『じぇんじぇん』は立派な日本語だった、という話
先日の記事ではこれを引用しました。
また、次のようなことも書きました。
ところが。
こちらの記事に・・・。
こちらのリンク先の、さらに(B2)のリンク先ですね。
この「吉野川市山川町の方言」。
要旨にはこうあります。
ん?
などと思う。
・・・。
もう、ひっくり返りそうになりました。
ああ。
方言のことは全く考えなかった。
目から鱗が落ちるとはこのことでしょう。
『ジェンジェン(全然)』をしげしげと眺めた時間でした。
先日読んだ本に次のようなものがあります。
『言海』というのは明治時代に編纂された辞書です。
初めての普通語の辞書でした。
今でこそ、わざわざ「普通語の」などとことわることはありません。
でも、言海が出た頃は違った。
それ以前の日本語の辞書というと、専門用語か難語の解説というものだったからです。
しかし。
「普通語」
それはいったい何でしょうか。
「普通語の辞書」というのは、一見、とても平等に聞こえる。けれども、実は一方で、普通の言葉を強制的に決めるという効果がある。普通の言葉でなければ言葉にあらず。更に言えば、方言擗語を撲滅せよという考え方にも繋がりかねない。
本にはそう書かれていました。
もちろん、私は方言擗語を撲滅せよとなどとは思っていません。それでも、辞書に書かれているものだけを取り込む。そしていつしか、それ以外のものをふるい落としている。そのことはもしかしたら差別の始まりかもしれない。
それを今回身をもって知りました。
ネットというのは、ともすれば問題点ばかりが強調されがちです。だけれども、時に、見えなかったものを見せてくれる。視野を広げてくれる。
共感してもらえるのも嬉しいけれど、意見や指摘に優る高揚はありません。
これからもたくさん教えてもらえるのだろう。
楽しみでなりません。
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