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ヨーロッパ芸術祭めぐりの旅でのあれこれ 2017

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アート&カルチャー系のライターがゆく、ヨーロッパ芸術祭めぐり。 2017年は芸術祭のミレニアムイヤー! アテネ&カッセルの2会場で開催中のドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェク…
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#現代アート

ヴェニスの商人とアートのある休日

ぐっすり眠れて目覚めが爽快だ。ホステルで簡単に朝食を済ませると、水上バスに乗って、ヴェネツィア・ビエンナーレのもう一つのメイン会場に向かった。実はこちらが本丸なのである。 GIARDINIとマップ上に記された会場敷地内には、複数の建物が点在している。建物それぞれに国名が記されており、国ごとの展示がされているのだ。まるで小さな文化大使館が建ち並んでいるかのようである。 日本館は吉阪隆正の設計で1956年に建てられた。この敷地内最後の建築用地を割り当てられてのことだったそう。

アート界のオリンピック。ヴェネツィア・ビエンナーレとアートのディズニーランド化現象

前日に早めに休んだので、機嫌よく起きてヴェネツィア・ビエンナーレの会場に向かった。 ヴェネツィア・ビエンナーレとは、2年に1度行われる「アート界のオリンピック」と呼ばれる大型国際展で、国ごとに展示が行われる。日本の場合、毎回まずキュレーターを選出して、そのキュレーターが作家を選出する形で展覧会を組み立てるのが通例だ。ヴェネツィア・ビエンナーレに選出されるのは非常に名誉なことなのだ。 10時過ぎには会場について、マップと48時間チケットを手に入れた。 メイン会場は2箇所。

若きアーティストが、創作と経済活動の間で難しさを抱えるのは、どこでもおなじ

旅の日課にしているnoteの記事だが、はじめて1日空けてしまった。1日かけて鉄道で移動していたためだ。ベルリン中央駅を朝6時27分に出発する鉄道に乗り込んで6時間かけてミュンヘンへ。乗り換えてさらに6時間でイタリアのベローナに着く。そこから1時間でヴェネツィアだ。ちょうど夕暮れ時に到着した水の都ヴェネツィアは、最高の景色。水上バスで移動してホステルにたどりついたのは22時だった。 鉄道移動の後半では6人掛けの個室をほぼ1人で使えたので、寝っ転がって本を読んだり、マキとトーマ

ベルリンはいま、ジェントリフィケーションの終わりの季節を迎えている

ついつい夜中まで話し込んでしまうので、起床時間が遅くなる。昼ごろまでマキと彼女のパートナーのトーマスとキッチンでおしゃべりして過ごした。多くの人がもっと豊かにアートを鑑賞できるようになるために、ポップで楽しい消費的なカルチャーではないアートの本質に触れられるようになるために、何が必要かといったら、もっとダイレクトなコミニケーションやアンダーグラウンドのカルチャーシーンを豊かにしていくことだと、トーマスはいう。彼もアーティストなので、視点が面白い。日本で感じる現代アート周辺の課

民族や国家を超越する対話のはじまりに、アートは存在している

またも快晴だ。 長逗留しているゲストハウスで同室のアジア人の男の子たちと、毎朝晩に顔を合わせるので、なんとなく親近感が出てきた。韓国のアート学生の男の子に、どうやって欧州のアート情報を得るのか尋ねてみたら、「皆きっとSNSでつながっている友人や知人から情報を得ているんだと思う」と教えてくれ、なるほどなぁとひとりごちた。 前日までにほとんどのドクメンタ会場をまわってしまったので、市街地からは少し距離のあるWilhelmshoeheでの映像展示を観に出かけることにした。トラム

漂流する現代アートは先端を極めるべきか、裾野を広げるべきか

朝目が覚めたら、快晴の青空が目に入ってきた。早めに休んだので、身体が軽い。洗濯物を済ませて、朝の支度で大渋滞のホステルのバスルームでなんとか身支度を整えると、ドクメンタ カッセルで4つあるメイン会場のうち、まだ訪れられていなかったノイエ・ガレリーに向かった。 入り口ではパフォーマーが迎えてくれる。 彼女が紹介しているのは、黒色の石鹸。ノイエ・ノイエ・ガレリーでも展示されていたものだ。石鹸作りをアテネの企業や市民と協力しながら行ったこと、単に製品を製造するのではなく、世代を

赤いリップグロス

ドクメンタの2日目は朝からnoteの記事を書いていて、気がつけばホステルのキッチンで12時を迎えてしまった。前日に頭を使いすぎていて、身体がしんどい。もうオフモードでゆるゆるいくしかない。 ホステルを出て、北側の小さな会場をぶらぶらとめぐった。インスタレーションと映像展示がほとんどで、ラジオ放送局もあり、アテネの伝説的なバーを題材にして、夜には実際にバーになる作品もあった。 それにしても、くたくただ。もっとも北側の展示会場NORDSTADPARKで、草花の植栽でできたピラ

