【エッセイ&映画レビュー】私の中のあなたを観て
ども!
下手に映画を数日の間にたくさん見てしまったので、書かずにいられないあゆさんです💦あまり間が空くと忘れちゃいますからね💦
忘れると言えば…。
人間誰しも忘れるって事、ありますよね。
あゆさんなんて、買ったことを忘れて同じものがいくつも家にあるなんてことがしょっちゅうあります😅なかなかのホラーw(ダイジョブカ?w)
忘れる…。
忘れてしまいたい事って逆に忘れられなくて
忘れちゃいけないことほど忘れちゃったりしますよね。
辛く苦しかったことは忘れられないのに
楽しかったり幸せだったこととか、大切なことほど忘れてしまうって意外と多い気がします。
おかしなもんですよね🙄
忘れる、忘れないの境目ってあるんですかね?
ただあゆさん、最近は若い頃より人生の経験値が増えて来たせいなのか、辛く苦しかった事より、幸せだったとか楽しかった、嬉しかったことをより思い出すようになった気がします。
必然的に嫌なことや辛いことを思い出すことが少なくなる→忘れている(完全にじゃないけど)
辛く苦しいマイナスな気持ちに支配されることはとても苦しくて自分自身の心を不自由にしてしまいます。
人間生きていたら良いこともあれば嫌なこともたくさんある。
嫌な事は良いことよりも うんと心に重くのしかかります。
人は弱いところ、守るべきところに毛が生えるんだってよく言いますよね?(え?!???いきなり毛の話💦w🤣)
弱った心にも毛が生えるのかな?(もうやめぃ👋)
てか、怪我から守ったり保温する為だったりって言いますよね?、、、毛ってスゲー!毛サイコー!毛バンザイ!🙌(すっかり毛の話にw)
でも毛は個人差が大きいですよね🙄
毛深い人もいれば毛の薄い人もいます…
(注意⚠️頭皮の話ではありません)例えがアレですが、要は心が強い人もいれば弱い人もいるって事です。(最初からそういいなさい🥸)
ではどうやって心を守ればいいのか。毛ではなくね😅
嫌な気持ち、マイナスな気持ちに心を支配されない事だと思うんです。
忘れる(考えない)スキルを身に着けることだと思うんですね。
完全に嫌な事を頭から消し去ることはできないけど、心の中のマイナスの居場所なんてほんの少しあればいい。(マイナスも突き詰めればプラスにする為に必要なこともあるからほんの少しだけは必要かもね)
"変わる。そして許容する"
例えば職場や学校。
気の合わない相手とは考え方も何もかも違い過ぎて理解できない!毎日ストレスの連続!
そんなことはありませんか?
そんな時、合わない相手とは自分と価値観も生きてる空間すらも違う全く違う星の人なんだ!!そうあゆさんは思うようにしてるんです。
例えば親子。
毎日顔を付き合わせれば喧嘩ばかり、そんな人もいると思います。
親子だと思うからこそからこそ、分かり合えないってとても辛いですよね。
でも親子でも違う人格をもった別々の人間。
血の繋がりがあるから、何もかも分かり合えて 価値観も同じなんてことは決してない。
同じじゃないって事はごく当たり前のこと。
生まれた時代も、生きてる現在(いま)も何もかも親の時とは違います。
それは良くも悪くもです。
年齢を重ねるごとに 新しいものや新しい価値観をなかなか受け入れられない人が多い気がします。
それは、ながらく自分の価値観で生きて来たから。
今まで生きて来た人生を否定するような気持になるからなんじゃないかとあゆさんは自身の親を見て思います。
言い方を変えれば怖いのかもしれませんね。新しい価値観を受け入れることは古い価値観を捨てることや否定することとは少し違うんですけどね。
"アップデート"って言葉が一番当てはまるかな?
