めりー

3人の母

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最近の記事

バレエのこと

クラシックバレエを習っている。 毎木曜夜1時間、レッスン以外はストレッチすらしないズボラだけど、それでも楽しんで通っている。 子どもたちに夕飯食べさせてお皿洗ってバタバタバターッてオカンやったあと、急いでタイツを履いてレオタードを着る。 家から徒歩5分の町営文化センターまで夫と子どもたちに見送られバイバイと手を振ってしまえば、私は母でも妻でもない、気持ちだけはバレリーナに変身するのである。 クラシック・バレエには、足の曲げ方や首の伸ばし方、腕の向きまですべての動きに「正しさ

    • 天然プラネタリウム構文

      今世間を賑わせてる、石丸伸二さんという人。 先日の都知事選で完全無所属ながら、蓮舫さんを抑え2位に躍り出た時の人である。若者を中心にネットで票を集め、166万票を獲得したそうだ。 私は都知事選の数日前まで、石丸さんのことを知らなかったのだけどYoutubeに上がってきたショート動画をきっかけに、安芸高田市長時代の議会とのやり取りをいくつか観た。いくつかどころか見始めると止まらなくなって、寝る間を惜しんで1.75倍速で2時間半ぶっ通しで観た。 旧態依然とした議員の言動や議会に

      • 改善の余地がない話

        先週末、岡山県の小さな集落に通う中学一年生の女の子に出会った。 クラスで何流行ってんの? と聞くと、えー何も流行ってないと恥ずかしそうに下を向く。 「でも友達となんかの話はするやろ? 好きなユーチューバーとか? メイクの話とかそんなんせーへんの?」 会話を続けるべく聞き出すも、そんな話はあんまり…とはにかむばかりだった。 盛り上がりそうもなかったので別の話題に移ろうとすると「おー、チームチームって言ったりしてる」と口を開いた。 「おー、チームチーム? 何それ? ユーチューバー

        • メキシコ皆既日食体験記

          2024年4月8日12時23分。 言い表すことのできない美しさを前に、体の奥底から湧き出るように涙が溢れる。 人生で初めて見る、名前のない景色を、私の記憶は覚えていた。人類が誕生してから何度も見てきたであろうこの光景への畏怖と崇敬はDNAに刻み込まれ、私が今流してる涙は、呼び覚まされた古代の人々の魂の震えだと思った。 メキシコシティ ユナイテッドエアラインを乗り継ぎ出発から17時間後、メキシコシティに着いたのは4月4日夜。 強盗にビクビクしながら空港ATMでメキシコペソを

          手渡されたタコスにサルサを乗せるような

          皆既日食を観にメキシコに行ってた。 4月4日から4月18日までの15日間、3人の子ども(9歳・4歳・3歳)を義母に預けて、夫とふたりで行ってきた。 出発の前日、近所の神社へお祓いを受けに行ったのだけど、思い浮かぶのは子どもを置いて行くことに対する罪悪感ばかりで、お祓い中もえんえん泣いた。 (置いて行った理由は、長男が行きたがらなかったこと、チビだけを連れて行く負担、治安など複数の要因が絡まって) 今生の別れとばかりに腹を括って出発したものの、メキシコに着いてしまえばどれだ

          手渡されたタコスにサルサを乗せるような

          校長先生との面談、その後のアンサー

          今年の4月で小学4年生になる長男は小学校に週1日登校している。 小学2年生の夏休みの終わりに「俺明日から学校行かへんわ」と宣言してから、私の思いと息子の思いを天秤にかけて模索した末、週1日は行ってもらうようになった(それも時々忘れるけど)。 最初、学校側は“けしからん”的なニュアンスだったけど、私が息子の気持ちを尊重したいこと、息子が問題を抱えてるわけじゃなく、ただ「毎日行きたくない」と思ってることを考慮して今ではかなり我が家に寄り添ってくれるようになった。 だから登校した

          校長先生との面談、その後のアンサー

          何度でも立ち上がれるように

          小学校5年生の時のことだ。 クリスマスに近いある日、天王寺にあるYMCAから帰ろうとしていた。習い事の英会話が終わったのだ。 当時の天王寺駅周辺はキャバレーが立ち並び、お世辞にもガラのいい街と言える場所じゃなかった。 私は赤と白のサンタの帽子を被っていた。 クリスマスが近くて浮かれていたのだと思う。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しいな、という気持ちでサンタクロースの帽子をかぶっていた。 もうすぐ駅に着く、というところで誰かが私の手を握った。 振り向くとだらしなく汚い服を着た背

          何度でも立ち上がれるように

          夏が終わろうとしている

          ここ最近、子どもを寝かしつけた後、夫と散歩をしている。 家にいるより外の方が涼しくて歩き始めたのだけど、空には星が瞬き、誰ともすれ違わず、虫の音がリーリーと響くなかを歩いていると、夜のしじまを独り占めしているみたいですっかり虜になってしまった。 夫はコンビニへビールを買いに行く正当な理由ができたようで、嬉しそうだ。 道すがら、子どもたちの様子や仕事の進捗状況、今ハマっていることや目標を(一方的に)話すうちに、ごちゃごちゃに散らかっていた頭のなかが整理されていくみたいで気持