アートの傍では、どんな意見でも許容されることが前提だ

旅に出てから毎朝、前日の経験を咀嚼するためにひとつ記事を書くことを日課にしているが、今朝はふたつめの記事も書くことにした。それだけ、5年に一度開催されるごとに世界からアートファンを集めるカッセルでのドクメンタが刺激的なのだ。書くことで咀嚼して、経験を意識に定着させておきたい。 午後はFRIEDERICIAMという、伝統的にドクメンタの会場として使用されている美術館に向かった。ここは、アテネのドクメンタでメイン会場になっていたGreece's National Museum

ふだんは考えない「日本」に属す個として存在している感覚に、アートを通じてぶつかる

5年に一度の国際展ドクメンタ カッセルをめぐる1日はまず、郵便局を改修して今年新しくメイン会場の仲間入りをしたノイエ・ノイエ・ガレリーを訪れた。 入り口から、迫力の壁画が迎えてくれる。空想の国の物語が描かれているようだが、どうにもハッピーではない。 国土が侵略されて女性たちが囚われてしまった様子が英字の解説付きで描かれていた。歴史上一度も植民地化されたことのない日本で暮らしていると、なかなかイメージがしにくいのだが、非西洋の現代アートにおいては、植民地化された記憶からどう

アテネとミュンスターで突きつけられたのは、世界情勢や世界のアート情報が圧倒的に不足している日本と、からっぽな自分。

5年に一度、世界から人を集める国際大規模展覧会ドクメンタを開催しているカッセルまでは、ミュンスターから鉄道で3時間弱だ。昼過ぎにカッセルに到着すると、駅前にドクメンタの展示らしきものがあり、駅にもドクメンタ14の開催を示す大きなポスターがあった。マップを手に移動するドクメンタ詣での人も多く見かける。 アテネでのドクメンタ、ミュンスターでの彫刻プロジェクトと、国際大規模展をめぐってきたが、カッセルが最も展覧会に街が活気付いている。しかし、アテネやミュンスターと比べると、街がな

小さな肯定感で社会のひずみを乗り越えていく強さは、むくむくのファーの中にだって存在する

生きぬく力と、アートを生み出す根元的な力は同じ。私にとってのアートは、魂の光から生まれ出たものだ。そういう意味では、人間皆がアーティストだと言えるし、アーティストだからといって、ドクメンタのような国際展に選ばれるような作品を作れるとは限らない。要はつくっている本人が、作品をどう研ぎ澄ますのかが問題なのだ。そして、今回のドクメンタ14のディレクター、アダム・シムジックは、どんな風に研ぎ澄まされた作品を選んでいるのだろうか。 「47会場のうち、パフォーマンスのみの会場も多いから

アテネの街に溢れるパッションと、ドクメンタがみせる現代アート

やっぱりアテネの人たちは3人に1人の割合で、ノーヘルでバイクに乗っている。現代アートの国際展 ドクメンタのメイン会場のひとつベネキ美術館(Benaki Museum)に向かい歩いていると、大型バイクを乗りこなす、格好のいい男たちとすれ違う。ギリシャは自由と責任の国。自分も男だったら、ノーヘルでバイクに乗りたい。 アテネに到着してから、初めて向かうドクメンタの会場がベネキ美術館なのだが、THISEIOというメトロの駅から歩けると思ったら、実はかなりの距離があった。適当に方角を

ギリシャの空気を吸い込む ドクメンタは本当に開催中?

アテネに到着。予約していたゲストハウスが、「到着時間を事前に知らせて」とか「別の場所で鍵を受け取って」とか、うるさく連絡してきていたのを、横目でスルーしていたせいで、入り口で少々待ちぼうけしてしまった。海外旅行あるあるなので、気にしない。 飛行機から眺めるギリシャの海はエメラルドグリーンで、空は水色、陽の光は底抜けに明るく、照らされている全てのものがほんのりと白く発光しているようだ。人々は人懐っこく優しく、彫りが深くて美しい人が多い。日本人どころかアジア人を見かけない。

まだ辿りつかぬ。アテネを目指して、移動につぐ移動

あまり事前リサーチせずに思いつきで決めた1ヶ月の欧州芸術祭めぐり。最初の誤算は、ギリシャ・アテネで開催中のドクメンタ14の会期だった。 いつもはドイツ・カッセルで開催されるドクメンタだが、今年はカッセルに加えてアテネも会場都市に指名されている。サテライトやフリンジなどではなく、コンセプトにおいてカッセルとアテネは全く等価に扱われるという。そして、アーティスティックディレクター、アダム・シムジックが掲げるドクメンタ14のテーマは「アテネから学ぶ[Learning from A