でも、もし今自分が親や誰かによって嫌な思いをしたり傷つけられてるなら そこで思って欲しい事があるんです。
"価値観も生きてる時空間も違う、違う星の人なんだ"って思って欲しい。
そう思ってでも自分の心を守って欲しい。
あゆさんは、今そうやって母と付き合っています。そう思えるようになってからは喧嘩もなくなりました。
変えられるのは相手ではない。
変えられるのは自分です。
両親の元に生まれても あなたはあなたという別の人格を持った違う人間なんです。
だから違って当たり前。
でも、それが解らない、気が付けない親もいるんです。
そして…。
例えばパートナーと考え方も価値観もが合わない、そういう人もいると思います。
そうなると喧嘩ばかりになりがち。お互いに不満も溜まっていきますよね。
でもさっきから話してるように、価値観が違うってことは当たり前のことで、それをどこまでお互いに歩み寄ることが出来て どこで妥協してお互いどこまで許容出来るかだと思うんですね。
そしてそれは決して片方だけで成立することではない。
お互いが相手を尊重し、許容して受け入れる。
そうしてでも一緒に居たい、そう思える相手かどうかなんですよね。
もしそう思える相手でなければ、いずれは心は離れていくでしょうね。
そしてそれはきっと自分が心から求める真のパートナーでないんだとあゆさんは思っています。今回はちとテーマが重めなので話し方が
堅いけど、どうかお許しを🤲笑
おーーっとエッセイが長くなってしもた💦
今回紹介する映画は『家族愛』『命の尊厳』『生きるとは何か』がテーマの映画です。
この休み中あゆさんが一番泣いた映画でもあり、考えさせられた映画です。
皆さん、ティッシュをひと箱ご用意ください🤲
私の中のあたなってどんな映画?
この映画は2009年6月にアメリカで公開され日本では同年10月に公開されました。
アカデミー賞などの大きな賞は獲っていませんが、今年見た中では間違いなくトップ3に入る作品だと思っています。
ちなみにいうとあゆさんの大好きな映画『君に読む物語』のニック・カサヴェテス監督の作品です。
この映画で一番考えさせられたのは『生きる』とは一体どういうことなのか。
母親の立場で見るとき、子供の立場で見るとき、兄妹の目線で見るときで当たり前だけどきっと全く違う感情が沸き上がって来ると思います。
あらすじ
映画はフィッツジェラルド家の次女アナの語りから始まります。
アナは白血病の姉ケイトをドナーとして助ける為、遺伝子操作によって生まれて来た女の子。
彼女は幼いころから何度もドナーとして痛い思いをして大好きな姉ケイトの為に治療に協力してきました。
しかし11歳になったアナはある日突然、勝率91%とCMで謳っている敏腕弁護士を訪れ
突如両親を訴えます。内容は「姉にドナーとしての腎臓提供の手術を拒否する」と言うもの。
訴えられた母親のサラ(キャメロン・ディアス)は以前弁護士をしていましたがケイトの世話をする為にキャリアを捨て辞めてしまいした。
被告として、また弁護士としてアナと法廷で戦うことになってしまった母サラ。
今までケイトの命を家族みんなで守ってきたと思っていたサラは、アナの訴えがどうしても理解できませんでした。
父のブライアンはアナの気持ちを理解しようともしますが、サラはアナの思いを受け入れられず、またアナも断固として決意が揺るぐことはありませんでした。
生きる希望
いっぽう姉のケイトの容態は一進一退を繰り返していました。
5歳で発病してからずっと白血病に苦しめられてきたケイト。
そんな彼女は可愛い妹のアナ・兄ジェシー、両親、叔母ケリーの事が大好きでした。
どうにもならない病気の辛さに家族に当たってしまう事もあったけれど、自分のせいでアナが幼い頃から自分を助けるために痛い思いをしていることも、母サラがキャリアを捨て自分の全てを投げ打ってケイトの世話をしてくれてることも痛いほど感じていました。
