子孫が紀州徳川家に奉公する時に提出した経歴書。
同時代の史料からは利休の切腹は裏付けられないと文教大学の中村修也教授は指摘。
日本の歴史学会は史料第一主義なのに、同時代の史料からは証明出来ない利休の切腹を何故、今まで史実として扱ってきたのか?
この先、利休が切腹したという確かな同時代文書が発見されるか?それとも利休が生きていた証拠が見つかるか?
秀吉の手紙については、晩年の秀吉は痴呆症だったので幻を見たのだとか、利休流の茶を飲んだという意味で、利休本人という意味ではないという解釈もあります。
しかし利休の弟子には九州小倉の大名、細川忠興がいました。忠興が密かに匿っていて、秀吉が利休を罰したことを後悔しているのを知り、対面させた。利休との和解が成立して、秀吉は気分爽快になった?
そんな妄想と「首」を思い出しながら、首と利休焼きをご馳走様でした。