高倉健ちん汁
時々、作りたくなるけんちん汁。
ということで没後10周年を迎えた銀幕のスターを妄想しながら、けんちん汁を料理した記録。
蓮根 1節
牛蒡 1本
里芋 6,7個
人参 1本
昆布 5センチ
醤油 250㎖
味醂 250㎖
水 500㎖と適量
胡麻油 大匙2
柚子胡椒 小匙半分
蜂蜜 小匙半分
酢 適量
昭和六年(1931)福岡県中間市に誕生した小田剛一が後の不世出のスター、高倉健。
名前は「たけいち」と読むそうですが、「ごういち」と呼ばれることが多く、本人もそう自称。
中学生の頃に終戦を迎え、アメリカから入ってきた文化に影響を受ける。特に夢中になったのがボクシングと英語。
後年、ハリウッド映画にも出演した時には多いに役立ったのではないか。
明治大学に進学。卒業後、芸能プロのマネージャーになるために面接。
どうやら当時、好きだった女性と所帯を持つために手っ取り早く金になる仕事ということで知人の伝手で紹介されたとか。
ところが、その場でスカウトされて自身が俳優に。人生は異なもの。
俳優研究所でレッスンを受けることになったものの、他の生徒の邪魔になるからと見学させられた。
落ちこぼれだったと言われるが、そうではなく俳優ではなくスターになることを運命づけられていたのではないかと妄想。
つまり誰かを演じるより、そのままで絵になる人物だったのではないか。
その翌年、昭和三十一年(1956)に『電光空手打ち』で主役デビュー。
以後、高倉健となってからの人生は映画と共にあった。
出演した映画は200本以上。それに対してテレビドラマの出演は驚く程に少なく、10本にも満たない。正に銀幕のスターと呼ぶに相応しい人生を送った。
やると決めたからには徹底してやるストイックさで、晩年まで筋力トレーニングを欠かさず、四十代の頃でもベンチプレスで100㎏を挙げていたとか。
昭和や平成という時代を生きた日本人ならば、高倉健出演映画を必ず何か目にしているのではないか。以後、逸話と順不同に思いつくままを綴っていきます。
『人生劇場 飛車角』でヤクザ役を演じたことが転機となり、以後は任侠映画の主演作品がシリーズ化。
『昭和残侠伝』『日本侠客伝』『網走番外地』
東映のドル箱スターに。
ヤクザ役が多かったからか、ハリウッド映画『ザ・ヤクザ』にも出演。ロバート・ミッチャムと共演。
ハリウッド映画といえば、松田優作の遺作となった『ブラックレイン』では
高倉は日本側の主役ポジション。
高倉は共演した俳優に高級腕時計を贈ることがあった。この時にも用意。しかし優作の急逝により、その時計が腕に巻かれることはなかった。
CMで「自分、不器用ですから」というセリフを言ったために、そのイメージが定着してしまったが、実際の高倉はかなり器用というか気配りや挨拶を欠かさず、義理堅く面倒見もいい人。悪い話というのが殆ど聞こえてこない。
芸能界入りのきっかけになった女性とは別れた?のか、昭和三十四年(1959)に歌手で女優の江利チエミと結婚。
昭和四十六年(1971)に離婚。夫婦間の問題ではなく、江利の親族トラブルで高倉に迷惑を掛けたくないということから江利側からの申し入れ。
ただ、世間のほとぼりが冷めたら再婚しようと約束。
昭和五十七年(1982)に江利が亡くなり、その約束は果たされず。
別れた亭主ということを慮ってか、高倉は葬儀には参列しなかったが毎年、命日近くには墓参を欠かさなかった。
義理堅く墓参を続けたというのは江利チエミだけではなく、御先祖様にも。
高倉健の先祖は北條氏。鎌倉時代の執権一族。
最後の得宗、つまり当主だった北條高時は鎌倉陥落時、菩提寺だった東勝寺に籠り自刃。東勝寺跡にある高時の墓に毎年、高倉は卒塔婆を手向けていた。そればかりではなく高倉健の墓所は鎌倉。御先祖様達と同じ地に眠ることを選んだ。
歴史のことで思い出しましたが、高倉健は時代劇の出演が驚く程に少ない。
思い出せるのは内田吐夢監督の『宮本武蔵』五部作の佐々木小次郎、『四十七人の刺客』の大石内蔵助位。
寡黙なイメージが焼き付いてしまった現在の目で見ると、自信過剰でよく喋る佐々木小次郎はちょっと違和感。でも製作されたのは1960年代なので、「不器用ですから」のCM以前だから、これでよかったのか?
大石内蔵助も私のイメージでは硬軟使い分ける、ちょっとワルな部分もあるオジサンですが、高倉の内蔵助はひたすらにかっこいい。
黒澤明監督から『乱』に出演オファーがあったそうですが、他の映画との兼ね合いで断ったとか。世界の黒澤が高倉健をどう撮るか、実現しなかったのは残念。
高倉健主演映画で自分的によく印象に残っているのは『幸福の黄色いハンカチ』
この時の様子は共演した武田鉄矢が何度も彼方此方で語っているのでご存知の人も多い。
劇中、刑務所から出て来たばかりで食堂で美味そうにビールを飲む場面のために二日間、絶食していた。
若く駆け出しだった武田鉄矢と桃井かおりを誘って食事に行った等々。
劇中、武田鉄矢をタコ殴りにするヤクザを演じたたこ八郎ですが、彼を推薦したのは高倉。ボクシングをやっていたから、元ボクサーのたこ八郎を知っていた。
他にも出演映画を面白くするために様々な人物を推薦したり、口説き落としたり。
コメディアンに専念するために映画やドラマ出演を断っていた志村けんの留守番電話に自らメッセージを残して、『鉄道員』出演を承諾してもらった。
それにしても『幸福の黄色いハンカチ』『鉄道員』『網走番外地』と北海道に縁が深い。
豆腐や蒟蒻は入れず、根菜のみで作ったけんちん汁。
土の香がしそうですが、柚子胡椒を混ぜたことで辛みが泥臭さを中和してキリっとした柚子の風味に引き締める。
蜂蜜のほんの少しの甘さもある。
根菜たっぷりで食物繊維もたっぷり。
土の匂いがしながらもキリっと引き締まっている。正に高倉健をイメージ出来る仕上がりになったかと自画自賛。
歴史上の人物を殆ど演じていないということから思い付いたことですが、高倉健という人物は現実ではなく理想を演じていたのではないか。
彼が演じた人物達は何処にも存在しない、日本人や男としての理想像。
公私共に小田剛一は高倉健を演じていた。
というと本当は良くない人だったのかと誤解する人もいるかもしれませんが、私が言いたいのは天から与えられた役割を演じきった人生だったのではないかということ。
江利チエミと別れた後、再婚することはなかった高倉健ですが、公私共に支えとなった女性、小田貴月は高倉は風になったと最近、インタビューで語った。
それは風化していくという意味ではなく、新たな風となって人々に感動を与え続けるという意味合いのようです。
奇しくも次回作として準備していた映画の題名は『風に吹かれて』
200本を超える高倉健の出演映画、この駄文を読んでいる皆様の心にはどんな映画が残っているか、コメントで教えて頂けると嬉しいです。健さんを偲ぶことにもなります。
そんなことを妄想しながら、高倉健ちん汁をご馳走様でした。