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ヴェニスの商人とアートのある休日

ぐっすり眠れて目覚めが爽快だ。ホステルで簡単に朝食を済ませると、水上バスに乗って、ヴェネツィア・ビエンナーレのもう一つのメイン会場に向かった。実はこちらが本丸なのである。

GIARDINIとマップ上に記された会場敷地内には、複数の建物が点在している。建物それぞれに国名が記されており、国ごとの展示がされているのだ。まるで小さな文化大使館が建ち並んでいるかのようである。

日本館は吉阪隆正の設計で1956年に建てられた。この敷地内最後の建築用地を割り当てられてのことだったそう。

今年の日本館での展示は、鷲田めるろがキュレーターとして参画し、岩崎貴宏の作品展示が行われている。「Turned Upside Down, It's a Forest」と題された展示では岩崎の特徴である細い糸の造形が見られる。

そして、日本の木造建築に言及するかのような、上下に反転した建造物の木製模型が天井からつられている。

そして、本も。日本人の独特な自然観や3.11や福島原発について言及した本が多かったように思う。しかし、展示のハイライトはなんといっても、床に開けられた穴である。

衣類が積まれて山のようになっており、火口にも見える場所に穴が空いていて、人々は建物の外に設置された階段を登って、何も知らずに会場にひょっこりと顔を出すというものだ(展覧会場に入る前に、これをやるようにと促される)。

こんなふうに顔を出して水槽内を見学できる水族館もあるし、美術家の栗林隆も観客がひょこりと顔をだして境界線の向こうの異なる表情のインスタレーションを鑑賞するという作品をつくっていたが、今回は建物の床に穴を開けてしまったようだ。

これには観客も大喜び。私が床から顔を出した時には、いたずらっ子な顔をした男性とバッチリ目があって、お互いに「ほほほ」と笑ってしまった。

島袋作品もそうだが、作品にどこか面白みがあって、観客が思わず笑ってしまうと、それだけでその人の心のバリアが解ける感がある。作品を受け入れる心の体制が、ちょっと笑うことで整うのだ。

他国のパビリオンものんびりと見学させてもらった。前日に感じた「ディズニーランド的」な大型インスタレーションはここでも健在だ。まあドクメンタのように毒気にさらされないので、とにかく心は楽ではある。映像&インスタレーションばかりが取り上げられがちなご時世のなかで、抽象絵画とインスタレーションの組み合わせで勝負していたアメリカ館に加え、コーヒーと砂糖を素材に建物内の壁に壁画を制作し、建物に入ったとたんにコーヒーと砂糖の匂いでクラクラしてしまうイスラエル館が印象に残った。カナダ館では噴水が飛び出すユニークな展示が。とにかく子供が喜んでいた。

公園内をぶらぶらと歩いて、建物に入っては作品を見学して、を繰り返しながら時間をすごしていると、自分がどこにいるのかわからなくなってくる。こんなのんびりとした時間の過ごし方もいいものだと思えてきた。

ヴェネツィア・ビエンナーレには、2箇所のメイン会場の他に、街中にも展示が展開されているのだが、こちらはまた迷路のような街並みで迷ったりはしゃぐ観光客にぶつかったりしてイライラしそうなので、スキップすることにして、夕方にはアカデミア美術館にでかけた。

15〜16世紀頃のヴェネツィア商人がいかに豊かだったかを示す巨大な油彩画の数々を見て、ヴェネツィア貴族の贅沢ぶりがいまのヴェネツィアの、どこを写真で撮っても絵になる風景を作ってきたんだなと、納得した。

サンマルコ広場の在りし日の姿をうかがえる巨大な油彩画もあった。作品自体が貴重な歴史資料でもある。

さて、ヴェネツィアも最後の夜と、ベルリンでシルヴィアが教えてくれたレストランに出かけてると予約で満席。仕方なく、海辺のテラス席に陣取って、スプリッツ(日本ではスプリッァーというかな)とイカスミパスタをオーダーした。とても美味しかった。初日のカフェとレストランはいったいどうしたことなのだろう。

ほんのりと潮が香る風が穏やかだ。楽しそうにはしゃぎながらピザを頬張る観光客の家族。空はだんだんと暗くなってきて、雲がだんだんになって細く長く、空の青さをレース模様のように引き立てている。運河には水上タクシーやバスがひっきりなしに行き交って、みな日焼けをしてたくましそうだ。ふと見ると、絵葉書から抜け出たようなヴェネツィアの街並みがある。

だんだんと、ヴェネツィアを好きになってきた。また2年後のビエンナーレにこれたらいいなと思いながら。


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