【エッセイ】良い人だから《ある人の死に触れて》
いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
エッセイを書くのは何日ぶりだろ?
最近、自身のブログサイト公開に向けて
絶賛構築中でそちらにばかり時間を割いて
おりました💦
そんな中、記事をよく読んでくださるフォロワーさんからDMを頂きました。
最近、芸能人の”自殺”を立て続けに耳にして、何とも言えない気持ちでニュース等を見ていました。以前記事にも死と言うテーマに触れ書きましたが、今一度私の思いを書かせて頂こうと思います。
自殺という終わらせ方
芸能人に関わらず、一般人の自殺者の数はどれほどいるのだろう。
多少の差はあるものの毎年ほぼ同じくらいの人数で自殺者の数は推移しているようですね。
毎年多くの人が自らの命を何らかの理由で
断っている。
イメージとのギャップ
ダチョウ倶楽部の上島竜平さんが亡くなった
のは5月11日。
まだ1ヶ月も経っていないので、まだまだ死を
受け止められない人も多くいると思います。
ましてやそれがお笑い芸人ともなると起きた
事実とお笑い芸人というギャップでなおさら
受け止められませんよね。
そもそも、お笑い芸人を含めて芸能人って
人に見られるお仕事。
俳優さんだったとしたら、その人が演じた
キャラクターのイメージそのままが人間性
だと思われたり「あの人はきっとこういう人だ」という勝手な思い込みで見られがち。
そしてそれはそのイメージが強ければ強いほど。
ではお笑い芸人はどうだろう。
”人に笑顔を届けるお仕事”
私の勝手な思い込みかもしれないけど 人を感動させることより 心から人を笑わせることの
方が実はかなり難しい事なのではないかなと
思うんです。
たまにYouTubeやTVで お笑い番組やチャンネルを見るけれど、自分が心から笑える時って
”そこに計算が無い時”が多いかなって思うん
です。
見ていて、ここで一発笑わせよう!と思ったギャグが”ダダすべり”なんてことはよくあることで、それよりは予期せぬリアクションだったり、芸人さん自身の本物の笑いが出て来た時が一番面白かったりすることが私は多いんです。
例に挙げるなら、数々の作品で大ヒットを飛ばしている”福田雄一監督”のドラマや映画が分かりやすいかもしれないです。
役を演じている時に出る、演者の本物の”笑い”が一層面白さを引き立てる。
それはなぜかと考えた時に思うのは、演者の”人間”と言う部分が垣間見えるからではないかなと思うんです。
だってそれは計算された笑いとは違うから。
俳優さんは役になりきって演じてなんぼ。
でも周りに持たれるイメージと自分自身のギャップが大きければ大きいほどシンドイんじゃないかなと思うんです。
では、お笑い芸人さんはどうか。
やはり持たれるイメージと自分自身とのギャップが大きいほどシンドイのはもちろんのこと、
人間性がモロ出やすいのがお笑い芸人さんなのかなと思うんです。
それがまた笑いに繋がることって多いかなって。
与えられた役があるわけでもない。
しかし、自分で自分を演じなくてはいけない人ほどホントの自分とのギャップを抱えていてやはり相当心がシンドイんじゃないかなって、そう思うんです。
良い人と言われる人ほど
訃報が伝えられてから、テレビやネットで多く伝えられた”上島竜平”さんの
”人となり”
人望も厚く、優しくて飾らない性格。
謙虚な姿勢を忘れず、メンバーとの絆も強く 仲が良かった。
そして妻への感謝の気持ちも忘れない愛妻家。
そんな報道を多く目にしました。
確かに画面を通してでも、上島さんの人柄は伝わって来ましたし、かなり昔ですが一度だけお仕事でご一緒したことがありますが、とても低姿勢で好印象な方でした。
本当に後輩芸人や、周りに愛されていた人なんだとつくづく思います。
”良い人”と呼ばれる人は、人をとても大切にします。人を大切にすることの出来る人が”良い人”と呼ばれる。
でも、人を大切にしてきたことと、人に大切にされてきたことは別だと思うんです。
それに”大切にされてるなぁ”とどういう時にそう感じるかは人それぞれだと思うんですね。
例えば私が大切に思ってる人がいて、その人に良かれと思ってやっていることや、言っていることが 相手にとって”大切にされてるなぁ”って思う事とは必ずしも一致しない。
もちろんお互い”大切にされてるなぁ”って思えることが一番なんでしょうけどね。
人の心の中は計り知れない。
多くの人にいつも囲まれてる人でさえ”孤独”だと感じる人もいるんです。
良い人と言われれば言われるほど 良い人で
いなくてはいけないと思うと思うんです、
本当に良い人って。
表裏一体
どんなに追い詰められていても、どんなに苦しんでいたとしても私は”自殺”を肯定的に考えることはできません。
死にたいほど追い詰められること、死にたいほど苦しいことは確かにあると思います。
そして私のように心を病んで死にたいと思ってしまう事もあると思うんですね。
肯定は出来ませんがそれは理解出来ます。
それでも命は限りがあるものだからこそ感じることの出来る幸せや、今生きているからこそ味わえる喜びもある。
長く生きることが素晴らしいのではなく、与えられた命がいつか必ず終わるその日まで精一杯生きることが素晴らしいのではないのだろか?
