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揚げ里い最上の駒姫

実りの秋、各種の芋も多く出回り始めた。
ということで里芋を濃い味に料理しながら、東国一の美女と呼ばれた姫の悲劇を妄想した記録。


材料

里芋    200g
生姜    半欠け
大蒜    1欠け
醤油    大匙1
味醂    大匙1
マヨネーズ 大匙1
片栗粉   適量

天正七年(1581)出羽國に誕生した駒姫、父親は最上義光。↓

母親は正夫人の大崎夫人。次女として生誕した駒姫は美人の誉れ高く、義光の自慢の種。
秀吉の小田原征伐後、奥州で九戸政実が反乱を起こし、その征伐の大将として下ってきたのが秀吉の甥で後継者と目されていた羽柴秀次。
帰路に義光の居城、山形城に立ち寄り、当時十一歳の駒姫を見た秀次は一目ぼれ、側室に欲しいと申し出る。


里芋を圧力鍋で煮て柔らかくする。

まだ子供だから、それはお待ち下さいと丁重に断るが、都に戻った秀次からは矢のような催促。
何のかんのとのらくらと逃げ口上を並べて、秀次が諦めるのを待とうとした最上夫妻でしたが、流石は美女好きの秀吉の甥と言うべきか、なかなか諦めない。
十五歳になったら都に上らせると約束する羽目に。
ついに十五になったが、それでも何とか粘ったものの、ついに駒姫は自ら都に上ることを申し出る。
「日の本一の側室になってみせます」と告げた。
両親が困り果てているのを見かねたということか。


調味料を混ぜ合わせる。

文禄四年(1595)上洛した駒姫は、新たにお伊萬という名前を与えられて、秀次が待つ聚楽第に入る日を待っていたら、とんでもない悲劇に見舞われる。
夫になる筈だった秀次は謀反の疑いをかけられて高野山に追放。ついで自害。
秀吉の怒りは収まらず、秀次の妻子も全員、処刑を命じられる。
まだ秀次に會ってもいなかった駒姫も身柄を拘束される。
父親の最上義光も秀次謀反に連座したと見做されて、伏見の屋敷から出ることを禁じられた。
側室になる予定だったとはいえ、都に来たばかりで実質的な夫婦関係もないのに、こんな理不尽はないと義光も助命嘆願。自身だけではなく徳川家康にも取りなしを頼んだ。


生姜を摺り下ろす。

義光ばかりではなく家康、更に前田利家等も秀吉に駒姫の助命を嘆願。
決定的だったのは秀吉お気に入りの淀殿もそれに加わったこと。
これで流石に秀吉も折れて、駒姫は処刑に及ばず、鎌倉で尼にせよと命令。
命令を携えた早馬は刑場となった三条河原へ走る。
そこでは秀次の首が石櫃の上に置かれて、妻妾や子供達が次々に土壇場へ引き出される。
駒姫の処刑は十一番目。
「罪を斬る彌陀の釼にかかる身の、なにか五つの障りあるべき」
が駒姫の辞世。
あと一町(約100メートル)程の所まで早馬が来ていたのですが、ついに間に合わず、駒姫の首には刃が振り下ろされた。


茹で上がった里芋を食べやすい大きさに切って、調味料に塗す。

処刑された女性達の遺体はその場に掘った穴に放り込まれて、悪逆塚と書かれた碑が据えられたという。
理不尽に娘を殺され、遺体の引き渡しまで許されなかった。
義光の妻は娘の後を追うように亡くなった。自害したのかもしれません。
義光も暫くは水も喉を通らず。
これだけの仕打ちを受けた義光は当然ながら反豊臣家の色合いを強め、助命に力添えしてくれた徳川家康への傾斜を強めていく。
秀吉死後の関ヶ原で義光が家康方に味方したのも、これが原因。


片栗粉を塗す。

というのが一般的に知られている駒姫の悲劇。
この話は江戸時代中期に成立した『奥羽永慶軍記』が出典。
一方、駒姫や最上義光と同じ時代を生きていた伊達成実が遺した『成実記』では、義光が駒姫を秀次に献上して、天下の笑い者になったと記述。
伊達成実は伊達家の一門衆で政宗を支えた重臣。
ただ、伊達家と最上家は仲がいいとは言えない間柄。殊更に最上義光を悪く書いている可能性もある。但し同時代の史料という価値はある。
もし『成実記』の記述が真相に近いとしたら、駒姫事件の実相は大分、異なってくる。


油で揚げる。

当時の大名の気持ちになって考えてみる。
まだまだ戦乱の世。
女の幸せは強力な家に嫁ぐことが早道。
秀次は秀吉の後継者で関白を継いだ人物。このまま行けば天下人。
駒姫自身だけではなく、天下人と縁づき、駒姫が秀次の子を産むことになったら、最上家自体も安泰。
そう考えても無理はない。
というよりも、その方が自然な氣がする。
天下人候補からの求婚を拒む方が不自然にも思えてくる。
日本人は悲劇が好きなので、執拗な好色関白の求めを拒みきれずに嫁いだら突然、理不尽にも処刑された。その筋立ての方が万人受けする。
秀次は駒姫に會ってもおらず、美人という噂だけで側室に望んだという説もある。あと少しで助命が間に合わなかったというのも話を盛り上げる要素のように感じられる。
こういう風に話が盛られていった?


油を切る。

『成実記』が謂う、義光が天下の笑い者になったというのは娘を献上して秀次に取り入ろうとしているという意味合いだったのかもしれない。
ただ、成実の主君、政宗もまた秀次事件への連座を疑われた。
そういう意味では伊達家も危うかった。
秀次という人物に問題があったと思われてきたのは、彼が敗者だから。
天下人に処断されたということで、必要以上に悪く言われたと思われる。
本当は政宗や義光が頼むに足ると見込んだ人物だったのかもしれません。


揚げ里い最上の駒姫

マヨネーズ醤油の濃厚味が絡んだ里芋。ホクホク食感をしっかり衣が包み込む。ご飯が進みます。
生姜で體も温まり、里芋の食物繊維やカリウムもたっぷり。

『奥羽永慶軍記』が成立した江戸時代中期には既に豊臣家も最上家も滅亡していたので、話を盛った所でどこからも文句は来ない。そのため殊更、悲劇に仕上げられたという可能性もあるかもしれない。

秀次に執拗に望まれたから、或いは義光によって差し出された。どちらにしても駒姫は自分の意志とは関係ない所で悲劇に見舞われたことには変わりない。
話が少々スピ系めいてきますが、人は役割を演じていると感じることがあります。それは神佛のような存在に与えられた役割ではなく、自らが選んで生まれてきた役割。
駒姫はそれを知っていた或いは死を前にして、それを悟ったのかもしれない。
辞世にある『彌陀の釼』という言葉。阿彌陀と釼という相容れそうにない言葉が何となくそんなことを考えさせられた。
駒姫の悲劇の実態を妄想しながら揚げ里い最上の駒姫をご馳走様でした。

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