自己肯定感の根源を考える
そしてさらに自己肯定感を高める試み。
私は前にどこだかで書いたように自分のことが大好きで自己肯定感ありありのありなので、『嫌われる勇気』を読んでこれがヒットってどゆこと…?と思った。
が、読んだことで「何がどうしてそうなるんだ…?」と思うような友人の言動の解像度が上がり、なるほど自分に自信がないから男に振り回されるのか。とか、自分に自信がないから人間関係を悩むのか。とか、悩む理由が腑に落ちるようになった。
そしてその裏返しで、自分の自己肯定感が恐らく人と比べてめちゃくちゃ高いということにも気づくことができたので、『嫌われる勇気』、名著である。
そんなこんなで自己肯定感が低い人の言動を見るとたまに、逆になんで自分がこうなのかを考えるのだけど、
最近の解釈としては主に二つあると思っている。
1. 結構長めに独我論だった
ちょっと哲学はあまり詳しくないのでワーディングが違うかもしれないのだけど、自分以外に意思はなく、自由意志を持っているのは自分だけだと思っている時代が結構長かった。
これも相対で気づくもので、年齢を重ねるごとに徐々に理解はしつつも、「あ、そうかこの人にも人生があるんだな」ときちんと認識したのが多分高3くらいじゃないだろうか。
恐らく同じく自己肯定感が高い子とたまたま仲良くなって、自己肯定感が高い発言を聞いて、ああこの人も思考をして意志を持つんだなと思った…という。
結構やばいな、私。
なので、自己を肯定するというか、そもそも自分のために世界がある、が根底にある。
さらに独我論だと何が起きるかというと、人に気に入られる必要がないので自分が好きかどうかのみで友人関係が形成される。
そんなこんなで友人は非常に少なく、ファンくらいのノリで好き人のみなので、プライベートの人間関係では悩みようがない。
2. 常に自分が平均以上に評価される環境にいる
学校も会社も、結果論としてコミュニティ内で1番・2番ではないけれどビリにはならない、なべて平均以上の評価がとれる環境を選んできている。
桜蔭じゃないし、東大じゃないし、マッキンゼーじゃないけど、自分にとって程良いところで程良く評価をされている。
これはこれからもそうでありたいと思うが…、まだ而立したばかり、この先そんなに上手く行くかはまだちょっとよくわからない。
けれど、自分の判断力および運に対する自信になっているのは間違いない。
あと、親。
で、そんなベースがありつつさらに自分の存在に対しての肯定を強めるのが親の存在である。
私は多分、今現在、はっきり言って親の推しである。お気に入りの成果物と言っても良い。
溺愛されて可愛がられて蝶よ花よと育てられた感じではないと思うのだけれど、30になり改めて私、自慢の娘だなと思う。
まず、ガワである。
モデル体型であるとかそういう話ではないが、存在感のあるガタイをしている。
丁度和装をしたり、ドレスを着たりするとそれなりにインパクトがあるサイズ感である。
なので、盛装をすると「あんたのサイズでそれを着ると映えるね」と、服のセンスと共に写真を撮りながら褒められる。
ショートカットが似合う。
両親共にショートカット推しである。姉妹小さい頃はおかっぱだったし、母自身もショートカットだし、ガッキーもショートカットの方が好き。
なので髪の毛を切ると、これまためちゃくちゃ褒められる。「あんたのサイズでショートだとかっこよくて良いね」と言われる。
容姿は多分、単純に好みなのだ。
そして私も私の容姿が好みである。
次に、それなりに良い経歴である。
父と同じ大学に入った時の喜びようは結構すごかった。親戚にもご近所さんにも友達にも言いふらしていて、卒業してもまだ言いふらしている。
母は母で、受験など教育をして私を育て上げたことがいまだに自慢だし、
私も私で第一志望に入っているので満足しており、帰る度に父と母校トークをしている。
で、その自慢の娘がたまに帰ってきてなんかのお祝いなんかをすると、もうとっても嬉しいんだろうなという感じ。
単純にそのひとときというのもあるだろうが、前期高齢者の友人関係での家族仲は結構自慢の話であろう。
ちなみに孫はまだか攻撃はマイルドながら存在している。
いやーよかったよかった。私は我が身を振り返って酒が飲めるくらいに自分のことが好きである。
これからもそうでありたい。
なお、これは仕事で後輩の自己肯定感がものすごい低い女の子が、私のことを「一緒の会議にいるだけで思考が停止してしまうくらいめちゃくちゃ怖い」と言っていることを知ってショックを受けながら書きました。
そっか、彼女にも自由意志があるんだよな。どうすればいいんだ。
おわり。