少なくても自身の経験からそう思わずにはいられません。
だから、命を自ら断つ行為は
”人生最大のわがまま”
そう思うんです。
”わがまま”とは自分がしたいようにするという事。
ではその対義語って知ってますか?
”協調的”
…互いに助けあったり譲り合う様子。
”他人優先”
…自分を犠牲にして他人を優先すること。
どんなことも人の心って”表裏一体”なんじゃないかなって思いませんか?。
”わがまま”もまた然りで。
You Are Not Alone
Another day has gone
僕たちの日々は過ぎていった
I’m still all alone
僕は独りぼっちなんだ
How could this be?
どうしてこうなったんだ?
You’re not here with me
君はここにいない
You never said goodbye
君は”さよなら”を言わなかった
Someone tell me why
did you have to go
ある人が僕に伝えてくれた
君がなぜ行かなければいけなかったのか?
And leave my world so cold?
冷え切った僕を残して
Every day I sit and ask myself
来る日も来る日も、僕は
自分自身に問いただしたよ
How did love slip away?
どうして愛は去ったのか?
Something whispers in my ear and
says
何かが僕にささやいたんだ
That you are not alone
君は一人じゃないって
I am here with you
わたしが僕と共にいるって
Thought we’re far away
僕たちは遠く離れているけど
I am here to stay
わたしはここにいるよって言うんだ
But You are not alone
君は一人じゃないって
I am here with you
あなたと共にいるって
Thought we’re far apart
僕たちは離れ離れだけど
You’re always in my heart
君はいつもわたしの心の中にいるって
But you are not alone
君は一人じゃないよ
ってささやくんだ
Lone, lone
1人なんだ
lone, lone
1人ぼっちなんだ
Just the other night
ある夜のこと
I thought I heard you cry
僕は君は泣いていたね
Asking me to come
僕に尋ねたよね
And hold you in my arms
僕は君を抱きしめた
I can hear your prayers
君の祈りを聞けたよ
Your burdens I will bear
君が背負っているものは
僕が支えるよ
But first I need your hand
けど先に
僕は君の助けが必要なんだ
Then forever can begin
そしたら、
永遠の関係が始まるんだ
Every day I sit and ask myself
来る日も来る日も、僕は
自分自身に問いただしたよ
How did love slip away?
どうして愛は去ったのか?
Something whispers in my ear and
says
何かが僕にささやいたんだ
Every day I sit and ask myself
来る日も来る日も、僕は
自分自身に問いただしたよ
How did love slip away?
How did love slip away?
どうして愛は去ったのか?
Something whispers in my ear and
says
残された人は何度も何度も問い続ける
でも
その答えはどこにもない…
答えの出ないことを問い続けるより
今生きてる
あなたや
私が
今を生きる意味を問う事の方が
遥かにに大切
当たり前にあると思っている日常が
在って当然じゃないと気が付かせてくれたのは
きっと良い人だったから
なのかもしれませんね。
改めて故上島竜平さんの冥福を
心よりお祈り申し上げます。