          夏が終わろうとしている

          「女性の人権」を守るためには、声高に叫ぶでも戦うでもなく「性教育」を受けるべきと思った話

          ここ最近モヤモヤしてたことに、自分のなかで終止符が打たれたのでメモがてら書いておこうと思う。 「女性って(母親って)男性と比べたら負担大きない?」 そう思い始めたのは、いつごろか。 我が家は3人の子ども(2歳・4歳・9歳)がおり、4歳と9歳は学校へ行ってないためずっと家にいる。 私たち夫婦は在宅で仕事してることもあり、基本的には家事育児を半々で振り分けていて、分担という大袈裟なものでなく、できる方ができることを粛々と…でこれまでやってきた。 夫との関係は風通し良く、恋人と

          「女性の人権」を守るためには、声高に叫ぶでも戦うでもなく「性教育」を受けるべきと思った話

          仕事のはなし② 「窓拭き」

          2002年11月5日、pm10時。 僕らは大阪の高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン大阪」の通用口にいた。 さっきまでの熱気のせいか、冷たいビル風が吹き抜けても不思議と寒さは感じなかった。 ガチャリ。 重い音を鳴らして、そっと足を差し出す。あまりに静かで、まるで眠り込んだ誰かの寝室に忍び込むみたいだ。葉っぱが描かれたふかふかの絨毯をスニーカーで踏むと、足音すら吸い込まれてしまった。 シャッターが降りた閉店後のショップを横目に、薄暗い通路を進んでいく。通路の行き当たりで、絨毯

          仕事のはなし② 「窓拭き」

          仕事のはなし① 「煙突屋」

          年長のとき卒園文集に、将来の夢を書くことになった。 「将来なりたいものを書いてごらん」と先生に言われたけれど、“将来なりたいもの”の意味がわからず私は「うさぎ」と書いた。 出来上がった文集に、みんながパイロットとかケーキ屋さんとかお医者さんとか書いてるのを見て、そういうことかと恥ずかしかった。 大人になって、世の中にはいろんな仕事があるな〜とよく思う。 子どものときはこんなに色々な仕事があるなんて、知らなかった。 あの頃子どもたちが描いてた「将来の夢」はインデックスみたいな

          仕事のはなし① 「煙突屋」

          BASARAだと思ってたらHAYAMAだった。

          細胞や骨格は7年〜10年かけて入れ替わるそうだ。 7年前と言えば2015年。 Wikiによると『東京オリンピックのエンブレムが盗作だと騒がれ、とにかく明るい安村の「安心して下さい」のフレーズが流行った年』らしい。 個人的には7年の間に、ひとりだった子どもが3人に増え、お洋服をとんと買わなくなった。都会に出る頻度が減っていき、少女漫画を読まなくなった。 そう、少女漫画を読まなくなった。 元々私は筋金入りの少女漫画ラバーで、最も多く購買した時期で、別マ・フィーヤン・クッキー

          BASARAだと思ってたらHAYAMAだった。

          ピース・オブ・ケーキ

          言葉によらず通じ合う瞬間というのを、経験したことがあるだろうか。 心と心だけで、分かり合える。 一見すると親密な関係のようだが、そうでない間柄でも同様のことが起こる場合もある。 今回は、私が体験した“そうでなかった”事例を書こうとおもう。 突然だが、私はゲップが出ない。 ゲップが出たことが人生でほんの数回しかない。その分おならはよく出る。 子どもの頃は、小学校のトイレで大便を我慢してる女子たちも、家ではこきまくってると思い込んでいた。 それが覆されたのは小学6年生の時だ。

          ピース・オブ・ケーキ

          フラワー・オブ・ライフ④

          夫と結婚してからも時々井戸の底に降りた。 その頃には、井戸には腰あたりまで水が溜まっていて、入るたびビシャビシャと体を濡らすのが煩わしかった。 それでも夫のいない時、井戸にざぶんと頭をつけると、子宮にいるような、なんとも言えず過去に自分が戻るような気分になるのだった。 ある日、夫とささいなことで喧嘩になった。 夫と話し合う中で、私のネガティブな考え方は、母の影響を受けているのだから仕方がないと言った時だ。 「もし友達に殴られて『俺、暴力的な家庭に生まれたから殴ってまうねん、

          フラワー・オブ・ライフ④

          フラワー・オブ・ライフ③

          二十歳の時、祖母が脳梗塞で倒れた。 そのまま祖母が特養ホームに行ってから、だんだんと記憶を失って亡くなるまでの十数年、母はたったの一度も祖母を見舞いに行かなかった。 祖母が亡くなったお葬式で、「嫁」として機敏に動きながら、時に泣き、時に父に寄り添う母を見ながら 「人が死んだ時、こんなに喜びを隠しきらんくてもええんやなぁ」 と、ぼんやり思った。 母のかぶる能面からは、噛み殺した笑いが溢れ出していた。 でもやっぱり家族だもの。忍び笑いだなんて、私の穿った見方かもしれない。 そんな

          フラワー・オブ・ライフ③

          フラワー・オブ・ライフ②

          「奥さん! もっと気楽に考えた方がいいよ」 ブラウン管から、眉間にシワを寄せた白髪混じりの男性が、電話口の女性を叱るように説きつける。平日のお昼にやっていた、みのもんたが司会するその番組を、私は食い入るように観た。 日本全国から悩める人々(その多くが主婦だった)が思い詰めて口にする、複雑な事情や揉めごとは、まるで暴露話のように興味をそそられた。アナウンサーが書き込むホワイトボードは毎回、嫁姑や金銭、男女の情事など妬み嫉みでいっぱいだった。 私には、電話の相談者がいつも大人

          フラワー・オブ・ライフ②