今までの自分、これからの自分

私にとっての十年


同じ時間軸で時が過ぎても、月日の流れは
時に早く,時に長い。
私にとってこの時の流れは、とても早くそして
短い十年でした。
1日24時間、1年365日ではとても足りない。
同じ時間軸の中で一体自分には何ができるのか。
そう思いながら今は、限られた時間を使ってる
気がします。

今まで、そしてこれから。

若い頃には考えもしなかった思考で物事を
捉えるようになった今の自分。

思うように生きて来れた半生かと言えば、
そうではない。
なぜ、自分だけ?そう思う事がたくさんあった。
自分にばかり降りかかる良くない事に、
不平不満を持ちいつも心のどこかに抱えて
いたと思う。

そのひとつ例を挙げると、私は3歳から
持病があり今までの人生、薬無くしては
生きて来れなかった。
子供の頃は人並みに出来ない事も多く、それが
すごく嫌だった。
身体が弱い割に活発でスポーツの好きだった
中学時代の私は無謀にもバスケットボール部に
入った事があった。
それは呼吸器の持病がある私にとっては、
想像以上にとても過酷な事だった。

みんなと同じに練習をこなす事がどれほど
大変だったか。
それでも、自分でやりたい事だったから必死に
頑張った。

頑張って出来ることもあるけれど、
どう頑張ったって、私には人並みに
出来ないこともあるんだと知った。
なんで、こんな身体に生まれたんだと
誰かを責めたい気持ちだった。

でも、今の自分は違う。
そのような経験をしたからこそ今は “持病“
を通して、どうやったって抗えないものが
ある事を知った。
健康な人には決して分からない辛さが自分には
痛いほどわかるようになった。

こうして、何か起こった時に良い事も、
そうじゃない事も、自分の中でどう咀嚼し消化
するかで、今までの経験のすべてがこれから
自分が生きてく上での糧となるか、無駄に
してしまうのか、それは自分の思考次第で
変わって来るのだ、そう思っています。

“唯一無二“の自分に

人は人と同じ考えを持っていたり、
同じ行動をとることで安心出来たりする人が
います。それは決して悪い事ではないし、
安心出来るならそれも否定はしない。

ただ、私自身、昔は人と同じになれない事で
劣等感を感じてたけれど今はそんな自分を
“唯一無二“でいることが好きになれました。

また、人は皆、本来“唯一無二“なのだと
気が付けた事が色んな経験を経た上で
良かったのでは思っています。

これからの十年

noteを始めて半年あまり。
今まで色んなことを書いてきました。
まだまだ書きたいこと、書ききれてないことが
たくさんある。

しかし、私の書くものは人にはどう映って
いるのか?
そう思った時期もありました。
でも、人をあまり意識すると書きたい事が
書けなくなる。
もちろんそれは、皆がではない。私がそう
なのです。

だから、人の目に映る自分ではなく、
あるがままの自分の書きたい事に、
蓋をせず、思いのまま、これからもブレずに
書こうと思います。

それは私小説であったり、時に詩であったりも
するし、心の叫びだったり大好きな音楽の
ことかもしれない。


全て“自由に“


だって、それが私にしか出来ない“唯一無二“が
生み出すものだと思うから。

SNSもそう。

発信したい発信をすればいい。
つぶやきたい事をつぶやけばいい。

どんな感情にも蓋をしたくない。
相手を思いやる気持ちと想像力があれば、
おのずと、口から出る言葉は必ず”優しさ”を
持つと思うから。


十年の月日が経って、前とは違う自分が
“唯一無二“の自分がここに居る気がしています😌


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