そんな彼女が治療中 同じ病院で同じ白血病で治療をしていた青年”テイラー”と出会います。
同じ痛みを誰よりも理解し合える二人が恋人になるのにそう時間はかかりませんでした。
初めて二人がキスした夜 ケイトがテイラーに言いました。
『抗がん剤の味がする』
『でも嫌いじゃない』
そしてその時にケイトが再発したことを知ったテイラーの目には涙が浮かんでいました。
彼に勇気づけられ、今まで味わったことのない幸せを味わうケイト。
ケイトにとって一番の理解者で欠かすことの出来ない存在になっていったテイラー。
それはテイラーも同じだったと思います。
まさにケイトとテイラーにとって幸せの絶頂、そして互いが生きる希望でした。
病院でのダンスパーティーの夜。ケイトはテイラーと結ばれます。
しかし、ささやかな幸せも長くは続きませんでした。
※ここからネタバレあり
ダンスパーティーから3日。
ケイトはテイラーと連絡が取れなくなって
しまいます。
「きっと嫌われたんだ!」
と自暴自棄になるケイト。
心配したサラが病棟の看護師にテイラーの事を聞きに行くと…。
テイラーは亡くなったと知らされます。
一方、アナが訴えた裁判では、回を重ねる
ごとにアナの様子がどこかおかしいことに
母サラが気付き始めます。
兄ジェシーをきっかけに アナはついに真実を語り始めます。
この裁判を起こすようにアナに言って頼んだのはなんとケイトだったのです。
それは これ以上妹に痛い思いをさせたくないという思い。
腎臓を移植してもそれは延命治療にしか過ぎず白血病が治るわけじゃない。
もうこれ以上苦しい思いをしたくないし、させたくない。
もう自分の余命が長くないと感じていたケイトはビーチへ行きたいと父ブライアンに頼みます。
ケイトの最後の願いを叶えてやりたい。
サラは必死でそれを止めますが、それを押し切り父ブライアンとアナ・ジェシーはビーチへ。
その後、サラと叔母もビーチへ向かい
ケイトは限られた最後の時間を家族と共に過ごしました。
病院へ戻り、『今夜はママと2人だけにして』と家族にお願いします。
ケイトは秘かに作っていた家族のアルバムを『私の全て』と言ってサラに渡します。
そこには家族への想いと愛がたくさん綴られ笑顔の写真がたくさん飾られていました。
『いい人生だったと思わない?』
と聞くケイトに
『ええ!最高!』
涙を浮かべてながら微笑むサラ。
『私がキャンプへ行った時の事覚えてる?』
『家族と離れるの私がすごく怖がって』
『私がバスに乗る時に言ったの、左側の
窓側 に座りなさいって』
『振り向いたらママが見えるからって』
『今度もそこに座る…』涙を浮かべるケイト
『悲しまないで』
声をあげて泣くサラを抱きしめながらケイトは優しく言います
『ママなら大丈夫…大丈夫…』
ケイトはその夜静かに息を引き取りました。
感想
アナが大好きな姉への腎臓提供を拒む為に裁判で両親を訴えるという展開から始まるこの映画。
アナの立場になって考えてみると、自分が姉のドナーになる為に遺伝子操作までして生まれて来たと知ったら🧐
『ケイトが白血病にならなかったら私は生まれて来くことは無かったの?』
そうアナが思ってしまったとしても不思議はありませんよね。
でも結果それがアナの本心ではなかったって事なんですよね。
だって訴えたのは余命幾ばくもない大好きな姉ケイトに頼まれたから。
生まれた時からケイトが苦しむ姿を見ていたアナはケイトを助けることに不満などなかった。
話が進んでいくほど
"本心でアナが腎臓提供を拒んでいる"
とはどうしても思えなくて何かあるんだとは
思っていたけれど、真実を知った時の衝撃があまりに辛くて。
