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季節に明確な終わりなんてないと分かっていても、なぜか今日は夏の終わりを感じずにはいられなかった。 空はここぞとばかりに、夏の、あのもくもくとした縦にのびる雲を浮かべ、セミは今日が最後だと言わんばかりにわんわんと鳴き、沈む夕日はどこか寂しそうで。 それはこれまでの毎日と変わらない空であり、雲であり、セミの鳴き声であり、夕日であるはずなのに、どこか寂しさを感じてしまう。 ただ、確実に、雲は前よりちょっと高くなり、セミたちの声はちょっとずつ変わってきていて、夕日の時間は前より
もう、月に一回、定例のようになってしまった友達との近況報告の電話。 今日何してたの?一日寝てたの? と友達。 さすがに寝てないわ。と返す。 仕事やプライベートの多岐にわたる相談、報告、頭を使わないアホな話。 気付いたら居酒屋で軽く飲めてしまうぐらい話をしていた。 なんで彼女とはこんなにいろんな話ができるのだろうか。 別に「意見が合う」訳ではない。 そこは違うをきちんと伝えてくれるけど、否定されているとは感じない、不思議な感覚。 どうしようもない私を、助けるでもなく、
久しぶりに会う友達。 久しぶりに人と会うときは、そのときの自分に戻れるからすごく不思議。 高校の時の友達と会う自分は高校の時の自分。 大学の時の友達と会う自分は大学の時の自分。 ああ、そんなこともあったねと懐かしい話をしたり、 え?そんなことあったの?と今だから言える話をしたり。 住んでる場所が遠く離れても、近くに住んでいても、「わたしのあの頃」を知る友達と会っている時間は、どうしようもなく酒飲みで、どうしようもなく朝起きれない、そんなダメ人間な私のままでいれる。
私はきっと焦っていた。 新しい一歩を踏み出すとき。 なにかずっとやりたいと思っていたことを始めるとき。 将来の目標に向かって進み始めるとき。 ここ1年ちょっとの間、「今じゃない」と自分に言い訳をして「やる」と動き出すタイミングを自分の中でずるずると先のばしにしてしまっていた気がする。 なんだかんだ、私は盤石な態勢で物事を始めようとしていたんだということに気づかされる。 だからきっと焦ってた。 大きな仕事にチャレンジしている友達。 仕事に打ち込み社内表彰を受ける友達。
半年ちょっと前、内示の日。 私に言い渡された新しい勤務地は今住んでいる場所から電車で30分ぐらいの場所だった。 遠すぎる。 一番にそう思った。 これまでは歩いて10分で職場に着いていたから。 朝もどんなに早くても8時30分に起きれば間に合うし 夜もどんなに遅くても21時には家に着ける。 新しい職場は、朝は早いときは7時には起きなければならないし、夜は22時になることもある。 田舎だからか、電車は2時間に3本。 無人駅もいくつか通りすぎる。 大好きな人たちとも離