石牟礼道子著『苦海浄土』
水俣病を綴った本作は、著者が水俣病患者から見聞した内容を元にしているという。ルポルタージュとも称されることもあるようだが、だがしかしその文章はあまりに美しく優しく細やかで、まるで小説のようで頁を繰る手が止まることはない。『この作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である。』とは著者の言葉であり、ああなるほどと大きく首肯するのである。現実か。それとも物語であるのか。
水俣病は、古代中国で呂太后に迫害された戚夫人を著者に想い起こさせた。別の人は『ヘレン・ケラーの三重苦に加えて、おそらくは直る見込みのない四重苦の人達』と評した。
仙助老人は。ゆき女は。九平少年は。杢太郎少年は。彼ら彼女らは間違いなくこの国に生まれこの国に生きて、想像もし得ない苦難を理不尽にもその背に負わされた人達なのだ。
水俣病。それは教科書にも載っているから、名前だけは知っているという人は多いかもしれない。工場廃水、海洋汚染、水銀中毒、公害。そういうことを明らかにし記録した書物もあるのだろう。だか、この作品の焦点は被害者にある。著者は水俣に育った。水俣病が問題になったとき、とても静観してはいられなかった。『これを直視し、記録しなければならぬという盲目的な衝動にかられた』著者は被害者の病院を訪い、言葉を聞き、文章に綴った。時に自身の家人たちをも放置して。被害者の人々に優しく寄り添ったであろう、そう感じさせる描写はそこここに見られる。
この『苦痛浄土』には、水俣病被害者の方々のご自身の言葉が多く込められている。その言葉は水俣病に関するものだけに止まらない。水俣病に襲われる以前の生活をも語る。彼ら彼女らが生きてきた人生がある。生活がある。生きているということを強く感じる。
私には、ゆき女のことが忘れられない。
「ゆき女」とは「坂上ゆき」という一人の女性のことである。彼女に聞いて書いた、それが第三章にある「ゆき女きき書」である。彼女は漁師であった。夫と二人で海に出ていた。漁場に鼻が効いた。彼女が指すところに漕げば魚がいた。眩しく光る海に夫婦で漕ぎに出る、その様子が目の前に開けるかのごときである。彼女の語る海がとても素晴らしい。ゆきは、海に戻りたがる。舟を懐かしむ。今、ゆきは、手も足も口も自由になれない。身籠っていた子は流産させられる。
彼女が海に戻りたいと希うのだ。
『自分の体に二本の足がちゃんとついて、その二本の足でちゃんと体を支えて踏んばって立って、自分の体に二本の腕のついとって、その自分の腕で櫓を漕いで、あをさをとりに行こうごたるばい。うちゃ泣こうごたる。もういっぺん--行こうごたる、海に。』
水俣病は「病」なのだろうか。「水銀中毒」が「病」なのだろうか。足尾銅山鉱毒事件は「病」ではなく「事件」であった。水俣病は病ではなく事件なのではないだろうか。
水俣病被害者の方々は、水銀による直接被害だけでなく、様々な苦難に見舞われる。差別、偏見、生活苦、風評被害。水銀を廃棄した工場のみならず、行政も政府も何一つ有効な手を打てず、いや、打たず長年に渡って放置した。私はそれを、この国の行政政府の体質なのかと思ってきた。だがしかし、同じことは幾つも見てきたのだ。原爆被害者も、近くは東日本大震災でも同じだ。これは行政政府ではなく、国民の体質なのではないか。水俣病被害者を救えという世論の沸騰には至らなかったのだ。もし、世論の声が大きければ政府も動いたのかもしれない。水俣病被害者の方々を見殺しにしたのだとすれば、それは他ならぬ国民なのかもしれない。
何故困っている人を助けられないのか。何故苦難に見舞われた人々に手を差しのべられないのか。何故差別偏見が生まれるのか。とりもなおさず、それは国民全体に余裕がないのではないか。満足な生活にないのではないか。豊かな生活とは何なのだろうか。高級なものを持つことだろうか。美味しいものを食することだろうか。贅沢に着飾ることだろうか。
それで、暖かい心が養われただろうか。
どうぞ、この国が進む道を間違えませんように。
なによりも、暖かく豊かな心を持つ、そのような人々に溢れた国になりますように。
がむしゃらに前に進むだけでなく、ふと隣の人を後ろの人を振り返ることができる、そんな国でありますように。
この作品にはもう一つ特徴があって、それが鮮やかな熊本弁である。被害者の人達の言葉は余すところなく豊かな熊本弁で表現されている。それが、より一層に人達の感情をそのままに聞いているような気持ちにさせる。
方言とは言っても、おおよそのところはなんとなくわかる。ただ、どうしても意味のわからない言葉が幾つかあった。もし、おわかりになる方がおられましたら、教えていただければ幸いです。
以下、わからなかった言葉文章を列挙いたします。
本来なら前後の文脈もあった方がいいのでしょうけれど、少々辛い言葉もあって省きました。
(1)止めゃならんげなですね。
(2)ああこっち来んかい、母しゃんがにきさね来え。
(「にき」に傍点)
(3)おろごつもなかったろ。
(4)じゅつなか顔しとります。
(5)おるげにゃよその家よりゃうんと神さまも仏さまもおらすばって、
(6)色の白か顔のまるいみぞかおなごが、
(7)みぞなげのう。
(8)人よりもおろよかかあちゃんから生まれてきたくせに、このような眸ば、神さんからもろうてきて。
(9)いままでん悪かこつぁすんまっせん。
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