そしてそれを知っていて協力していた
兄ジェシー。
裁判中『本当の事言えよ!』
とアナを促します。
『ケイトを死なせてやってよ』と。
あぁ、今書いててても涙が止まりません
😭😭😭😭😭😭
この兄妹愛の深さに胸が詰まります。
では親の立場になって考えてみます。
もしケイトを救えるなら妹のアナを遺伝子操作してドナーとして生んででもケイト助けたい。その気持ちすごくわかります。
もちろん母としてアナの事を思うと複雑な想いもあったと思います。
でもそれが出来たのは、アナも同じく愛せると思ったからそうあゆさんは思いたい。
この映画で賛否が分かれるのは「ドナーにする為にアナを生んだのか」と思わせてしまう所なのかと思うんです。
確かに遺伝子操作までするとなると命への倫理観も問われますしね(担当の医師もあくまでも方法のひとつの提案としてとオフレコでと言ってましたが💧)
では、遺伝子操作をしないで自然にアナが生まれていて、結果ドナーとしてケイトを助け腎臓も提供していたら…。
それは実際ある話ですよね。
姉妹間の生体移植って実際行われてること。
ただ母サラはケイトを助けたいが故に盲目になって延命する事以外見えてない面があったことは確か。
そこがこの映画で一番意見の分かれる所だと思うけど、あゆさん的にはリアルに描かれているなと言う印象です。
だって、我が子の命を救う為周りが見えなくなるって方がリアルなんじゃないかなって。
事の良し悪しは別ですけどね。
だからこそ、アナを本当に愛してるのか?
と思われても仕方ない面はあるけど ケイトも、アナもジェシーも同じように愛してると思うんです。
ただ違うのはケイトは命に関わる病気を持っていること、アナはその姉を救えるかもしれない”希望”の存在だったってこと。
この映画では事細かにサラの心情は描かれていません。
だからこそ見る側が色んな視点で考えられる、そういう意図的な作り方だったのかなって思っています。
今度はケイトの立場になって考えてみました。
物心ついた時から入退院の繰り返し。
妹や兄が当たり前に出来ることが何も出来ないもどかしさ。
「どうして私だけ?」そう思うことがあったとしても無理はないですよね。
ゴールの見えない病気との戦いはどんなに辛かったことでしょう。
そんな時テイラーに出逢い、最初で最後の
恋ができたことでケイトは初めて"私は生きている!"と実感出来たんじゃないかな😭
恋ってそれだけのパワーありますからね。
今思うと初めてキスした夜にケイトの再発を知ったテイラー。
そしたテイラーもまた既に…。自分の余命わかっていたんじゃないかって思うんです。
抗がん剤の味がしたってケイトが言ってましたしね。
何度もケイトを抱きしめキスをするテイラーの気持ちを思うと苦しくてやり切れません😭
そして2人が結ばれた夜にテイラーはケイトに言います。
『癌になってなかったら 君に出会えなかった』
『病気になって良かった』と。
そしてケイトが
『私も…』
…と。
、、、涙腺決壊😭😭😭😭😭😭😭
2人が交わす言葉がどれほど尊いか。
やっぱり人は必要な時に必要な人と出逢うんだなってつくづく感じました。
テイラーがこの世を去った時にケイトも自分の命がいつ途絶えてしまってもおかしくないんだと悟ったと思うんですね。
誰よりも自分の死を冷静に受け止めていたケイト。
自分の病気が家族をボロボロにしている。
『ごめんねジェシー。一番辛い時に私が家族の関心を奪ってしまった』
私のせいで失読症にすらパパとママは気が付かなかったよね。
『パパ、私がママを奪っちゃったね。また取り戻して』
私が居なくなったらまたママの愛を取り戻してね。
『ママ、全てを奪ってしまってごめんね。いつも私の為に戦ってくれた。勝たせてあげられなくてごめんね』
ママ感謝してる。
