何かあったら教⑥
ナクサに課金していることは夫には秘密にしておいた。私のお小遣いでどうにかなる月額1890円の一番安いベーシックプランだし、そもそも夫は私と違って楽観的なひとだった。これまでも「今の行動、失礼に思われなかったかな」とか「子育て、これでいいと思う?」などと心配事を言うと「大丈夫やろ」となんの解決にもならない言葉を口先で言った。
この人は本当の私の気持ちを分かっていない
最近そんな風に思うことが多くなった。
今、私の不安を本当に分かってくれるのは、むつみさんを初めアプリ上で出会ったナクサリアンだけかもしれない。
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ナックという大きな安心感を得て、私自身寛容になってきたと思い始めたある日のことだ。息子が私の目を見て、こう言った。
「母ちゃんってちょっと変わった?」
新生児の頃から感受性豊かだった息子。モロー反射も人一倍多かった。私の微細な変化をキャッチする、そんな息子の気づきが嬉しくて
「やっぱり? どんな風に変わったと思う?」
とはやる気持ちを抑えながら聞いてみた。
「うーん、なんか…動かなくなった?」
う、動かなくって。失礼なやつめ。けれど息子の言うことは事実だ。ここ数ヶ月、これまで大好きだった旅行や魚釣り、キャンプに行くことは極力控え、空気清浄機を24時間稼働し、ナクサのアプリでナクサリアン達と交流していた。今までのようにアウトドアな生活はしていないけれど、私の心は平穏だった。子ども達をありとあらゆるリスクから守り抜けていたからだ。
「今週の土曜日、同じクラスのニコちゃんがキャンプ行くんだって。僕も一緒に行かない? って誘われたんだけど、行ってもいいかな?」
少し考えて「用事があるから土曜日はだめよ〜」と、伝えると「用事って何?」と眉をしかめて聞いてきた。
「だってほら、買い物もしたかったし」
「それは母ちゃんの予定でしょ? ニコちゃんのママが車に乗せてくれるって」
「他のひとの車に乗るのは危ないよ。病気も流行ってることだし。もしも何かあったらどうするの」
「何かってなに!」
「事故とか怪我とか…」
「じゃあ母ちゃんも一緒に行こうよ! それか別々の車で行こう! ね、だったら他人の車に乗るわけじゃないし。いいでしょ!」
「行ってきたら?」
突然太い声が聞こえたと思ったら夫だった。さっきまでずーっと黙っていたのに、急に私たちの会話に入ってきた。
「最近どこも行ってないし。母ちゃんはケータイと結婚したのかな?」
イタズラっ子のような笑みを浮かべながら息子と二人でクスクス笑っている。夫の嫌味にムカっとしてつい反射的に口が滑った。
「じゃあ行くよ! 行ってやろーじゃない!」
しまった!と思った時には遅かった。
「ヤッター!!!」
息子は両手をあげてピョンピョンと何度もジャンプして喜んでいる。
息子の手放しで喜ぶ姿を見ていると、こんなに浮かれてて大丈夫なんだろうか。何かあったらどうしよう、とざわざわとした不快感が、体中に広がる。まるで紙ナプキンにこぼれた水を吸わせるみたいに。
「べ、別々の車で行くからね!」
と付け加えてから、小さな声で「何かあったら、ナクサがあるサ♪」と自分で作ったメロディに乗せて口ずさんでみた。
不思議とそれだけで自然に笑みがこぼれるのだった。
(つづく)