『アナ。ちっちゃくて可愛い妹。痛い思いさせてごめんね。面倒も見てあげられなかった、お姉ちゃんのくせに』
たくさん痛い思いさせて、最後にお願いまで聞いてくれてありがとう。
ケイトが作っていたアルバムには家族へのたくさんのごめんねと想いが書かれていました。
そして最後の裁判でのシーン。
ジェシーは自身が書いたケイトの似顔絵を破り裁判所の屋上から空に放します。
まるで捕らわれた鳥を大空に羽ばたかせるように。
この時に真実を話そうと決意したんでしょうね。
ケイトに言われた通りに真実を隠し続けるアナへジェシーが言います。
『もういい!全部話せ!』
『本当のことを言えよ』
そういうジェシーに
『嫌よ、約束したでしょ、邪魔しないで!』アナが叫びます。
『ケイトは死にたいんだ』
『もう手術をしても無駄だからって、ケイトがこうするようにアナに頼んだんだ』
『助からないってみんな知っているのにママだけがそれを認めようとはしない』
『ケイトは覚悟が出来てる、死なせてやってよ』
ケイトはアナにお願いしてたんです。
『私を自由にして』
…と。
最後に
あゆさん母親なので、サラの気持ちは痛いほどわかります。
だってどんなことしたって我が子を助けたいってやっぱ思うだろうなって。
でもそれゆえに周りが見えなくなるってのもまた理解できます。
現実に病気の子供と健康な子供がいるご家庭の大変さは察するに余りありますね。
この映画ではサラの苦悩や、アナの姉に対しての想いは事細かに描かれていない気がします。
この監督の描き方として賛否が分かれるのはそこなのかと思いますが。
あゆさん的見解だと、あくまでもケイトの心の中を通してテーマを考えて欲しいという意図なのかなと。
この映画のタイトル”私の中のあなた”ですよね。
私はケイトであり、あなたはアナであったり、母サラであったり。
映画の流れ的にはアナを通して描かれているように見えるけど、あくまでもアナが訴えていることは全部ケイトの思い。
また『延命治療』や『臓器移植』『愛の形』を考えさせる為の設定だったのかと思うけど、しいて言えばそこが少し強引だった気がしなくもないかな?
でも延命治療と命の尊厳は対のテーマですね。
延命治療って一言で括れない難しい問題ですよね。
自分が延命される立場なら嫌だって思うだろうし。
でも大切な人が1日でも長く生きて欲しいって思う気持ちを”エゴ”と一括りに言ってしまうのは少し乱暴な気もするんですね。
もちろん、何のために誰の為の延命治療なのかにもよりますけど。
母サラが、ケイトを死なせたくないと思うあまりに盲目的に治療させているように見えるけど、実際我が子がもう余命わずかと告げられたって0.001%でも”奇跡が起こるんじゃないか”ってほんのわずかな希望でも抱いてしまうんじゃないかな。
ケイトの命はケイトだけのものじゃない。
だから辛い治療にも耐えきたと思うんですね。
自分を支えてくれる人たちの為に頑張って生きて来た。
そんな中でテイラーと出逢って恋をして”生きていることの素晴らしさを知りそしてテイラーが先に逝き大切な人を失う悲しみも知った。
人はいつか死ぬ。
それは誰にも避けられない事。
尊厳死についてに書いた記事を載せておきます
目次 知らせからお読み下さい🤲
涙無くしては見ることの出来なかったこの映画ですが、この記事を書くに当たってさらに二度見ました。(数日経過してるのもあって💦)
結末を分かった上で見てみると、アナやジェシーのケイトへの想いや、父ブライアンの想い、サラのケイトを死なせたくないという強い思いがさらに心に突き刺さりました。
この映画は本当に様々な評価がされていますが、あゆさん的にはとてもいい映画だったと思います。
生きるとは何か。
命とは?
親の愛情って?
兄妹って?
死とは?
色んなテーマを投げかけてくれた心に深く残る作品でした。